積丹1周旧道旅1

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道が無いのが当たり前、あっても狭隘で屈曲が多く冬季通行止め。そんな積丹半島の海岸道路がようやく全通したのがのこと。積丹半島における海岸道路のほとんどは国道229号により、この道が最大かつ唯一の幹線道路として積丹半島住民を支えている状態は今なお変りません。積丹半島先端を領する積丹町は国道229号のわずか2箇所が寸断されりだけで町の全戸が丸ごと孤立しうるという立地で、豊浜トンネル崩落事故や大森大橋落橋事故、話題にも上らぬ雪崩や落石を思えばいつ孤立が起こってもおかしくありません。周辺町村も似たような立場にあります。そこでからは国道229号をより強固に作り変え、孤立化を阻止する目的を掲げ、「積丹防災事業」がスタートしました。事業では多数の橋やトンネルが新たに建設され、の今年、すべての付け替えが終わったようです。


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機は熟しました。事業による旧道量産が止んだ今が、積丹半島1周して歴史が積み重ねてきた旧道の痕跡を見回すに良い頃合いです。そこで積丹半島玄関口の一端余市町を発し、海岸道路を反時計回りに1周しつつ旧道を歩いていこうと思います。はその第1日目。余市町から古平町まで進みます。


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歴史は過去の日記参照。地形図が版を重ねるたびに必ず姿を変えて自然に挑む国道229号。現物が物語るその航跡を篤と見よ。


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余市町の余市駅前に降り立ちました。頭上の時計はを指し示して、僕がいかに朝に弱いタイプかを暗に突きつけてきます。みんな、オラに血圧をわけてくれ!(ドラゴンボール風に)


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余市駅前の十字路は直進すると国道229号、右左折すると国道5号。旧道路法の下で「小樽江差線」と称した国道229号が国道5号と別れ単独で江差を目指し日本海沿岸をひた走ります。


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北海道日本海沿岸の地方はあまねく漁業が盛んで余市もその例に漏れないのですが、余市は農業も盛んだしウイスキー作ってるし鉄道も通ってるしなかなか恵まれた町ですね。漁業が左前な現代でも小樽に次ぎ後志第二の人口規模を誇っている栄えた町です。


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余市市街を真っ二つに分断する余市川を余市橋で渡ります。橋があるならば旧道あり。に完成した現在の余市橋の旧橋は同じ位置に架かっていたので旧道はなし。さらに時代をさかのぼって余市川の河道が整理される以前の地形図を見ると、橋は現在の大川橋付近に1本あるだけ。当時の名前は余市橋か大川橋かはたまた別の名前かはわかりません。きっとご存知の方がコメントに書いてくださる(他力本願!)。しかし明治時代に幅100m以上もある川に橋が架かっていたって大層なことですよね。
2014-03-04追記 古い橋の名は「大川橋」だったっぽいです。ソースはコメント。わざわざ図書館で調べてきてくれた匿名希望さんに感謝。


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余市橋を渡り終えると左手に見える温泉は宇宙の湯余市川温泉。ネーミングがトンでるし上空には宇宙船も飛んでます。何を隠そう宇宙飛行士の毛利衛さんの生家がこちらだそうで。


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行く手にいよいよ海が見えてきました。そして背筋も凍る断崖も見えてきました。昨日今日崩れたばかりかと思わせる様な切口です。今日余市の町を出たらずっとあんな感じの崖におびえながらの行脚になります。


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少し端折って市街地を抜け海をほとんど目にすることなく出足平峠の登りへと差し掛かっています。現在の出足平峠は梅川トンネルを抜けて、トンネルのできる以前の道は山道に入ります。今回の旅では時間の掛かりすぎる山道には入って行きません。山道から海岸道路への付替えは戦後間もないから始まってまでの10年間にわたって行われました。山道は狭くて大型車両の通行を許さず、カーブの数いろは坂を軽く越える360程を数え一年峠なんて呼ばれ、冬は通行止めになり全く交通が途絶するという難路。ここを通るバスは小さな車体に定員オーバーの客が乗り込むも、山道が古平以北の生命線だった事情があるゆえ、お巡りさんも黙認していたそう。に古平町で発生し後に古平大火と呼ばれる大火災では、山道の雪のせいで余市からの応援が遅れたのも被害が広がった一因といわれています。そんなボトルネックのくせに戦後は車両の交通量が急増し始め、海岸道路建設中にも同時進行で山道改良工事を施さなければならない頭の痛い問題だったのです。


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さあ、山道は時間が掛かりますが現道ではあっという間に頂上です。前述の積丹防災の一つ、滝の澗工区がここから始まります。ここから古平町まで元からトンネル多発地帯の約7.6kmを、さらにトンネルで埋めたり狭小トンネルを付替えたりの区間です。この区間は合計5本6.9kmのトンネルがあり、実に9割が地中ということになります。一つ目のトンネル梅川トンネルはに開通し、滝の澗工区の付替えを伴う工事では大取を飾りました。左に見える旧梅川トンネルは幅員5.5mと狭小のため付替えられたものです。


