積丹半島袋澗現況調査 | p.13 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.79(図面のみ) |
固有の名称 | – |
経営者 | 田中徳松 |
所在地 | 古宇郡神恵内村大字珊内村 |
築設年月 | 工事中 |
堤の構造 | 間知練積 |
現在の利用 | 無利用 |
石垣の天端が見えていますが深く礫に埋まって全体像はつかめません。『積丹半島の「袋㵎」』では未調査。『積丹半島袋澗現況調査』ではS32の写真をS31として誤掲載しています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.13 |
積丹半島の「袋㵎」 | pp.32,80 |
固有の名称 | – |
経営者 | 澤口良蔵 |
所在地 | 古宇郡神恵内村大字珊内村 |
築設年月 | 大正元年以前 |
堤の構造 | 間知練積 |
現在の利用 | 珊内漁港 |
現在珊内漁港として使われ全く面影がありません。『積丹半島の「袋㵎」』の写真時点で既に跡形もなくなっています。『積丹半島袋澗現況調査』ではS32の写真をS31として誤掲載しています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.14 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.81 |
固有の名称 | – |
経営者 | – |
所在地 | 古宇郡神恵内村大字珊内村 |
築設年月 | – |
堤の構造 | – |
現在の利用 | 船揚場 |
『積丹半島の「袋㵎」』から『積丹半島袋澗現況調査』にかけて船揚場の斜路がコンクリート化。もともと石垣や切澗はなくそれ以外変化は見られません。現在の利用は船揚場としましたが滑り材が破損したまま放置され柵で閉鎖されているのでもしかしたらもう使われていないのかもしれません。
積丹半島袋澗現況調査 | p.14 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.81 |
固有の名称 | – |
経営者 | – |
所在地 | 古宇郡神恵内村大字珊内村 |
築設年月 | – |
堤の構造 | – |
現在の利用 | 無利用 |
写真中央左寄りの石垣は『積丹半島の「袋㵎」』頃からほぼ変わりません。
積丹半島袋澗現況調査 | p.14 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.82 |
固有の名称 | – |
経営者 | 橋村左助 |
所在地 | 古宇郡神恵内村大字珊内村字マッカ |
築設年月 | 大正元年 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 無利用 |
『積丹半島の「袋㵎」』や『積丹半島袋澗現況調査』とほぼ変わらないように見受けられます。堤は乙と丙のそれぞれ一部が現存し乙と甲の基部の露岩もそのままです。その露岩には柱の跡がV字の列状に穿たれています。切澗は形ははっきり分かるものの内部は埋まっています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.15 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.83 |
固有の名称 | – |
経営者 | 梅澤市太郎 |
所在地 | 古宇郡神恵内村大字珊内村 |
築設年月 | 不明 |
堤の構造 | 間知練積及空積 |
現在の利用 | 無利用 |
堤は乙の根石がよく残っています。切澗は埋まっています。丙の堤の付近には柱の跡が列になって残っています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.15 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.84 |
固有の名称 | – |
経営者 | 北井長作 |
所在地 | 古宇郡神恵内村大字珊内村字キナウシ |
築設年月 | 明治31年甲堤大正11年乙堤 |
堤の構造 | 間知練積及場所詰 |
現在の利用 | 無利用 |
『積丹半島の「袋㵎」』時ですでに痕跡なし。『積丹半島袋澗現況調査』以降消波ブロックが設置され埋没したとみられます。
積丹半島袋澗現況調査 | – |
積丹半島の「袋㵎」 | p.85 |
固有の名称 | – |
経営者 | 北井長作 |
所在地 | 古宇郡神恵内村大字珊内村字ウエンチクナイ |
築設年月 | 大正元年前 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 無利用 |
堤は完全に見られません。切澗でかろうじて袋澗と分かりる程度です。
積丹半島袋澗現況調査 | p.16 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.86 |
固有の名称 | – |
経営者 | 高橋信茂 |
所在地 | 古宇郡神恵内村大字赤石村大森 |
築設年月 | 未完 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 無利用 |
