澤口庄助
古宇郡神恵内村の人。初代は陸中国鹿角郡毛馬内村(現秋田県鹿角市)の生まれで、天保2年2月(グ暦1831年2-3月頃)に神恵内に渡り場所請負人に雇われ漁業や海域の調査を行った。天保12年(グ暦1841年頃)独立し神恵内村フエタウシで漁業を始め明治には大変な富豪となっていた。彼の嗣子初太郎が袋澗を考案し文久2年(グ暦1862年頃)初めて築設したとされる。初太郎は1873(明治6)年4月早くして亡くなったため陸奥国下北郡佐井村(現青森県下北郡佐井村)から女婿を招いて家を継がせ、2代目庄助を名乗った。
『積丹半嶋袋澗調査圖』記載の経営袋澗はS26、S46、S49、S50、S51の5箇。