積丹半島袋澗現況調査 | p.24 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.110 |
固有の名称 | – |
経営者 | 田中徳松 |
所在地 | 古宇郡泊村大字興志内村字茂岩口 |
築設年月 | 大正3年9月 |
堤の構造 | 間知練積 |
現在の利用 | 盃海水浴場 |
『積丹半嶋袋澗調査圖』で既に破損があり『積丹半島の「袋㵎」』では石垣はほぼ破壊され、『積丹半島袋澗現況調査』になると岩崖にわずかにへばりついているだけです。その他の石垣や切澗は痕跡がありません。
積丹半島袋澗現況調査 | p.24 |
積丹半島の「袋㵎」 | pp.41,111 |
固有の名称 | – |
経営者 | 田中徳松 |
所在地 | 古宇郡泊村大字興志内村字茂岩 |
築設年月 | 大正2年□月 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 遊歩道 |
『積丹半島の「袋㵎」』の時、堤は根石を残すのみで『積丹半島袋澗現況調査』ではその堤の跡をコンクリートで埋め立て遊歩道としています。その後変わりありません。
積丹半島袋澗現況調査 | p.25 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.112 |
固有の名称 | – |
経営者 | 武井忠次郎 |
所在地 | 古宇郡泊村大字興志内村26 |
築設年月 | 明治30年頃 |
堤の構造 | 間知石積及石枠工 |
現在の利用 | 無利用 |
『積丹半島の「袋㵎」』の時点でほぼ痕跡がありません。切澗があるのは確認できますがかなり石で埋まっています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.25 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.113 |
固有の名称 | 金澤の澗 |
経営者 | 金澤長太郎 |
所在地 | 古宇郡泊村大字興志内村220 |
築設年月 | 大正元年11月 |
堤の構造 | 間知練積及場所積 |
現在の利用 | 盃漁港 |
盃漁港に作り変えられ澗の形は完全に変わってしまいました。しかし漁港西防波堤の分岐している先端部が丙と丁の堤を再利用していて石垣が残っています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.25 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.114 |
固有の名称 | 浜中の澗 |
経営者 | 浜中又吉 |
所在地 | 古宇郡泊村大字興志内村216 |
築設年月 | 大□□年 |
堤の構造 | 間知練積 |
現在の利用 | 船揚場 |
『積丹半島の「袋㵎」』から『積丹半島袋澗現況調査』までに甲と平行して消波ブロックが設置されて丙が埋没しました。澗の中は礫で埋まりかけています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.26(但し位置を誤っている) |
積丹半島の「袋㵎」 | pp.35,115 |
固有の名称 | – |
経営者 | 永井桂次郎 |
所在地 | 古宇郡泊村大字盃村158 |
築設年月 | 自大正5年6月21日至大正5年9月10日 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 無利用 |
船揚場の斜路がありますが砂が堆積し現在利用はされていません。石垣は改修されコンクリートの防波堤となっています。防波堤は一部が破壊され中の間知石が露出しています。『積丹半島袋澗現況調査』では位置を誤り漁港化され消失したとしています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.26 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.116 |
固有の名称 | – |
経営者 | 北海道拓殖銀行(種田重治使用) |
所在地 | 古宇郡泊村大字盃村145 |
築設年月 | 自大正5年4月28日至大正5年5月11日 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 無利用 |
水面上に根石の間知石が所々残っています。『積丹半島の「袋㵎」』で既に根石のみだったものが、『積丹半島袋澗現況調査』、今回と徐々に減ってきています。切澗はほとんど埋まっています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.26 |
積丹半島の「袋㵎」 | pp.68,117 |
固有の名称 | – |
経営者 | 浜中又吉 |
所在地 | 古宇郡泊村大字盃村 |
築設年月 | 自大正5年6月30日至大正5年7月10日 |
堤の構造 | 間知練積 |
現在の利用 | 船揚場 |
『積丹半島の「袋㵎」』でかなり破壊が進んで、現在もほぼ変わらずA・Cの堤の跡が残ります。
積丹半島袋澗現況調査 | p.27 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.118 |
固有の名称 | – |
経営者 | 澤口重兵衛 |
所在地 | 古宇郡泊村大字盃村116 |
築設年月 | 不詳 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 無利用 |
『積丹半島の「袋㵎」』の時からほぼ変わらず水面ギリギリのところに間知石が残っています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.27 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.119 |
固有の名称 | – |
経営者 | 北海道拓殖銀行(高松啓五郎使用) |
所在地 | 古宇郡泊村大字盃村114 |
築設年月 | 不明 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 無利用 |