『積丹半嶋袋澗分布圖』では大森川河口にありますが実際は500m北西にあります。『積丹半島の「袋㵎」』で根石のみだった堤は『積丹半島袋澗現況調査』では完全に流され消滅。跡には床掘の跡だけが残っています。澗の中はまだ深く水を湛えています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.16 |
積丹半島の「袋㵎」 | pp.29,87 |
固有の名称 | 二ノ目の澗 |
経営者 | 米田豊作 |
所在地 | 古宇郡神恵内村大字赤石村大森 |
築設年月 | 大正4年 |
堤の構造 | 間知練積 |
現在の利用 | 船揚場 |
『積丹半島の「袋㵎」』でなんとか袋澗の形が分かる程度だったものが、『積丹半島袋澗現況調査』ではかなり手が加わっていて澗の形も変わってしまっています。港口の頭上を国道229号漁火橋が横切り、同橋の下にある甲・乙の突端が唯一の痕跡です。
積丹半島袋澗現況調査 | p.16 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.88 |
固有の名称 | – |
経営者 | 北海道拓殖銀行 |
所在地 | 古宇郡神恵内村大字赤石村字大森 |
築設年月 | 大正元年前 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 無利用 |
『積丹半島の「袋㵎」』では欄積みの大きな石垣が写っていますがこれは『積丹半島袋澗現況調査』時点でほぼ現存せず水面上に僅かに見える程度しかありません。丙も同様です。乙は布積みと谷積みが複合し、一部間知石3段相当の高さが残されています。澗内は石で埋まり長靴で歩き回ることができます。
積丹半島袋澗現況調査 | p.17 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.89 |
固有の名称 | – |
経営者 | 北海道拓殖銀行 |
所在地 | 古宇郡神恵内村大字赤石村大森 |
築設年月 | 大正元年前 |
堤の構造 | 間知練積 |
現在の利用 | 無利用 |
船揚場として使われた形跡がありますが消波ブロックが積まれて現在は使われていません。『積丹半島袋澗現況調査』時点で丙は『積丹半島の「袋㵎」』の3分の2ほどの高さになり、コンクリートの防波堤に組み込まれています。『積丹半島袋澗現況調査』以降は大きな変化はないようです。澗の水深は深いまま保たれいます。
積丹半島袋澗現況調査 | p.17 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.90 |
固有の名称 | – |
経営者 | – |
所在地 | 古宇郡神恵内村大字赤石村 |
築設年月 | – |
堤の構造 | – |
現在の利用 | 無利用 |
『積丹半島の「袋㵎」』で既に石垣が転倒しています。現在もこのまま大きな変化はなく、消波ブロックが載せられています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.17 |
積丹半島の「袋㵎」 | pp.29,90-91 |
固有の名称 | 武井の澗 大谷の澗 |
経営者 | 橋村定助 |
所在地 | 古宇郡神恵内村大字赤石村 |
築設年月 | 大正元年前 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 無利用 |
船揚場として使われた形跡がありますが消波ブロックが積まれて現在は使われていません。『積丹半島の「袋㵎」』から『積丹半島袋澗現況調査』にかけて甲・乙・丙がコンクリート化されこのまま変化はありません。丁は先端部が洗い流された以外変わりありません。
積丹半島袋澗現況調査 | p.18 |
積丹半島の「袋㵎」 | pp.91-92 |
固有の名称 | 橋村の澗 |
経営者 | 橋村定助 |
所在地 | 古宇郡神恵内村大字赤石村 |
築設年月 | 不明 |
堤の構造 | 間知積 |
現在の利用 | 無利用 |
全体的に堤の上が削られ高さが減っています。乙と丙の間に溝石があります。甲と陸地を結ぶ石垣は『積丹半嶋袋澗分布圖』の図面とはかなり違っています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.18 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.92 |
固有の名称 | – |
経営者 | 橋村定助 |
所在地 | 古宇郡神恵内村大字赤石村 |
築設年月 | 不明 |
堤の構造 | 間知積 |
現在の利用 | 無利用 |
『積丹半島の「袋㵎」』時点で破壊が進み、『積丹半島袋澗現況調査』以降消波ブロックが積まれました。澗内は完全に石で埋め尽くされ深さは全くありません。現存する堤はBとCのともに根石のみです。
積丹半島袋澗現況調査 | p.18 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.93 |
固有の名称 | – |
経営者 | 田中徳松 |
所在地 | 古宇郡神恵内村大字赤石村 |
築設年月 | 大正前ノモノ |
堤の構造 | 間知練積 |
現在の利用 | 無利用 |
S43号同様消波ブロックに埋まって、石が澗内を占めています。『積丹半島の「袋㵎」』と比べると石垣が所々崩れています。乙と丙の間に溝石があります。
積丹半島袋澗現況調査 | p.19 |
積丹半島の「袋㵎」 | pp.29,94 |
