雪も解けたことだしボチボチ胆振線の続きに行ってきました。
前回の終了地点と同じ位置・同じアングルの写真。しまったー!尾路遠の「遠」が「園」になってるー!駅名標は「園」になっていたそうなので間違いではありませんが……。広島峠を下った国道の旧道と交差する胆振線は、ここから先少しの間林道となっています。
突然林道が急カーブ・急坂で左の山へそれると、ここからは線路跡が独立して笹藪へと直進していきます。今の時期だから直進の線路跡が想像できますが、藪が濃くなると二十数年前まで列車が走っていたとは思えない状態になります。
上の写真で線路跡が左カーブしていますが、そのカーブの辺りは小さな掘割になっており法面には土留めが施されています。早速遺構が見つかってワクワクしてきますね。
右手には木々の切れ間から道路が2本のぞいています。上のカーブしている方は国道276号、下の直線は道道695号です。国道が現在のルートになる以前は道道が国道に指定されていました。
先ほどより大きな掘割地形です。ここには土留めこそありませんが落石防止策が設置されています。さらに路盤には丙号距離標が残っています
掘割を抜けると今度は谷を盛土で越えます。堤上には「B」とペイントされた標が残っていました。書いてなかったですが初回の昭新第3放水路橋りょうにも同じものがありました。
盛土部分を渡り終えると小さな掘割を抜けてまた盛土です。峰と谷を交互に越え山腹をトラバースする、山道の一種の典型例です。
再びの掘割。完全に木製の落石防止柵(枕木の転用?)始めて見ました。それに崩壊しかけの土留めを木でつっかえてるのも初めて見ました。廃止後なら崩壊してもノープロブレムだろうから、まさか廃線前からこんな状態で使われていたんでしょうか?
上の掘割を抜けると白樺の並木がお出迎え。路盤には古いダブルトラックが刻まれています。しかも右の写真を見てもらえればお分かり頂けますが、刈り払いがされています。しばらくぶりに鉄道関係以外で人の痕跡が見えてきました。
並木が切れたところで丙号距離標。この付近はたくさんの空き缶が捨てられていましたが、賞味期限はどれも2000年以降。ますます人の生活圏の近づきを感じます。
そしてこの直後山菜取りに来ていたというお二人組と遭遇しました。「すぐそこに住んでるんですよ」と指さす方向には森の中に民家が一軒。おお、やっぱり近くに人が住んでた!
地図だともうすぐ尾路遠仮乗降場なのですが、その手前の盛土には線路脇に土留め・擁壁が組まれ意味ありげな小さな平場が設けられていました。尾路遠仮乗降場の付属施設でもあったんでしょうか。
特に何か変わったものがあったわけではありませんが、景色がよかったので撮影。今日はほとんど森の中しか歩いてないので気分転換。
旧版地形図が示す尾路遠仮乗降場付近の現状。尾路遠仮乗降場はマニアの間では謎が多いとか。新大滝を背にして左に謎の盛土、左にはローソンの看板でおなじみのミルク缶(かな?)。建物や駅の痕跡は見当たりません。北海道鉄道とスタンプの写真集さんには貴重な貴重な尾路遠仮乗降場のカラー写真がご覧いただけます。その写真を見るとどうも僕の見た盛土はプラットホームと建物の土台ではないかと思います。またDoctor”TT”のホームページさんではすんごい詳しく研究されておられますのでハイパーな人は要チェックです。
尾路遠仮乗降場を出るとすぐ左カーブ。掘割ではなく右は平場で、古い木材が散乱していました。かつて資材置き場か何かに使われていたのかもしれません。
本日1番深い掘割をくぐります。落石防止柵・落石防止ネットは落石でいっぱい。
掘割を抜けると道が交差します。左はゲートの閉まった林道。右は数百mで道道に至ります。ここまで今日歩いた区間は地形図ではすべて徒歩道となっていましたが、ここから先はしばらくなんら道の記号がなくなっちゃってます。大丈夫でしょうか。
さらに路上に湿地発見。徒歩道じゃないらしく、この辺から灌木が多くてペースがガタ落ちになりました。
制限15。15km/hっておっそ!と思いましたが今の僕はその10分の1も出せません。
続いて真っ白の謎の標識。この辺りは笹藪がひどく分速10mとかそんなスピードでしか進めませんでした。
藪に足を取られ転倒し自転車のハンドルに顔面強打したら眼鏡のレンズが外れちゃいました、の図。少し昔の眼鏡ってティッシュでこすっただけで傷ついたのに、今の眼鏡ってすごいですね。こんなんにしても全く傷つかないんですよ。レンズ外れてもすぐに戻せるし。技術の進歩万歳。
やっと藪を脱出。距離はそんなに長くないのですが予想外に時間を取られてしまいました。これから先は比較的歩きやすい路盤が最後まで続きます。
で、でたー!落石覆いだー!地形図に載ってないし事前に調べた時も全く情報なくて、こいつが見えた瞬間びっくりしました。胆振線はすでに探索がされネット上に情報がたくさんあるというのに、こんな大きなものが漏れてしまうこともあるんですね。ちなみにこの辺りの胆振線は並行する道道から遮るものも少なくよく見ることができるのですが、落石覆いだけ出っ張った地形に隠されその存在には気付きにくいという状態です。
落石覆い内部。柱の1本には丙号距離標兼任しています。もとは掘割だったっぽい地形で、削った面がもろかったから後年落石覆いを設置することとなったのでしょう。でも落石覆い内の法面保護が甘かった(っていうか何もしてない)ため落石は上からでなく内部の法面で発生しちゃってます。
落石覆いを出て右は下まで降りていける小道がついていてその取り付きには写真の「地中導体埋設標」なるものが立っていました。よく分からないですけど何か大事なものが埋ってるんでしょう。小道の先は川にぶつかって途切れていました。
ひとっこ一人見当たりませんが久しぶりに人の生活圏が近く感じる瞬間に出会えました。胆振線は畑の中、高い盛土の上。まるで存在をアピールしているかのようです。
盛土の上を進むと橋発見。下は道路なので跨道橋(架道橋)。塗装記録表によると尾路園架道橋といいます。
下の道路から見た尾路園架道橋。今にも列車が走ってきそうな風景だなあと思ったので……
架道橋のすぐ後には川を渡る橋があったようです。久しぶりに登場していただくako_kzのホームペヱジ ―カブ,建築物,鉄道,廃線探訪,ホーロー看板,旅行―のデータでは第2尾路園川橋梁というそうです。
と、今日のところはここまで。次回橋の向こう側からスタートします。
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