付近にハッキリした切澗が3つ密集し、そのどれがS70なのか分かりません。最南の切澗には根石の間知石がわずか4つ残されています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.27 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.120 |
固有の名称 | – |
経営者 | 澤口重兵衛 |
所在地 | 古宇郡泊村大字盃村112 |
築設年月 | 大正4年4月27日 |
堤の構造 | 間知練積 |
現在の利用 | 無利用 |
『積丹半島の「袋㵎」』の時から変わらず間知石4段の石垣が僅かに残っています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.28 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.121 |
固有の名称 | 吉田の澗 |
経営者 | 北海道銀行(吉田勘太郎使用) |
所在地 | 古宇郡泊村大字盃村111 |
築設年月 | 自大正5年5月30日至大正5年6月18日 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 無利用 |
もともと間知石2段だけの石垣だったものが、1段だけになって全体的に残っています。澗内は一部が礫で埋まり始めています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.28 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.122 |
固有の名称 | – |
経営者 | 武井富男 |
所在地 | 古宇郡泊村大字盃村110 |
築設年月 | 不詳 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 無利用 |
『積丹半島の「袋㵎」』の時既に根石のみだった石垣が『積丹半島袋澗現況調査』で更に減り、今でもそのままの状態です。
積丹半島袋澗現況調査 | p.28 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.123 |
固有の名称 | – |
経営者 | 北海道拓殖銀行(吉田常吉使用) |
所在地 | 古宇郡泊村字照岸107 |
築設年月 | 自大正5年5月10日至大正5年7月17日 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 無利用 |
『積丹半島の「袋㵎」』の時にから今に至るまで状態はほぼ変わりません。防波堤はB・Dの一部が残存。北側には『積丹半嶋袋澗調査圖』には載っていない堤や柱が残っています。またS74からS75にかけて断続的に護岸の跡が残っています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.29 |
積丹半島の「袋㵎」 | pp.124-125 |
固有の名称 | – |
経営者 | 北海道拓殖銀行(吉田常吉使用) |
所在地 | 古宇郡泊村大字泊村字照岸106 |
築設年月 | 不明 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 無利用 |
『積丹半島の「袋㵎」』の時にから今に至るまで状態はほぼ変わりません。切澗は少し礫が堆積していますがほとんどが深く残っています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.29 |
積丹半島の「袋㵎」 | pp.124-125 |
固有の名称 | – |
経営者 | 梅澤榮太郎 |
所在地 | 古宇郡泊村大字泊村字照岸102 |
築設年月 | 不明 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 無利用 |
『積丹半島の「袋㵎」』の時にから今に至るまで状態はほぼ変わりません。切澗は少し礫が堆積していますがほとんどが深く残っています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.29 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.125 |
固有の名称 | – |
経営者 | – |
所在地 | 古宇郡泊村大字泊村 |
築設年月 | – |
堤の構造 | – |
現在の利用 | 無利用 |
珍しい「凵」型の切澗を持った袋澗。唯一ある堤は『積丹半島の「袋㵎」』の時からから徐々に破壊が進んでいます。
積丹半島袋澗現況調査 | p.30 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.126 |
固有の名称 | – |
経営者 | 川村慶次郎 |
所在地 | 古宇郡泊村大字泊村字照岸100 |
築設年月 | 自大正6年12月2□日至大正7年2月20日 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 無利用 |
『積丹半島の「袋㵎」』から『積丹半島袋澗現況調査』までわずかな堤が残っていたものが現在はなくなっています。切澗は石で埋まりかけ、よく見ると間知石が紛れ込んでいます。周囲の岩上には柱の跡があります。
積丹半島袋澗現況調査 | p.30 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.127 |
固有の名称 | – |
経営者 | 北海道拓殖銀行(石井利兵衛使用) |
所在地 | 古宇郡泊村大字泊村97 |
築設年月 | 不明 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 無利用 |
『積丹半島の「袋㵎」』の時点からほとんど変化は見られません。堤はA・D付近に少し残っています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.30 |
積丹半島の「袋㵎」 | pp.30,128 |
固有の名称 | 田中の澗 |
経営者 | 田中徳松 |
所在地 | 古宇郡泊村大字泊村95 |
築設年月 | 自大正7年1月10日至大正7年4月□□日 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 無利用 |
