金澤長太郎(重太郎)
古宇郡興志内村(現古宇郡泊村)の人。初代は安政4年3月(グ暦1857年4月頃)岩内に生まれ、2歳の頃運上屋で働く金沢家に養子となった。家は万延元年(グ暦1860年頃)岩内郡茅沼村字茶津(現古宇郡泊村)で網元となり、後に古宇郡興志内村に居を移した。父の代より漁協頭取、村総代人などを勤め上げ、初代長太郎も志を継ぎ公共の事業に尽くした。2代は明治25(1892)年3月生まれ(戸籍上は明治27年生まれ)。ソ連人と沿海州のサケ漁を行ったがうまくゆかず大正時代末期に網元を次いだ。『積丹半島の「袋㵎」』調査時に唯一存命の網元として掲載されている。
『積丹半嶋袋澗調査圖』記載の経営袋澗はS64の1箇。