固有の名称 | 小倉の澗 |
経営者 | 小倉源太郎 |
所在地 | 古宇郡神恵内村大字赤石村19 |
築設年月 | 大正元年前ノ築設 |
堤の構造 | 間知練積 |
現在の利用 | 赤石漁港 |
『積丹半島の「袋㵎」』で既に赤石漁港として生まれ変わって痕跡はありません。
積丹半島袋澗現況調査 | p.19 |
積丹半島の「袋㵎」 | pp.29,95 |
固有の名称 | – |
経営者 | 澤口庄助 |
所在地 | 古宇郡神恵内村大字赤石村17 |
築設年月 | 大正元年前 |
堤の構造 | 間知練積 |
現在の利用 | 赤石漁港 |
『積丹半島の「袋㵎」』で既に赤石漁港として生まれ変わっています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.19 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.96 |
固有の名称 | 畑澤の澗 |
経営者 | 畑澤要七 |
所在地 | 古宇郡神恵内村大字赤石村9 |
築設年月 | 不明 |
堤の構造 | 間知練積 |
現在の利用 | 無利用 |
『積丹半島の「袋㵎」』から『積丹半島袋澗現況調査』にかけて甲が一部転倒、現在までに半分ほどが消波ブロックに埋没しました。この袋澗の一部の堤は基部がコンクリートで、上部は石積という他とは違う造りをしています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.20 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.97 |
固有の名称 | 出町の澗 |
経営者 | 出町初太郎 |
所在地 | 古宇郡神恵内村大字赤石村2 |
築設年月 | 大正元年前 |
堤の構造 | 間知練積及場所詰 |
現在の利用 | 船揚場 |
規模が大きく保存状態は良好です。波をモロに受ける石垣は崩れている箇所があります。またイは航路の関係か崩されています。『積丹半嶋袋澗調査圖』記載の工費は下に掲載したS49に次いで高額です。
積丹半島袋澗現況調査 | p.20 |
積丹半島の「袋㵎」 | pp.28-29,98 |
固有の名称 | 澤口の澗 |
経営者 | 澤口庄助 |
所在地 | 古宇郡神恵内村93 (現古宇郡神恵内村大字神恵内村) |
築設年月 | 古クヨリアリシモ大正11年ニ拡張セルモノナリ |
堤の構造 | 間知練積 |
現在の利用 | 船揚場 |
『積丹半島の「袋㵎」』に写る崩れた乙と丙は『積丹半島袋澗現況調査』以降コンクリートで補強されています。甲は本来の石垣の状態がよく残されています。工費は『積丹半嶋袋澗調査圖』記載中では最も高額。大きさも並の袋澗ならば2-3個すっぽり納まるほどの広大さです。
積丹半島袋澗現況調査 | p.20 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.99 |
固有の名称 | 澤口の澗 |
経営者 | 澤口庄助 |
所在地 | 古宇郡神恵内村92 (現古宇郡神恵内村大字神恵内村) |
築設年月 | 大正元年前 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 無利用 |
『積丹半島の「袋㵎」』、『積丹半島袋澗現況調査』そして現在と堤の崩壊が進み全体的に水面上1段の間知石しか残存していません。澗内は完全に石で埋まっています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.21 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.100 |
固有の名称 | – |
経営者 | 澤口庄助 |
所在地 | 古宇郡神恵内村 (現古宇郡神恵内村大字神恵内村) |
築設年月 | 大正元年前 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 無利用 |
『積丹半島の「袋㵎」』の時点で石垣が僅かに残る程度で、現在も変わりありません。『積丹半島袋澗現況調査』以降消波ブロックが盛られました。澗内は礫で埋まっています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.21 |
積丹半島の「袋㵎」 | pp.29,101 |
固有の名称 | – |
経営者 | 北海道拓殖銀行 |
所在地 | 古宇郡神恵内村8 (現古宇郡神恵内村大字神恵内村) |
築設年月 | 明治年間ニ築設シアリシモノテ大正11年拡張 |
堤の構造 | 間知練積 |
現在の利用 | 神恵内漁港 |
『積丹半島の「袋㵎」』の時既に埋め立てられ漁港の一部となっています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.21 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.102 |
固有の名称 | – |
経営者 | 北海道拓殖銀行 |
所在地 | 古宇郡神恵内村9 (現古宇郡神恵内村大字神恵内村) |
築設年月 | 明治末□頃 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 無利用 |