「積丹半島泊村の田中の袋ま遺構」という名で産業考古学会推薦産業遺産に選定されています。『積丹半島の「袋㵎」』の時見事なハサミ型の堤体を残していたのに、『積丹半島袋澗現況調査』では無残に半分ほどが破壊されています。産業考古学会推薦産業遺産は「保存が必要な産業遺産なのに文化財指定を受けていないものを選定・推薦し、世論や関係諸機関の関心を引くことで、保存推進に役立てる」ものだそうだったのに遅すぎました。
積丹半島袋澗現況調査 | p.31 |
積丹半島の「袋㵎」 | pp.35,129 |
固有の名称 | – |
経営者 | 田中徳松 |
所在地 | 古宇郡泊村大字泊村90 |
築設年月 | 自大正6年12月28日至大正8年6月2□日 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 船揚場 |
『積丹半島の「袋㵎」』の時既に堤の天端がコンクリートに改修されていて現在まで特に変わっていません。切澗はきれいに残っています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.31 |
積丹半島の「袋㵎」 | pp.130-131 |
固有の名称 | – |
経営者 | 浪岡鉄男 |
所在地 | 古宇郡泊村大字泊村84 |
築設年月 | □ |
堤の構造 | 間知石練積及xxx |
現在の利用 | 船揚場 |
『積丹半嶋袋澗調査圖』で既に破壊された堤があり、『積丹半島の「袋㵎」』では跡形もなくなっています。切澗の形ははっきりと残っています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.31 |
積丹半島の「袋㵎」 | pp.35,130-131 |
固有の名称 | 武井の澗 |
経営者 | 武井忠次郎 |
所在地 | 古宇郡泊村大字泊村648 |
築設年月 | 自大正5年□月□日至大正6年1□月□□日 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 泊漁港 |
漁港化され痕跡は全くありません。
積丹半島袋澗現況調査 | p.32 |
積丹半島の「袋㵎」 | pp.131-132 |
固有の名称 | 浜地の澗 |
経営者 | 北海道拓殖銀行(浜地長太郎使用) |
所在地 | 古宇郡泊村大字茅沼村字臼別200 |
築設年月 | 不明 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 船揚場 |
石垣は全く残っておらずコンクリートの堤体になっています。袋澗のものか分かりませんが付近には布石がたくさん沈んでいます。切澗は状態よく残っています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.32 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.132 |
固有の名称 | – |
経営者 | 上野留次郎 |
所在地 | 古宇郡泊村大字茅沼村字臼別196 |
築設年月 | 不明 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 無利用 |
『積丹半島の「袋㵎」』の時既に堤が破壊され『積丹半島袋澗現況調査』では消波ブロックが盛られました。もともと保存状態の悪かった堤の現在は少し破壊が進行した程度です。堤には間知石と共に布石が使われている箇所があります。
積丹半島袋澗現況調査 | p.32(但し位置を誤っている) |
積丹半島の「袋㵎」 | pp.133-134 |
固有の名称 | – |
経営者 | 田原彌三吉 |
所在地 | 古宇郡泊村大字茅沼村字臼別192 |
築設年月 | 不明 |
堤の構造 | 間知石練積及石枠造 |
現在の利用 | 船揚場 |
石垣は『積丹半島の「袋㵎」』の時点でなくなっていますが、水面下の切澗の様子は袋澗の様子を今もとどめています。『積丹半島袋澗現況調査』では北東約50mの場所をS85として誤掲載しています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.33 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.134 |
固有の名称 | – |
経営者 | 吉田寛治 |
所在地 | 古宇郡泊村大字茅沼村字臼別190 |
築設年月 | 不明 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 泊村栽培漁業センター |
1991(平成3)年に整備された養殖施設が建ち、見える範囲からはすべて袋澗の跡は消え去っています。『積丹半島袋澗現況調査』に掲載のわずかに残った石垣は施設外から見えない範囲のため現況不明。
積丹半島袋澗現況調査 | p.33 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.135 |
固有の名称 | – |
経営者 | 武井富男 |
所在地 | 古宇郡泊村大字茅沼村467 |
築設年月 | 不明 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 船揚場 |
『積丹半島の「袋㵎」』から『積丹半島袋澗現況調査』までに堤の一部がコンクリート化されました。石垣はコンクリートに埋まりながら、ポツリと離岸堤が、あるいは海食崖にへばり付く様にといくつも残されています。非常に広大な埋立地を持っているのを見ると茅沼炭鉱の積出港としての性格が強かったのかも知れません。
積丹半島袋澗現況調査 | p.33 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.136 |
固有の名称 | 橋本の澗 |
経営者 | 橋本清一 |
所在地 | 古宇郡泊村大字茅沼村16 |
築設年月 | 自大正5年5月3日至大正5年6月19日 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 無利用 |
