向こうに見える前回終了ポイントから第2尾路園川橋梁を挟んでこちらまで、約12mの距離を進むのに擁した時間1年半。スピードを考えると金栗四三よりも遅い。
橋から伸びる線路の跡は、繁茂の季節が残した置き土産がニョッキニョキ。もちろんこれを知っててアウトドアに適する季節からずらして時期をうかがい、こんなに日を開けての再開としました。
左は山がちでまだ峠を下っているという感覚を誘う一方、右手では甜菜収穫真っ最中。胆振線スタート地点であった伊達は日本で初めて甜菜精糖工場が作られた場所といい、現在も工場が稼動しています。ここで採れた甜菜ももしかしたら伊達まで運ばれるんでしょうね。
線路は一度林道と交差しただけで相変わらずの藪。せっかく時期を選んで来たのに笹薮じゃあ夏とあんまり変わらんじゃないか。ザブザブと藪を掻き分けて突然現れた橋。塗装記録表によると金山沢川橋梁という名前。橋歴板からに櫻田機械(現サクラダ)が建造したということなので前々回の尾路園沢川橋梁と同級生ですね。
金山沢川橋梁を渡ればその地は虻田郡喜茂別町。胆振線を半分ほど走破したという区切りのよいところで、胆振から後志へと行政区上でも大きな区切りを迎えました。さっきもちょっとだけ後志に入ってました。詳しくは地図を見てね。
隣の道道もよく見えない。目の前の川もよく見えない。川には橋があったはずなのに、これを見つけられないのはよく見えないのではなく撤去されてしまっているからです。前回までしきりに参照していたサイト「ako_kzのホームペヱジ ―カブ,建築物,鉄道,廃線探訪,ホーロー看板,旅行―」は閉鎖してしまいましたが、かつて公開されていた資料ではこの橋は第1尾路園川橋梁。
踏切を以って道道と交差し、金山の集落へと入ります。新大滝駅を出てからというもの山また山、藪に次ぐ藪。久しぶりに人里に下りてきました。
踏切の先で転回所を兼ねたバス停があり、ここが御園駅があった場所のようです。「御園」は「オロ・ウェン・ヌプキ・ペツ」の「オロ・ウェン」に「御路園」の字を当て路をとって駅名としています。「オロウェン」って、駅名では「御園」・「尾路園」・「尾路遠」、トンネルでは「おろえん」・「尾路園」・「尾路焉」、河川名では「オロウェン尻別」、現存しないけど地名では「御老円」。と同じ語源と思われる派生がご近所にこんなにあります。オロウェン七変化恐るべし。
御園駅を出た胆振線は始め山際、後から田園に出て次の駅を目指します。山際を走ってるうちは良かったんですが、田園に出ると何もかもきれいさっぱり撤去され農地化していました。
橋の直後で道道と交差していた所は道道が付け替えられ現存していました。但し残っているのは道道だけで胆振線はものの見事に撤去済み。
今日は短いですがここまで。今日って撤去ばっかりで小さい橋とプラットホームしか無かったですね。「やったぞ」という達成感がほとんどゼロでした。
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