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積丹1周旧道旅3

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積丹一週第3日。積丹町の美国町から同じ積丹町の野塚町まで。この旅で唯一国道229号から大きく外れ道道913号に乗るコースです。


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ごめんなさい!はじめに断っておきますが、今日は旧道がほとんど出てこないのでそっち系目的の方には退屈な思いをさせてしまうでしょう。美国から野塚までの道の歴史は意外に深く、記録に残る中では安永7年(1778年頃)今の美国町小泊-日司町間に4里(15.70km)の道路を開削したことまで遡ることができます。これは後志全土で見ても最初の道路開削の記録だそうです。幕府直轄地となった直後の安政4年(1857年頃)にも開削の記録があります。日司町には積丹半島の一番先っちょに近い運上屋が置かれていたので当然といえば当然の話か。この道は道道913号に近く入舸川付近に点在する地区を経由していました。現在の幹線道路国道229号は婦美町と野塚町を短絡していてこのルートが完成されたのは1885(明治18)年10月のことです。当時は積丹山道と呼ばれ、その名がイメージさせる通り今の国道より険しさのあるものだったらしいですが1927(昭和2)年の車道化によりその険は除かれました。今日は道道メインで走ったのでこれはまた別のお話。


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積丹町美国町の役場近くをスタート。


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美国町からの国道は海岸道路ではなく内陸に入るルートを取ります。一気に150余mの標高を登りつめる急な坂は現代の車道では長い長い登坂車線が設けられています。まあ自転車には関係のないことですが。と言いたいところですが、途中で法面工事のため片側が規制されて交互通行を食らいました。ちゃんと自転車も待っててくれるタイプの規制で、立ち漕ぎで登ったんだけど、車詰まること詰まること。ごめんね~、おじさん年だわ。


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一度上りきってしまうと後は少しずつ下り積丹町大字婦美町へと入りました。今まで見せ付けられた崖ばっかりの積丹半島のイメージにそぐわない盆地が広がっています。こんな広い平地なんだから街の一つでもありそうなものなのに国道沿いにまばらな建物にあるだけ。主な土地利用は農地。思えばこの旅で農地も始めて目にしました。


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婦美町で国道に一旦お別れし道道913号で遠回りします。このまま国道で野塚町まで行っても何もないですから。


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道道に入ると山がちな地形になり再び上りに転じます。


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左に見えて来たこの物体。スキー場にあるような索道の停留場です。じゃあここはスキー場?いえ答えは広大なインターネット海にちゃんと眠っていました。山荘跡です。


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山荘までの道は夏の間通れそうにありません。


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道道を進み右に見過ごしてしまいそうな小さな道を入っていけば浜婦美という集落に出られます。今の今まで道路の恩恵に浴することができず無人になってしまった集落です。町へ出かけるときは漁船をヒッチハイクし、冬は郵便局員がスキーでやってきたという話のネタには事欠かない秘境。1919(大正8)年頃は45-6戸あったそうですが、1957(昭和32)年には14戸、翌1958(昭和33)年には8戸。ここまできたら余り息は長くなかったでしょう。


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入舸川に沿って下ります。


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幌武意の町が見えてきました。幌武威は「ホロモイ」(アイヌ語で大きな入り江の意)の転化だと気付けば、この川沿いの小集落の地名として不自然さを感じます。


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実は幌武意市街地から5分歩けば大きな入り江があるんですね。明治の地形図では家々は海岸沿いにしか見られません。


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入舸川を河口まで下り入舸の集落。


ちょっと寄り道

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入舸から北の坂を駆け上り島武意の海岸に出る道にトンネルがあります。1895(明治28)年4月竣工。ということは再来年120歳で大還暦を迎えることになります。僕の知る限り供用中の道路トンネルとしては道内最古。


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扁額には「島武意海岸トンネル」、左の注意書には「島武意トンネル」、積丹町史や古い新聞には「シマムイトンネル」と表記バラバラ。


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鋼コルゲート、コンクリートの覆工、幅2.5m、高さ2m、長さ70m。現在の形態になったのは1972(昭和47)年だそうで、1958(昭和33)年の写真では坑門工がなく木の補剛が入っているのが見えます。掘られた明治時代にはおそらく素掘りだったでしょう。


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人一人すれ違えるだけの狭さ、背中を丸めねば潜れぬ狭さ。


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狭さからドーンと放たれ積丹海岸の景色に飛び込みました。計算されたようなドラマチックな展開に眩しい積丹ブルーが網膜に焼きついてしまいそうです。


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トンネル含むこの道の元はといえば斉藤彦三郎なる人物の番屋に通じる道で、今でも下までおりれば番屋の土台が残っています。