『積丹半島の「袋㵎」』の時から大きな変化はありません。間知石と布石が混在しています。切澗は状態よく残っています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.34 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.137 |
固有の名称 | – |
経営者 | 北海道拓殖銀行(二村英一使用) |
所在地 | 古宇郡泊村大字茅沼村1 |
築設年月 | 大正8年8月10日 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 無利用 |
『積丹半島の「袋㵎」』の時から堤はBしか残っておらず今でも大して変化はしていません。袋澗の周辺には木製の柱や柱を立てた跡がたくさん残っています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.34 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.138 |
固有の名称 | 葛間の澗 |
経営者 | 葛間伊太郎 |
所在地 | 古宇郡泊村大字堀株村 |
築設年月 | 不明 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 無利用 |
『積丹半島の「袋㵎」』の時からほぼ変わらずAの根石が残っています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.34 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.139 |
固有の名称 | – |
経営者 | 櫻井長太郎 |
所在地 | 古宇郡泊村大字堀株村字瀧ノ澗212 |
築設年月 | 自大正9年6月1日至大正9年9月30日 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 無利用 |
『積丹半島の「袋㵎」』の時からほぼ変わらず根石が残っています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.35 |
積丹半島の「袋㵎」 | pp.140-141 |
固有の名称 | – |
経営者 | 葛間一三 |
所在地 | 古宇郡泊村大字堀株村字渋井カケノ浜1 |
築設年月 | 不詳 |
堤の構造 | 間知石練積及石枠造 |
現在の利用 | 無利用 |
堤のほとんどが石枠造か1段だけの間知石という袋澗でこれはほぼ消滅。崖に接する間知石4段積の石垣がわずかに残っています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.35 |
積丹半島の「袋㵎」 | pp.35,141 |
固有の名称 | – |
経営者 | 浜中又左ヱ門 |
所在地 | 古宇郡泊村大字堀株村渋井197 |
築設年月 | 不詳 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 船揚場 |
『積丹半島の「袋㵎」』の時に既に一部形を変えコンクリートの堤になり今も同じです。切澗はもともと深い澗だったのも手伝ってか今でも深くはっきりとしています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.35 |
積丹半島の「袋㵎」 | pp.35,142 |
固有の名称 | – |
経営者 | 田中吉兵衛 |
所在地 | 古宇郡泊村大字堀株村字茶津 |
築設年月 | 自大正5年5月□日至大正□年□月□日 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 茶津漁港 |
『積丹半島の「袋㵎」』の時には堤がコンクリートで補強されています。堤には全体的に間知石が露出しています。
S95号
積丹半島袋澗現況調査 | – |
積丹半島の「袋㵎」 | pp.4-5,8-9,35,143 |
固有の名称 | – |
経営者 | 葛間伊太郎 |
所在地 | 古宇郡泊村大字堀株村字ヘロカルウス95 |
築設年月 | 不明 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 泊発電所 |
泊発電所の建設で埋め立てられました。
S96号
積丹半島袋澗現況調査 | – |
積丹半島の「袋㵎」 | pp.4-6,8-9,35,144 |
固有の名称 | – |
経営者 | 武井富男 |
所在地 | 古宇郡泊村大字堀株村字ヘロカルウス |
築設年月 | 不明 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 泊発電所 |
泊発電所の建設で埋め立てられました。
S97号
積丹半島袋澗現況調査 | – |
積丹半島の「袋㵎」 | pp.4-6,8-9,35,145 |
固有の名称 | – |
経営者 | 木村榮作 |
所在地 | 古宇郡泊村大字堀株村字ヘロカルウス93 |
築設年月 | 不明 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 泊発電所 |
泊発電所の建設で埋め立てられました。
S98号
積丹半島袋澗現況調査 | – |
積丹半島の「袋㵎」 | pp.4-5,7-9,35,146 |
固有の名称 | – |
経営者 | 浜中又左ヱ門 |
所在地 | 古宇郡泊村大字堀株村字ヘロカルウス92 |
築設年月 | 不明 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 泊発電所 |
泊発電所の建設で埋め立てられました。
積丹半島袋澗現況調査 | p.36(但し位置を誤っている) |
積丹半島の「袋㵎」 | pp.35,147(但し位置を誤っている) |
固有の名称 | – |
経営者 | 武井久吉 武井総七 |
所在地 | 古宇郡泊村大字堀株村81 |
築設年月 | 大正9年 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 無利用 |
『積丹半島の「袋㵎」』・『積丹半島袋澗現況調査』共に約300m東の船揚場をS99と誤掲載しています。泊発電所の建設では埋め立ては免れています。しかし周辺監視区域を通らねば接近できないためつぶさに観察できません。遠目には堤は見られません。切澗は航空写真でははっきり残っています。