鈴川の町外れで探し物するでもなく山菜採るでもなく、人目に付かぬ草むらでガサゴソする僕。完全に不審者です。北鈴川駅を出発した不審者1名、今日も進んでまいります。
北鈴川直後で尻別川を渡る橋は橋脚の一部を残し撤去済み。廃好きにはうれしくない所業。これから現れるであろう遺構に期待して向こう側へ……しかしこの後期待は徹底的に打砕かれることに。
地図でははっきり示されている国道の跨線橋も撤去。4年位前は確かに跨線橋は残ってたんだけれどなあ。前後の路盤も消滅。この後ずっと何も無し。
農地を一直線に切り分ける築堤付きの線路はさぞや邪魔だったでしょう。跨線橋の後は何もかもが無くなっていました。しばらくぶりに見た築堤に入ったのは2kmも後になります。
路盤を歩いていると傍らに「端子箱」というものがありました。「携帯電話機用」なんて書いてますけど胆振線に関係しているものでしょうか?
直後にまた路盤は消滅し登延頃川橋梁、第1尻別川橋梁の2橋も御多分に洩れず撤去。あえて言えば第1尻別川橋梁手前だけ数十mだけ築堤だけ残っていましたが、こんなことをわざわざ出してくるほど書くことがありません。
喜茂別川橋梁を渡って喜茂別の市街地に入ると、胆振線廃止前からあった道や林が胆振線の線形を彷彿とさせますが、喜茂別駅付近は宅地化が進み駅であることは分からなくなっていました。
駅があった当時の駅裏に当たる場所には車掌車を利用した倉庫が置かれていました。後ろには「国鉄」のペイントがあるコンテナもあります。ここに着てようやく形ある鉄道遺構。このボロさから胆振線廃止前からこうして使われているものと思います。
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