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胆振線(ウエンベツ隧道~北湯沢駅)

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先週蟠渓から北湯沢まで向かう途中、雨のためウエンベツ隧道の蟠渓側坑口までしか行けませんでしたが、今日は反対側の坑口をスタートとして新大滝駅まで行きたいと思います……が今回もまたもや途中までしか行けませんでした。天気は良かったんですがねえ。まあ色々あったんですよ。


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先週見れなかったウエンベツ隧道の北湯沢側の坑口にやってきました。ここに来るための最も楽な道は北湯沢方面から建設中の国道を通ることですが、できるだけ工事現場は避けたいので藪山を無理やり下ってきてたどり着きました。さてウエンベツ隧道の北湯沢坑口はあちら側と同じくコンクリで封鎖されています。


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トンネル出てすぐ左の斜面は岩がむき出しになり上から水がビチャビチャと流れ落ちています。列車が走った当時からこうなっていたのか、落石止めの柵が設置されています。


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ただし水は本来坑門の上に隠された水路を流れるものみたいですが、長い間手入れされなかったために土砂が詰まり流水のほとんどが流れ出している次第です。


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せっかく閉鎖されてる坑口ですが、一部分が削られていました。コンクリって簡単に削れるものじゃないし、国道工事の関係者によるものでしょうか。国道の工事でトンネルが開削される危険性高しですね。


追記
本文中ではまだまだ建設途中だった蟠渓道路の一部が開通しました。蟠渓道路は壮瞥町上久保内から伊達市大滝区北湯沢温泉町まで建設されている4.5kmの道路で、落石や狭隘といった問題をはらんだ国道を付け替える道路です。この多くは胆振線跡地とかぶっているか近傍にあります。に、蟠渓道路の北半分にあたる2.5kmが開通したので胆振線はどうなってしまったのか見てきました。


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雪のせいもあるでしょうが全く胆振線の痕跡は見当たりません。


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ウエンベツトンネルは……


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見えにくいけどにはまだ存在し……


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ではオープンカットされ……


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ではこのように真っ平ら。

2016-04-09追記
こちらでトンネルの諸元はじめ、解体の状況が報告されています。

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トンネルから先に進んで行きましょう。しばらくはフキ+イタドリな密度の薄い藪でしたが、やがて踏み跡が現れます。


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ウエンベツ隧道の蟠渓側にもありましたが、こちら側にも落石止めがたくさん設置されています。依然として地形が厳しいのですが、特にトンネル付近の川べりは崖の様相を呈しています。


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藪が途切れた合間にはバラストが見えるところもありました。さすがに枕木やレールは見当たりませんが。


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先週に引き続き謎の標識が立ってました。やっぱり速度制限なんでしょうか。


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ここも将来国道になるみたいですが、先へ進めば進むほど目印テープが多くなってきました。


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突然森が途切れて視界が開けたかと思いきや、線路の跡は国道の工事によって削られてしまっていました。


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削られて跡形もなくなった軌道跡を進むと、新国道の舗装路面が現れやがて橋で対岸へ渡ります。この橋の位置は新国道と胆振線では異なっていて、新国道は左カーブして橋を渡り現国道に合流、胆振線はカーブせずにまっすぐ橋を渡り森の方へ向かうルートでした。


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橋を渡った後は間もなくトンネルに入ります。本日もご登場していただくako_kzのホームペヱジ ―カブ,建築物,鉄道,廃線探訪,ホーロー看板,旅行―さんによると優園トンネルという名前だそうですが、同サイトにはこのトンネルにまつわるこんなエピソードが……

 さて、ある資料によれば、北湯沢温泉の辺りのトンネル工事は難航を極めたそうだ。温泉がある関係で、トンネルを掘削すると、非常に高温の水が湧き出る工事現場であったのだ。――中略――
 ここでは、高温の水が湧き出るトンネル工事現場に、朝鮮人のタコ部屋労働者を次々と「突入」させたそうだ。そして、誰一人として、生きて帰ってきたものはいなかったそうだ…。

