積丹1周旧道旅4

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今日は積丹町野塚町から同町神岬町柾泊まで。短めですがそれなりに旧道盛りだくさんですぞ。


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西蝦夷三険岬の一つ神威岬を従える今日のルート。婦人を乗せた船は沈められるという伝説が残り実際難破が後を絶たなかった海上交通の難所です。そんな大きな絵を前に陸路の方は目立たぬ額縁となり余り歴史に登場しません。


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野塚町、国道と道道の交差点からスタート。道路が濡れてますね。天気予報では全日程傘マークが付いてたので特に驚きもありません。でもあんまり雨が続くとカメラを出せないのでどうかこれ以上降らないでくれと祈るばかりです。


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野塚から起伏にも大きなカーブにも躍らされることなく細く伸びる砂浜沿いに4km以上。積丹半島でこれほどの間何もないのは初めてです。


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始めに見えてきた岬。旧版地形図ではポロナップ岬と表記されていました。現存地名にあわせて幌内府岬とでも呼びましょうか。幌内府岬を貫く西河トンネルから積丹防災余別工区。左の真新しい西河トンネルはに供用開始。右の旧西川トンネルは竣工。


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幌内府岬でもっとも古いトンネルはこの幌内府1号トンネルです。竣工。"この"ってどれだよって?そりゃあこっちが聞きたいっす。


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幌内府1号トンネルの反対側。これなら判るね。さっきの坑口は埋まりかけていたようです。


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さらに旧西河トンネルを合わせ現道へ戻ってきました。トンネルが掘られる以前の踏み分け道を入れればこの小さな岬に4世代の道が折り重なっています。一寸の虫にも五分の魂といったところ。


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幌内府岬から武威岬までの湾には幌内府地区があります。幌内府の集落は枝道を入り国道から見えない高台の上。写真真ん中に止まっているバスから過積載のおばあちゃんが降りて坂を上っていくのを見たのでまだ人の暮らしがあるらしい。それにしても田舎のおばあちゃんはみんな高性能に育つんですね。


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幌内府橋はの現橋との旧橋、そしての旧旧橋とがあります。現橋の海側にあった旧橋は現橋とかぶってたりして痕跡なし。現橋の山側にあった旧旧橋はコンクリートの橋台が残っていました。


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幌内府岬を皮切りに破竹の勢いで小さな岬が次から次へと押し寄せます。次の岬は武威岬。


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武威岬の入り口は山西河トンネルが構えています。竣工。しかし道は大正時代の開通です。武威岬先端に幌内府3号トンネル、幌内府岬に幌内府1号トンネルがあるので、山西河トンネルの位置には幌内府2号トンネルがあったと思います。


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武威岬に激藪警報発令!視界が目に良さそうな色で一杯だ!緊急退避!


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という理由で幌内府3号トンネルには顔合わせしてきませんでした。目の前のトンネルは幌内府3号トンネルからに付け代わった幌内府トンネル。


2014-08-13追記
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藪にも負けず虫にも負けず再び幌内府3号トンネルに挑戦。


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他の幌内府X号トンネルと同年の竣功。手持ちの現況調書では素掘りと明記され、それは大正生まれのイメージからしても納得できるものですが、実態は見てのとおり。


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銘板の類は無く、装飾の類といえばアーチやスパンドレル部に溝が彫ってあることぐらい。上の方はコンクリが全く崩れてしまって想像するしかありません。


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見上げればコンクリートブロックでアーチが作られていました。なぜブロックなのか、なぜアーチだけなのか、そもそもこのトンネルだけ覆工が必要なのか。上を向いただけで疑問で首が痛くなります。


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向こう(東側)の坑口も濃ーい緑のカーテンで厳重に閉鎖されています。


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東側坑口ではさっき見た反対の坑口と見た目が違い、コンクリートの坑口で延長されています。


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武威岬と来岸岬に挟まれた武威の浜は幌内府とは対照的に崖が迫っています。