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入舸町からは美国町以来海を間近に臨んでの行脚が再開します。そしておまちかね、ようやく旧道談義に花が咲きます。


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入舸トンネルは2005(平成17)年に完成。右の海際に旧道が伸びていました。


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現道からはあまりそれと解られないようなうまい隠し方です。


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人工の廃道化は取り付きだけの期間限定キャンペーンで残りは通常価格での御奉仕。


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この先8mが道道の起点から3kmの地点だそうです。ならその位置に立てればいいのに。僕の記憶にある似たを考えると、たぶんその位置にトンネルがあったんでしょうね。


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海の全く見えない高さの堤防に囲まれワインディング。地図で見るより結構な急カーブが連続します。標識はきっと「30km/hで走れるもんなら走ってみやがれ」と挑発してる。


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入舸トンネルが見えてきました。


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現道に入るとすぐトンネルがあったはずですがここはオープンカット。ここにあったのは黒松内トンネル、1968(昭和43)年竣工。


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続くトンネルも跡形もありません。ここは弁天トンネル、同じく1968(昭和43)年竣工。


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日司の街の中を過ぎると日司トンネルが親子でお出迎えです。現日司トンネルは2001(平成13)年竣工、旧トンネルは1979(昭和54)年竣工。


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反対に抜けてくるとこちらは日司トンネルと釜泊トンネル。釜泊トンネルは1965(昭和40)年竣工。釜泊と日司の竣工年に14年もの開きがあるのは何ででしょう。ちょうどその間に撮られた航空写真ではすでに日司トンネルは開通した風に見えます。この辺のトンネルはみんな昭和40年代初めに出来上がってるのに日司だけ50年代というのはどう考えたっておかしい。日司は釜泊と大差なく出来上がっていたのでしょう。


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日司トンネルから積丹川までの間にあったたくさんのトンネルは全部オープンカットされてなくなってました。


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野塚町に到着。今まで走ってきた道道913号はこの交差点でなつかしの国道229号に合流します。


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この記事の情報

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主要地点の地図

参考文献

  • 『1:25,000地形図』
  • 『1:50,000地形図』
  • 『橋梁現況調書』・『橋梁、トンネル、立体横断施設、覆道等現況調書』各年版
  • 『北海道新聞』後志版、小樽・後志版
  • 積丹町史変さん委員会(編)、『積丹町史』、積丹町、1985年
  • 北海道開発局小樽開発建設部(監修)、『後志の国道』、財団法人北海道開発協会、1989年
  • 「北海道の道路トンネル」(第1集)編集委員会(編)、『北海道の道路トンネル 第1集』、「北海道の道路トンネル」(第1集)領布委員会、1988年

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  • 2014-09-26
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コメント

  • にゃんこ
    2019-04-11T16:49+09:00(JST)

    こんにちは!
    GWに積丹一周する予定なので予習をしに・・・て、え!?
    自転車で積丹一周したんですか!?
    車に積んで行ったんではなく!?

    諸事情により夜に行くので今回は旧道まで行けませんが、
    廃トンネル観て回るならやっぱりチャリですかね~・・・
    泊り掛けで行かねば

    ちなみに今回の一番のお目当ては武威トンネル四代一挙拝観(夜は無理かな)と
    大森トンネルの洞内分岐です!
    もちろんMorigenさんのブログのおかげで出来た楽しみです(笑)

    夜の豊浜はちょっと怖いかな~

  • Morigen(管理人)
    2019-04-11T19:40+09:00(JST)

    はじめましてこんにちは!
    ええ自転車で一周しましたよ。
    とはいっても日付みると分かると思いますが途中家に帰ってますw
    3日もあれば走れるかな?と思ったて行ったらトンネルが濃密すぎで予定オーバーしちゃって……

    トンネル好きには積丹半島本当に楽しいですのでいつかは泊りがけ&自転車で行ってもらいたいです!

  • にゃんこ
    2019-04-11T22:07+09:00(JST)

    遠乗り1日100kmちょいなら余裕なんですが、泊まりがけとなると着替えなどの荷物が・・・と二の足踏んでます(‘A`)
    でもいつかは行きたいな~~・・・

    それと、はじめましてではないです・・・・(´・ω・`)

  • Morigen(管理人)
    2019-04-11T22:21+09:00(JST)

    た、大変失礼しました!去年たくさんコメント頂いてたのに!
    脳のメモリが4バイトくらいしかないもので……

    100km凄いです!僕は50kmでへとへとです。積丹一周の時は1日20kmくらいしか走ってないんです。
    にゃんこさん1日100kmも走れるのなら積丹を征服する日は近いんじゃないですかね(期待)