シューパロ湖の橋(と発電所)

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三弦橋が見たかったので来てみました。なんとなく南部から見て対岸の方に来てみました。わーすごいねー。
……ってそんなにサラッと書ける程気軽に来れたわけじゃなくて、長くて険しい道のりがあってやっとここに来れました。


初回のアタックは2010年9月12日。この日は「さあ入林だ!」って時に熊避けセット忘れてきているのに気づいて、わざわざ家まで取りに戻ったんですよね。恥ずかしながら険しんじゃなくて自分の阿呆に起因する敗北でした。んでその翌日、熊避けセット自慢げに提げて歩き始めたものの一つ目の橋を見ることも叶わず終了。三度目の正直で来た時は三弦橋を目と鼻の先にして辛酸を飲み、4回目は2回目と同じルートでやらかし、5回目は凍結した湖面を歩いて行ったのにまさかの氷溶けかけで中断。初回から1年後の実に6回目の挑戦でついに三弦橋の床組みを踏むことができました。


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シューパロの人目につかない小さな入り江で、塗装か錆びか赤茶けた2段の三角のパネルで賢く佇むその姿。マニアな皆さんならもうお気付き、夕張岳森林鉄道第6号橋梁。今まで散々陸路でバカ見てきたので、ここまでは船というチートを使いシューパロ湖を渡って来ました。インフレータブルカヤック9,455円、空気入れ1,880円、ライフジャケット2,830円、シューパロの思い出プライスレス。って船やっす! 思わず衝動買いしてしまいました。5回目に来た時車を止めた国道沿いの駐車場チックなところから船を出し、まずは一番近い6号橋梁に上陸しました。ここから5回目と同じく三弦橋まで近づいてく作戦でいます。
夕張岳森林鉄道が敷かれた1946(昭和21)年当時大夕張ダムは無く、もうちょっと湖寄りに架かっていました。これも見たかったんですが、顔を出すほど水位は低くありませんでした。ダムが完成する前、シューパロ周辺の林鉄には4橋のJKTがあり、ダム建設に際し、解体又は新線に最再利用されたと考えられています。目の前にある第6号橋梁は夕張岳森林鉄道旧線下夕張川橋からの転用だそうです。水没の補償工事は1953~1958年(昭和28~33年)に行われたそうですが、側径間は1951(昭和26)年製作の銘版が貼られているので上部工のすべてが転用かもしれません。


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ちなみに今日は橋を渡ったり穴に入ったりといつも僕の悪乗りに付き合ってくださるT先輩に同行していただきました。前日に誘ったら「面白そう。うん、行く」と即答。ギリギリで誘う僕も僕ですが、軽いノリでOKしちゃう先輩も先輩。でも誘ってから1時間後には山行・風呂・着替え・車中泊の用意が整っているという謎。まことに勝手ながら世界七不思議のひとつに登録しました。もうT先輩最高。


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6号は溶接された三角形のパネル同士をピンで接合して組み立てるもので、日本の溶接橋の嚆矢的な存在だそうです。「デアゴスティーニ 週刊JKTを作ろう」があったなら、最終巻までひたすら三角形のパネルしか付いてこなそうですね。


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2径間のJKTは共に27.500mの支間長で、最大32m取れるというJKTの最大支間長に迫る長さです。


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第6号橋梁から第5号橋梁に移動中。左が6号、右が5号。3橋しか現存しないJKTが岬ひとつ挟んで隣の入り江に!


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第5号橋梁は夕張岳森林鉄道中に建設されたもうひとつのJKT。6号の支間長は27.500mでしたが、5号は20.000mとやや短くなっており、一重での使用です。大夕張ダム建設前、旧線第1号橋に使われていたものを再利用したものだと言われています。旧線が建設されたのは1942~1946年(昭和17~21年)という言うまでもなく物資不足の時代で、苦労して探してきたのがJKTなんだそうです。にわか仕込み的な設置にもかかわらず新線にも再利用され今では土木遺産の現物資料として文化的価値まで付くなんてことは思っても見なかったでしょうね。


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第4号橋梁まで来ました。4号は再利用ではなく補償工事で新造したトラス橋のようです。支間長は第1号橋梁(三弦橋)に次いで長い60m。10mと9.85mの鈑桁の側径間を持ちます。


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4号からは湖をはさんで真正面の対岸に大夕張ダムが位置しています。大夕張ダムの向こうにはJKTらを水没せしめんとする張本人の夕張シューパロダムが聳えます。1961(昭和36)年完成の大夕張ダムの補償工事で、夕張岳森林鉄道では6つの橋が架けられました。そのすべての橋と大夕張ダムは再来年の2013年に夕張シューパロダムが完成すると北海道最大の人造湖となるシューパロ湖に没し、この光景は永遠に失われることになります。


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今日のダム水位はこんな感じですが、もっと低くなるとここからも旧橋が出てくる可能性高しです。僕が持っている唯一の旧橋の位置を知る術である地形図先生によると、ダム補償の付け替え前には今の1号、4号、6号に当たる場所に橋の記号が描かれていました。1942~1946年(昭和17~21年)に行われた旧線最初の敷設工事では11,621m路線中に12箇所の橋と23の桟道橋が建設されました。当時は木橋も多かったでしょうが、なかなか良い木は使わせてもらえず苦労したそうです。