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来岸岬には今までになく多くの穴がしかもオープンで待ち構えています。左のコンクリート閉鎖は旧武威トンネル、真ん中に素掘りの旧旧武威トンネル、そのすぐ右に二つ明治時代の小さなトンネル。


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旧武威トンネルは竣工、ご覧のコンクリート閉鎖。しかし右に身を潜める穴2つに心は弾みます。


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左は旧旧武威トンネル竣工。右はその旧道、竣工。文字通り穴だらけの穴場スポットです。


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まずは左の旧旧武威トンネルにIN。幅3.2m、高さ2.8mというスペックは有名な中山隧道より少し広い程度です。そんなに狭く見えないって?そうですね。拡幅してこのサイズへなりました。


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延長69m。ずっと素掘りずっと未舗装。


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戻って明治のトンネルへ入ります。残念ながらこのトンネルがなぜ作られたのかはわかりませんでした。来岸町から岬一つはさんだ武威を結んだところで武威岬は潮に足を没せずして通ることはできません。また陸はすべて岩崖に囲まれているので来岸町から見て完全に袋小路になっていた道なのです。


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トンネルはとても短く高さ2m強の縦長な断面を呈しています。


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前後に取付道路や痕跡はありません。コンクリートを一切使わず木やその辺の野面石を積んだ道があったんだと思います。


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先にはもひとつ同じ風体のトンネルが待っています。


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奥の方でカーブ+急勾配が付いています。少なくとも土木技術に明るい人の施行ではないことは確かです。


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積丹半島に残る明治の古いトンネルは例外なく漁業に関する人が掘ってるのでこれもそうなんだろうなあ。東京の人がザンギリ頭を叩いていた頃積丹半島ではトンネル掘って文明を感じていたんでしょう。


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来岸の町に出ると来岸岬に穿たれた歴代のトンネル達を一度に拝めます。


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来岸の町をスルーして次の岬。旧版地形図によるとエナオ岬というそう。エナオ岬の現道のトンネルは来岸トンネルで右に旧来岸トンネルがあります。現トンネルは開通、旧トンネルは竣工。旧旧道はもう少し先端の方を通っています。


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旧旧道のトンネル、来岸1号トンネル。竣工。


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大阪万博で盛り上がっていた時代に日本の辺境ではこんなトンネルを生活道路としていたんですね。


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来岸1号があるならば来岸2号もあります。


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今道を作ろうと思ったら岩塊ごと削り取ってしまうでしょう。


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来岸2号トンネルを出たら旧道と合流。


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そして現道に戻ってきます。


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余別1号トンネルの跡。竣工。


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余別橋を渡れば余別の町に到着です。


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現道左に旧橋の橋脚跡がありました。の竣工なのにその上部構は木造土橋。戦後とはいえ下手したら半世紀ぐらい時代遅れな橋です。現在の余別橋はに架けられたので旧橋はわずか10年余の命でした。


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街という街は余別を過ぎればしばらくありません。息ぬきするなら余別。飯食うなら余別。泊まるなら余別。ゲーム風に言うならさながらセーブポイント。


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余別ではちょっと意地悪して街中の小さな旧道に入ってみます。宿屋の趣き漂わす建物を左に見て小路がにわかに街道めいています。


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突き当たりでカクンと折れて。


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ここで意地悪旧道小旅行は終わり。目の前を横切るのは旧道で、草垣の向こうには現余別トンネルの真新しい坑口がのぞいています。


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現余別トンネルが開通したのがだからここの旧道落ちからまだ1年半です。しかも廃道化していなく今も港へのアクセス路としての余生を歩んでいます。


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余別トンネルは密閉。そこまでする必要があったのかタイルも多くが剥がされ素のコンクリートを曝けていました。


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この旧道はまた横。


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かつての海岸線がここにあったと伝える石積み擁壁に乗って、旧旧道は岬の先へ向かっていきます。


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旧旧道のトンネルは余別2号トンネル。竣工。坑口がよく見えませんがコンクリートで塞がれています。


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まだ道というものが形を持っていなかった明治時代の旧旧旧道にはトンネルは無いと思っていました。しかしこれはもしかしてトンネル?