旧道旅6の寄り道で行った竜神岬の近くの小トンネルのすぐ外にあります。防波堤が2箇所現存し、片方は間知石、もう片方は布石を使っています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.22 |
積丹半島の「袋㵎」 | pp.103-104 |
固有の名称 | 木下の澗 |
経営者 | 北海道拓殖銀行 |
所在地 | 古宇郡神恵内村 (現古宇郡神恵内村大字神恵内村) |
築設年月 | 大正6,7年ニ改築 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 無利用 |
現在利用はされていないものの『積丹半島袋澗現況調査』の時はまだ現役の船着場だっただけあって堤体・切澗共によく残っています。ただ乙がほとんど形を失い、甲の天端も破壊が始まっています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.22 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.104 |
固有の名称 | – |
経営者 | 北海道拓殖銀行 |
所在地 | 古宇郡神恵内村 (現古宇郡神恵内村大字神恵内村) |
築設年月 | 大正10年ニ改築 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 無利用 |
堤も切澗も全く痕跡がありません。
積丹半島袋澗現況調査 | p.22 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.105 |
固有の名称 | – |
経営者 | 田中已之松 |
所在地 | 古宇郡神恵内村字尾根内7 (現古宇郡神恵内村大字神恵内村) |
築設年月 | Aハ大正6年改造 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 無利用 |
甲・乙がコンクリート化されて残っています。『積丹半島袋澗現況調査』では国道229号尾根内橋の架設のため完全に埋め立てられ仮説道路となっていましたが原状回復されたようです。
積丹半島袋澗現況調査 | p.22 |
積丹半島の「袋㵎」 | pp.19,105 |
固有の名称 | – |
経営者 | – |
所在地 | 古宇郡神恵内村大字神恵内村 |
築設年月 | Bハ大正3年改造 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 無利用 |
堤が戊の一部だけ残っています。切澗は湾頭側から土砂に埋まりつつあります。
積丹半島袋澗現況調査 | p.23 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.106 |
固有の名称 | – |
経営者 | 武井富男 |
所在地 | 古宇郡神恵内村字魚谷5 (現古宇郡神恵内村大字神恵内村) |
築設年月 | 大正□年頃 |
堤の構造 | 間知練積及石枠 |
現在の利用 | 無利用 |
『積丹半島袋澗現況調査』では国道229号魚谷大橋の架設のため完全に埋め立てられていましたが原状回復されたようです。堤は甲のみがわずかに現存。石枠の箇所は全く破壊されていますが床掘りと柱の跡が見えます。切澗は浅くなりながらもよく残り、中に転倒した堤体が沈んでいます。
積丹半島袋澗現況調査 | p.23 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.107 |
固有の名称 | – |
経営者 | 小倉十兵衛 |
所在地 | 古宇郡神恵内村字祈石 (現古宇郡神恵内村大字神恵内村) |
築設年月 | 不明 |
堤の構造 | 間知練積堤及石枠 |
現在の利用 | 無利用 |
『積丹半嶋袋澗分布圖』では国道229号神泊大橋の架かる入り江にありますが実際は北隣の祈石大橋の架かる入り江にあります。『積丹半島の「袋㵎」』の時から石垣がわずかに残る程度です。近くには護岸工の石垣が残っています。
積丹半島袋澗現況調査 | p.23 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.108 |
固有の名称 | – |
経営者 | 金澤郁蔵 |
所在地 | 古宇郡神恵内村字小祈石 (現古宇郡神恵内村大字神恵内村) |
築設年月 | 不明 |
堤の構造 | 間知石練積 |
現在の利用 | 無利用 |
『積丹半嶋袋澗調査圖』の時点で堤の破壊が始まっており、『積丹半島の「袋㵎」』時点でかなり破壊しつくされています。現在は根石だけの石垣が並んでいます。切澗によって袋澗の形自体はよくわかります。『積丹半嶋袋澗分布圖』では神泊大橋の架かる入り江にありますが実際は北隣の祈石大橋の架かる入り江にあります。
積丹半島袋澗現況調査 | p.24 |
積丹半島の「袋㵎」 | p.109 |
固有の名称 | – |
経営者 | 金澤郁蔵 |
所在地 | 古宇郡神恵内村1番地字小祈石 (現古宇郡神恵内村大字神恵内村) |
築設年月 | 不詳 |
堤の構造 | 間知練積 |
現在の利用 | 無利用 |
『積丹半島の「袋㵎」』時点でかなり堤が破壊され、『積丹半島袋澗現況調査』ではわずかしか見られません。切澗によって袋澗と分かります。『積丹半嶋袋澗分布圖』では神泊大橋の架かる入り江の外にありますが実際は入り江の中にあります。