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第4号橋梁の側径間……じゃなくて第3号橋梁。周りがガタイのいい橋ばかりなので小粒にしか見えません。しかしこの短径間の鈑桁は長さ20mで、6号のJKTと同じ長さがあるのです。


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胆振線だったら橋があるだけで大喜びなのに大夕張でガーダーだけだったらこの残念な感じ。大夕張はJKTとか三弦橋とか旭沢橋梁とかレベルが高すぎるんですよ。JKTは小巻沢を含めると現存するものが全部揃ってるし、旭沢橋梁みたいなトラスドガーダーはかつては遠幌加別川橋梁含め7橋32連もあったという度を越えた凄さ。


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第2号橋梁は4号と同じく下路のワーレントラス。細々した所が4号とは違っていると思ったら、4号は函館ドック、2号は桜田機械と製作会社が異なっていました。


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次に見えるは第1号橋梁、またの名を三弦橋と称する夕張岳森林鉄道のラスボス。


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ということで、三弦橋が見たかったので来てみました。なんとなく南部から見て対岸の方に来てみました。わーすごいねー。に繋がるわけです。よく四角錐を並べ上の頂点をつないだ様と形容されますが、もし「デアゴスティーニ 週刊三弦橋を作ろう」があったなら、最終巻までひたすら四角錐の(以下略)。旧線時代ここには下夕張橋という橋が架かっていて、この主径間は27.5mのJKT*2でした。これが上に書いたとおり後に第6号橋梁に再利用されたと考えられています。三弦橋への切り替え工事は1956年から下部工、1957年から上部工の架設が行われ1958年6月に供用を開始しました。


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橋長381.80mを7径間の鋼ワーレンで結び、橋脚は最大42.5mの高さがあるというこの大規模橋梁が、大真面目に森林鉄道1級線F.R.S.12という林鉄用の活荷重で作られています。しかしながらF.R.S.12というのは林鉄用で最上位の規格であり、地味に格の違いを見せ付けてきます。


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第1号橋梁に来た者だけに許されたこのアングル。この写真を撮らねばならぬと神様が僕に囁いてる。仏教徒なのに。外から見ても中から見ても見事に三角。当初は湖を迂回して線路を敷く予定が湖を直角に横断するように要求されたのがこの三角断面の遠因になりました。湖を直角に横断すると延長は長くなり使用鋼材が必然的に増えます。またダムに近いので重心が非常に高くなってしまいます。さらに設計者である有江義晴は景色との調和や美しさにこだわる方でした。これらの問題を一手に解決したのが三弦トラスで、使用鋼材は4弦の約半分で重心は低くなりランドマークとして親しまれました。そんな第1号橋梁でしたが1963(昭和38)年に林鉄廃止のため現役をわずか5年で退き、今に至るまでただの一度も復活することなく、廃止からちょうど半世紀に当たる再来年水没となる予定です。航路確保のため1径間だけ取り外すとか、どこかに移設して保存するとかいろんな話が浮かんでは消えましたが、今んところは完全な姿で水葬される予定のはずです。


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1号の起点側は夕張岳トンネルを抜けて南部地区に抜けます。袂の右は夕張シューパロダムの建設現場で左は見てのとおりの崖。1号橋梁の起点側にアプローチするにはトンネルを通るしかなさそうですね。いまさら何をと言われそうですが、いつかは向こうにも行きたいのですよ。夕張シューパロダムインフォメーションセンターの方の話では、そう遠くない昔登山帰りと思われる若者が一人、夕張岳方向から林鉄跡を伝い三弦橋にたどり着いたとか。たぶん下山後に「凄い橋あるらしいから帰りに渡って帰ろ」という発想に至り、三弦橋の現況も知らぬまま来ちゃったんでしょうね。崩落斜面も金尾別もJKTも全部突破したその若者は三弦橋も渡ってダム側で待ち構えていたダムの職員に保護されたとか。僕はそんなハイレベルじゃないのでこの後普通に船で帰りました。


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夕張市街で風呂と飯を済ませて、気分転換に廃墟にでもきて見ました。ベクトルの向きがが限りなく近いけど気分転換なの!この建物は夕張で採炭を行っていた北海道炭礦汽船が自社の自社による自社のための発電のために建設した「清水沢火力発電所」の残骸。北炭は1898(明治31)年に幌内炭鉱で直流5.5kW発電機を設置したのを皮切りに、採炭や鉄道事業に供するための発電設備を設置していきました。現存レンガ発電所の楓発電所は1913(大正2)年、現役レンガ発電所で有名な滝の上発電所は1924(大正13)年など。それでも事業の発展に電力が追いつかず1925(大正14)年にはこの清水沢火力発電所が着工することになります。完成したのは翌年で、6,000kWの発電機1台を擁したこの発電所により北炭は17,000kWの電力を自社でまかないました。清水沢火力発電所は北炭が自社で掘った石炭を自社で発電に利用する石炭火力発電所でした(一時期坑内から出るガスも集めて燃やしていた)。1931(昭和6)年6,000kW発電機1台を増設し、これまで各鉱に分散させていた小発電所を廃止。こうして北炭は栄華を極めた……はずでしたが、これでも電力が不足してきたので、1937(昭和12)年から更なる拡充を進めました。戦争中なのにさすが北炭は元気ですね。