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ん~、人工的な穴に見えるけどトンネルかどうかは判断できかねますね。


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余別2号トンネルの神威岬側。ベニヤのような木が張られているだけのように見えますがたぶんコンパネ。あらわになっていないだけで本質はコンクリート。


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ワリシリ岬を越えて細々した岬は全部クリアしました。ここまで越えた岬5つ。そのすべてに少なくとも3世代のトンネルがあるという濃厚っぷりでした。


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あとは神威岬という飛び切りでっかい岬一つ。国道は岬の付け根に走りやすい地形を見出し草内地区から南下。


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草内で右折すると神威岬の遊歩道に出られます。観光ガイドに必ず載る女人禁制で馬の背を経て灯台までの模範的観光コースです。黙って観察してるとほぼすべての車が吸い込まれていきます。しかーしへそが曲ってる僕はそんな普通の所には行きません。


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行くなら旧道っすよね。神威岬トンネルの旧道です。


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に旧道落ちし早8年、アスファルトの隙間から草が生え始めています。


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旧道の行き止まりは草内トンネルでした。竣工で幅3.9-4.0m、高さ2.8m、素掘り一部コンクリート巻立という貧弱なスペックですが長さだけはこの時代にしちゃちょっと長めの247m。しかし見ての通り姿形はたくましく成長を遂げています。に改修して今の姿になったらしい。


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草内トンネルの柾泊側は直角カーブで外側は高さ50mの崖を構え下は海。もうこれは事故ってくださいって言わんばかりのトラップですな。昔々、国道が全通する以前、この先は小集落が3つ4つあるだけの行き止まりなのに毎年数件ここで転落事故があったそうです。事故率パネェ。そんなこんなでに工事を受けて坑口付近が改良されています。


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高さ50mの景色、事故さえ起こさなければなかなか良いではありませんか。


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落石防止の盛土で半分が埋められています。道の下は人家。道としての役目を終えた後も落石を受け止めるという新たな任務を得て頑張ってます。


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旧道の最後、生活道路と国道が立体的になっていた場所。国道の側に架かっていた橋はすでに取り除かれこの橋台しか残っていません。


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柾泊に降り立ちました。目の肥えた人は「ははーん、こりゃ旧道だな?」と思っちゃう脇道はただの道。ここの旧道分岐は歴然とわかるような痕跡は残っていません。


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ピカッ、ゴロゴロ、ザー。スコールにより強制終了。大いなる自然を前に人はあまりに無力です。いやカッパあるけどさ、出すと片付けるのめんどくさいし雨の中ではどうせカメラ出せないし。雨が止むまでこのトンネルの中で暮すことにしたので今日はここまで。


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参考文献

  • 『1:25,000地形図』
  • 『1:50,000地形図』
  • 『橋梁現況調書』・『橋梁、トンネル、立体横断施設、覆道等現況調書』各年版
  • 『北海道新聞』後志版、小樽・後志版
  • 小樽開発建設部小樽道路事務所10年のあゆみ編集委員会(編集)、『小樽道路事務所10年のあゆみ』、小樽開発建設部小樽道路事務所、1984年
  • 小樽開発建設部報道官、『一般国道229号 余別トンネルが新ルートに切り替わります 〜3月1日(木) 10時に開通します〜』(http://www.ot.hkd.mlit.go.jp/d3/hodo/ot120216-01.pdf)
  • 北海道開発局小樽開発建設部(監修)、『後志の国道』、財団法人北海道開発協会、1989年
  • 北海道道路史調査会(編集)、『北海道道路史 路線史編』、北海道道路史調査会、1990年

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  • 2014-08-13 本文中に追記
  • 2014-08-15
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  • 2014-09-09 誤字2箇所修正
  • 2016-01-09 脱字修正
  • 2016-03-20 「前へ|次へ」を追加

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