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胆振線(伊達紋別駅~壮瞥駅)

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先達ては写真アップしなくて済みませんでした。今日も伊達紋別駅から壮瞥駅まで歩いてきたので写真付きで書いてきます。

胆振線はに全通し、に廃止された路線。今日歩いた区間は起点の伊達紋別駅から上長和駅を通って壮瞥までの10.3km。


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スタートは胆振線の起点である伊達紋別駅。伊達紋別駅は国鉄長輪東線の駅として開業しました。伊達紋別駅の建設当時、駅の位置をめぐって町の住民は東側・西側に分かれて激しく対立しましたが、それぞれの主張する位置の中間にすることにしました。その位置というのが紋別川と気門別川の合流地点(地図)付近のため工事に余計な金がかかると予測されました。その余計な分というのは町の負担になるわけですが、用意できなかったため結局国鉄任せになり現在の位置に落ち着きました。路線はに長輪線、に室蘭本線に改称し現在に至ります。胆振線が廃線となった後も室蘭本線の駅として活躍していて、開業当時のままの駅舎は日本の近代土木遺産に指定されています。胆振線の軌道は室蘭本線起点側、即ち写真右側にのびていました。


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伊達紋別駅を出た胆振線は室蘭本線と別れ最初の踏切を越えます。室蘭本線と別れてから踏切までは完全に企業の敷地になってしまっていますが、踏切を越えてからはサイクリングロードとして再整備されています。


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サイクリングロードに入ると左には公園がありここには以前列車の車輪が展示されていたとか。公園前のサイクリングロードには写真の遮断機が植えられています。遮断機の向きがおかしいですしそもそも道とは交わっていない場所に立っているので移動されてきたのでしょう。


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胆振線跡のサイクリングロードはしばらく桜並木を見ながら続いていきます。時刻はまだ午前5時だというのに意外と散歩やジョギングの方が多い。


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桜並木の途中ですが、ここで暗渠をくぐります。明らかに列車の高さより低いのですが、それもそのはず。胆振線跡の上をゆく道路はつい3,4年前にで来たばかり。最新版の地形図ではまだ建設中。当然列車が走っていたころは暗渠はありませんでした。


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暗渠の直後には正真正銘の跨線橋。上を横切るのは国道37号です。


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跨線橋をくぐるとまた桜並木が続いています。


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サイクリングロードを上長和方面に進んでると右側に伊達温泉があるんですが、温泉施設の裏手付近には距離標が立っていました。かすれながらもしっかり読み取れる「2」の文字。ここが伊達紋別駅から2km地点のようです。


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ここで長流川を渡ります。往時の胆振線の橋梁であった橋梁は撤去されて、新たにサイクリングロード用のちりりん橋が建設されました。ako_kzのホームペヱジ ―カブ,建築物,鉄道,廃線探訪,ホーロー看板,旅行―さんによると胆振線時代の橋梁名は「第5長流川橋梁」だそうです。


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この錆びっぷりは廃止前からのものでしょうか。どこかノスタルジックな無遮断機の踏切。サイクリングロードを挟んだ両側に立っています。


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前方にサイクリングロードの頭上を越える大きな橋が見えてきました。あれは道央自動車道の長流川橋。高速道路の橋では日本一長いんだそうです。その手前には距離標が残っていました。先程伊達紋別駅から2km地点で見た距離標は「甲号距離標」と言って1kmごとに立てられる距離標で、今回見つけた距離標は「乙号距離標」と言いx.5kmの地点に立てられる物です。これは1/2の下に3という数字が読めるので、伊達紋別駅から3.5kmだということが分かります。


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道央自動車道をくぐってからしばらく田園地代を進むと、伊達紋別駅を出て一つ目の駅に到着です。胆振縦貫鉄道の上長流停留場として開業し、駅に昇格、に上長和駅に改称しました。ホームや待合室は作りかえられてるっぽく、現在サイクリングロードの休憩所としてトイレ・ベンチ・駐車場などを備えています。


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上長和駅を出て壮瞥方向へ直ぐのところには踏切によくあるあの虎柄の柵がありました。正式には踏切注意柵とか言う名前らしいです。