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廃墟だけれど現在もいろいろと使われている建物なので許可は必要なのですが今回はアポなし。頼めば大丈夫かな?という世間様をなめきった考えのもと現地に着いてみればあらビックリ、今日に限ってイベントのため入り放題ではありませんか。


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最初に入った部屋は白いタイル敷きのきれいな部屋。写真奥の壁際には計器や表示灯が並び発電所っぽい。


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発電機が設置されていたんだろうなという大部屋。


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2階。床に並んでるモノや空中を舞っている白いモノはイベントで展示されているアートです。


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発電所を出て別の棟へと向かいます。発電用の石炭は向こうから写真に写ってる建物を経由して発電所に運ばれていました。いまから向かうのはこの建物じゃなくてその奥です。


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崩落途上のレベルの高い廃墟ですね。こんな所にもアートが展示してあって一般の人もどうぞって感じになってます。


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アート作品じゃないけどもう既に退廃的アート。「北」の字が入ったメットや書類がそのまま放置されています。関係無いですが今の子供達はダイヤル式電話の使い方が分からないらしいですよ。あ、どうでもいいですね。


上の建物は背が斜面に面していて、斜面沿いには棟続きになっていたような建物の残骸が見えたので行ってみました。 20110919163248DSC_2869.JPG
建物は全壊でしたが、斜面にそって細長く伸びるものだったようです。赤い骨組みがポツポツ見えその背後には穴があるように見えます。


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やはり穴でした。穴の中にはベルトコンベアのマシンが残っています。ここを石炭が通って発電所まで運ばれていったのでしょう。


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ピンボケ写真ですみません。廃墟に来て穴に入るとは思わなかったものでライトの用意をしてなかったんです。穴はそう深くなく10~20mの長さでした。肉眼では真っ暗でよく分からなかったのですが、写真を見ると奥には何かの装置が見えますね。後でアートを展示してた学生さんに聞いた所によると、ここで列車からベルトコンベアに積み替えたということです。


清水沢火力発電所は1991(平成3)年に火力発電所としての歴史に幕を降ろし、1996(平成8)年から解体工事が行われています。幸いなことに一部は今見てきたように残されいて現所有者の企業によって使用されているようです。今後も炭鉱遺産として永らくこの地に残り続け、今回のように一般人の目に触れる様な活用がされることを望みます。

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参考文献

  • 進藤義郎、近尚之、原口征人、佐藤馨一(1999)「大夕張地区における森林鉄道橋梁の特徴と評価に関する研究」『土木史研究』第19号(1999年5月)、pp.233-242
  • 今尚之、中岡良​司、佐藤馨一(1996)「シューパロ湖三弦トラス橋の計画・設計思想に関する研究」『土木学会北海道支部 論文報告集』第53号(B)、pp.396-401
  • 森井知孝(著)、『森林鉄道の一生-札幌営林局管内-』、林野弘済会札幌支部、1969~1971年
  • 大塚勝、進藤義郎、妹尾義孝(2004)「大夕張鉄道跡に現存する旭沢橋梁の実測調査とその土木遺産価値」『橋梁と基礎』2004年7月号、pp.35-42
  • 北海道炭礦汽船株式会社(編)、『北海道炭礦汽船株式会社五十年史』、北海道炭砿汽船、1939年6月24日
  • noritax、『北炭清水沢発電所』(http://www33.ocn.ne.jp/~noritax_world/simizuhatuden/simizuhatuden.html)
  • 北海道、『北炭清水沢火力発電所/そらち 産業遺産と観光』(http://www.sorachi.pref.hokkaido.jp/so-tssak/html/parts/10simizuzawa.html)

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コメント

  • アバター
    リッキー
    2012-08-02T18:21+09:00(JST)

    ドッペルギャンガーのインフレータブルカヤックK-10の楽天リンク、実は以前から私のブックマークに入ってました・・。ブフォ
    でもまあ、陸路にこだわってみたいというのが最後の抵抗であり。熊対策も考えなきゃなぁ。先日は自転車のベルと吼え声で互いに煽り合ったので。今度はお礼参りにロケット花火100発くらい浴びせてから進入したい。
    reallabo@hotmail.com

  • アバター
    Morigen(管理人)
    2012-08-03T20:12+09:00(JST)

    やはり誰もが船で行こうと考えるものなんですね。
    陸路なら冬が一番楽でしょうけどリッキーさんなら緑の季節に自転車でアタックしてくれるんでしょうね(期待)
    そうれはそうと熊には輪をかけてお気を付け下さいませ。自転車のベルで熊とバトルするとか、そんじょそこらの怪談話よりもよっぽど身の毛がよだつじゃないですか。ひゃーパンツ履き替えなきゃ!