なんと恐ろしい時代。そして命を代償にして建設された建造物がこんなにもたやすく遺棄されるなんて。2016-01-01追記 温泉地だし高温の湧水があったことは十分考えられることですが、タコを突入させたことは史実ではないそうです。詳しくはコメントをご参照くださいませ。長らく堂々と誤報を載せてしまいすみません。


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優園トンネルの反対側、北湯沢坑口は100m弱のシェッド付き。シェッドの中ほどから北湯沢側は比較的新しく、後年に継ぎ足されたっぽいです。


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シェッドの中を歩いていると標識が落ちていました。写真に写っている面には何も書いていませんが、ひっくり返しても何も書いてありませんでした。腕の取れた勾配標でしょうか。


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シェッドを出るとそこは大自然の中。下草だけでなく灌木も生えています。優園トンネルの蟠渓側から北湯沢側まで回り込むためにこの藪を通ってきましたが、草を薙ぎながら来たため肌の露出部分は虫刺されだらけになってしまいました。帰りは自分の踏み跡の上をチャリに跨り早々と抜け虫回避です。


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藪を抜けると北湯沢まで続く遊歩道に出ます。舗装や必要な個所には手すりも設けられよく整備された印象。


改めてチャリを走らせると何やら異常が。フロントギアが最も軽い1から上がらないではありませんか。よく見ると変速機につながるロープのアウターが破れ中からワイヤーがこんにちは。そのワイヤーも外れてさらに内側のインナーもこんにちは。アウター無き今、どれだけインナーを引っ張っても変速機に力が伝達されるはずもなく、むなしくシフターのカチカチ音だけが廃線に響くのでした。故障の原因はどこかの藪に引っかけたためと思われますが、修理できるようなものは持ち合わせておらずこのまま車に直行することにしました。不幸中の幸い、車は優徳手前の駐車場に止めてるんで、このまま胆振線跡を辿って戻れます。


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爆速で足を動かしても大してスピードの出ない自転車で遊歩道を進むと落石止とその近くに速度制限と思われる標識がありました。今まで2本の速度制限の標識がありましたが、いずれも倶知安方向に向かう列車に向いていました。しかし今回のは初めて伊達紋別方向の列車に向いたものでした。


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遊歩道は湯本名水亭さんの駐車場に始まっていました。この駐車場が北湯沢駅跡なのですが、かつて列車が止まった場所に現在はバスが止まっています。ここは今も昔も旅人が北湯沢温泉に出入りする玄関口となっているようです。
ということでチャリ故障により今日の胆振線探検はここまで。ここから駐車場までしばしの鈍行サイクリングを楽しみ無事車に到着。来週にチャリ直して出直してきます。それでは。


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コメント

  • 元鉄
    2015-12-22T15:12+09:00(JST)

    こんにちは。札幌市在住の元鉄と申します。
    廃線についての記事、楽しく読ませていただきました。
    さて、
    家内の父が胆振線の建設にタコ(他雇)として従事しておりました。
    タコと言っても岳父にとっては強制労働的なものでなく、
    類稀なる身体の強さであちこちの建設現場で文字通り引っ張りタコになっていたようです(笑
    (もちろん胆振線建設にも本当の意味でのタコはたくさん居たようですが)
    貴殿のサイト文中にあります北湯沢のトンネル掘削にも祖父は大活躍したそうですが、
    北湯沢の現場には朝鮮の方はあまり居なかったそうで「突入させた」事実も無いそうです。
    もちろん、他の現場には朝鮮の方は居たそうですが、
    強制労働ではなく、朝鮮の方の斡旋で出稼ぎに来ていたそうです。
    (もちろん、労働者本人は無理やり連れてこられている感覚かもしれません)
    引用先のサイトが既に消滅しておりますので出処は確認する手段がありませんが、
    どうか史実に基づいた記事を掲載していただければありがたいと存じます。

  • Morigen(管理人)
    2016-01-02T08:38+09:00(JST)

    こんにちは。
    岳父さん大変でしたね。
    そんなこととは露知らず仄聞を鵜呑みにしてしまったことを反省し、該当箇所を訂正しました。
    これからも誤っている箇所あればご指摘いただけると幸いです。