梅澤市太郎
岩内郡岩内町の人。初代は天保3年3月11日(グ暦1832年4月11日)陸中国東閉伊郡宮古村(現岩手県宮古市)の農家の生まれ。嘉永6年(グ暦1853年頃)岩内に渡り漁業を営み、知人らと協力し建網を考案し巨万の富を築いた。また汽船会社を興し本州岩内間の海運を行った。1911(明治44)年5月没。2代は文久3年5月(グ暦1863年6-7月)陸中国東閉伊郡浦鍬ヶ崎村(現岩手県宮古市)の生まれ。1880(明治13)年渡道し初代梅澤市太郎の養子となり海産物商、漁業、醤油醸造業を営んだ。また岩内町が1級町村制を施行した1900(明治33)年には同町初代町長に当選するなど公共の職を歴任した。梅沢榮太郎は2代市太郎の子である。
『積丹半嶋袋澗調査圖』記載の経営袋澗はS28、S34の2箇。榮太郎はS19、S76の2箇