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サイクリングロードはもう少しで終点になりますがここでも距離標が残っていました。草に埋まっていて、1回目に歩いた時は気づきませんでした。アップ画像がピンボケですみませんが、6kmのキロポストでした。


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さあサイクリングロードの終点です。サイクリングロードは右カーブして暗渠の中に消えてますが、胆振線は直進してました。築堤の上には道道981号と道道703号の交差点がありますが、胆振線廃止時はどちらの道も盛土でないばかりか開通もしておらず、別の道が1本平面交差していただけでした。


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サイクリングロードに従い暗渠を越えると道にぶつかりサイクリングロードは終了します。胆振線跡をたどるには左折すれば直ぐに復帰できます。


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胆振線跡の続きです。築堤の先の胆振線は農道として第二の人生を歩んでいます。


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農道となっているここにも距離標がありました。いままで見てきた甲号とも乙号とも違う小さな距離標は、丙号距離標といって100mごとに置かれるものです。写真の距離標は「4」と書いてあるので起点からx.4kmであることを示しています。先程6kmの距離標を過ぎたところなのでおそらく伊達紋別駅から6.4km地点だと思われます。


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この後胆振線跡は農道と別れ藪の中へと突っ込んでいきます。そのため不鮮明となりますが、写真の様に軌道跡がそれとなくわかる箇所も残っています。


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藪と雑木林を抜けて視界が開けました。ここは左右を畑に挟まれている築堤で、国道からも見る事が出来ます。


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この見晴らしのいい築堤の上に引っこ抜かれた丙号距離標が打ち捨てられていました。付近に甲号・乙号がないため確証はありませんが、地図で計ると伊達紋別駅から7.7kmのようです。


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7.7kmの距離標の目の前では築堤が豪快に削られていました。削られた跡には轍が付いてるので、奥の畑に農耕車を入れてるんでしょう。勿体ないですが邪魔ならしょうがないですね。


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削られた築堤の先にはまた丙種距離標です。7.9kmでしょうね。


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さて、見晴らしの良い区間も終わりまた藪と林が始まります。藪に入る直前は小さなガーダー橋が架けられています。


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藪に入って間もなく、一面の緑からひょっこり生える距離標発見。8kmです。よって先程見つけた2つの丙号は7.7kmと7.9kmであってるでしょう。


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藪を進んでいくと暗渠の橋梁がかけられていました。橋銘板によると名は「昭新第3放水路橋りょう」。


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藪を漕いで進んでいると軌道跡の脇に小さな橋がかけられていました(写真左)。列車が走るにはあまりに華奢に見えるのですが、保線なんかに使われた車道の跡でしょうか。胆振線はこのちいさな凹地を暗渠で越えてます(写真右)。


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上の地点の近くには丙号距離標がありましたが、塗装が剥げて距離は読み取れませんでした。


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毛利観光果樹園さんの裏手は一段と藪が濃くなっています。今までチャリ押してここまで来ましたが、ここで放棄。少しの間歩いていきます。


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数十m歩くのに10分もかかってたどり着いたのは橋梁の跡地。笹で見えませんが足元を壮瞥川が流れています。先程もお世話になったako_kzのホームペヱジ ―カブ,建築物,鉄道,廃線探訪,ホーロー看板,旅行―さんによると第1長流古川橋梁という橋がかかっていた模様です。


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チャリを回収後一旦国道に出て壮瞥の市街地の方まで来ました。市街地に入る手前で国道のすぐわきまで胆振線が接近し、道路と鉄路が平行して走った区間です。


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国道との並走区間は400m程で終わり、壮瞥駅に到着です。駅の跡地は現在壮瞥町の役場が建っており、駅らしい痕跡は見つけられませんでした。数年前までホームが残っていたということですが、から使われている現役場の建設に際して撤去されたのかもしれません。
今日はここまで、次回からこの続きを行きます。


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胆振線関係ないけど壮瞥で昭和の物件発見w場所は下立香橋ん所でーす。


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コメント

  • vogel
    2014-10-31T00:15+09:00(JST)

    貴方は私の行きたい所の殆ど行ったいますね。うらやましい。

  • Morigen(管理人)
    2014-11-03T23:11+09:00(JST)

    いやいや”隣の芝は青い”ですよ。
    僕は行っても体力無くてあんまり楽しめてないことが多いですから。