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梅川トンネル古平側の坑口。旧梅川トンネルは建設中の末に地滑りで埋まり、夏まで掘っては埋まり掘っては埋まりの難工事だったそうです。梅川トンネルの開通により10年間作り続けた海岸道路は全通し、従来の山道は姿を消しました。


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出足平の峠を下きると早速次のワッカケトンネルが口をあけています。に着工しましたがなんと用地取得に失敗工事は中断。から再び槌音を響かせに開通したワッカケトンネル。右の旧道は閉鎖させずに現在も立ち入ることができます。


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ワッカケトンネル旧道に入り、左側には家々が立ち並ぶ白岩の集落です。右側は海岸道路が海岸道路たる所以である海が迫っています。


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白岩名物今にも折れそうな恵比寿岩(左)。


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旧道は白岩町の海岸を縁取り白岩橋を渡りワッカケトンネルへ入ります。白岩町はから整理され消えてしまった旧町名では「出足平」といいアイヌ語でやはり白い崖という意味。その白い岩崖がたぶん後ろの露頭のこと。アイヌ語地名は見たまんまの特徴を拾ってくれてるので解りやすい。


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シリパ岬や烏帽子岬の険しい海岸の景。人を寄せ付けまいとする神の意図すら感じえます。海岸道路の計画段階ではあんな所にトンネルを通す案もあったとか。そんなことしたら逆鱗に触れて地中版バベルの塔になってしまいそう。


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ワッカケトンネルの坑口。扁額も銘板も取払われまっさらの坑口ですが、昔はこんなド派手に標識で着飾ったチャラ男でした。往時の銘板によると竣工、延長498m。実際はの竣工で当時の延長は478m。というのはたぶん坑門工を延長した年なんだと思います。


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旧ワッカケトンネルの古平側に飛んできました。近くで写真を取れなかったので撮影の写真です。余市側の「高さ制限」「幅員狭し」「カーブ注意」の標識のうちのカーブというのがここ。幅員5.5mの狭小トンネルの出口が半径50mの急カーブ。アーチに刻まれた無数の傷がこのトンネルの狭さ低さ急さを物語っていました。


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ワッカケトンネルを抜けて、フリーフレームに支配された法面の下、昔ワッカケ覆道があった辺りで現道と合流します。


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約400m間地上を走って再び滝の澗トンネル。右の旧道へ歩みを進めましょう。


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滝の澗トンネル旧道の滝ノ澗トンネルまではスパッと切り立った崖の下。少ない平地を利用し、ピッタリと斜面にフィットした小さなワインディングで抜けていきます。旧道上にあった3つの覆道はどれも撤去済み。あちらこちらに天から降り注いだと思われる落石や土砂が転がっています。


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積丹半島、いや北海道切っての奇岩で、まっすぐ天を突く様が美しい「ローソク岩」。歩きで最も接近できるのがこの旧道です。今でこそ目を見張る姿を披露しているローソク岩ですが、明治時代のローソク岩は剣岩ともいわれズングリしていて、に積丹半島沖地震で壊れて過激なダイエットに成功しました。次の大地震では果たして耐えることはできるのでしょうか。今の姿はもう灯が消える寸前のローソクかも知れません。皆さん今のうちに見てやってください。


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滝ノ澗ノ岬手前で滝ノ澗トンネルへ入ります。


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滝ノ澗トンネルの余市側坑口。掘削を始め年内に中止、再開しに竣工。


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滝の澗トンネルの古平側坑口にワープ。にこの坑口前で岩盤が崩落し数日間通行止めが続いたことを受け防災工事を行ったそうで、銘板は竣工を採用しています。


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滝ノ澗トンネルを抜けると余市町最後の集落豊浜町へ到着です。


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トンネル前の海中には古い石垣の構造物が残っています。これは袋澗といい、沖で漁獲し網袋に詰められた鰊を陸揚げするまで数日間貯蔵した入江状の保存施設。鰊漁が盛んだった時代には北海道日本海側の各地にみられました。江戸期には矢来を組んで堤を成して、明治大正期では石垣とコンクリートを用いるものが増えたそうです。この袋澗はに竣工したものだそうですが、十数年という異常に長期にわたった建設中にも波浪で再三破壊され、袋澗としての利用はついになかったそうです。


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豊浜町の市街で現道に合流。すぐ後ろには現滝の澗トンネルがあって、約200mの市街地を過ぎればまたすぐ奥に見えている豊浜トンネルの中に入るのが現道。


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豊浜トンネル手前ではまた道を分流。


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道は豊浜トンネルにぶつかって終了。閉鎖はコンクリによる恒久的なものじゃなく扉によるので何かに使っているんでしょうか。施錠されていて中は窺えません。
この豊浜トンネルが建設された時は「豊浜」という名ではなくしかも複数のトンネルで、後につなげて1本の豊浜トンネルとなったそうです。複数に分かれていた時代のトンネルについては調べてもいまいちパッとしなかったので此度現地にて少しでも解決してくれればいいなと思っています。


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複数時代の謎。まず線形。地形図を見ると坑口と坑口は美しい曲線で結ばれていますが、『小樽道路事務所10年のあゆみ』に載っていた図では長い直線部分を含んでます。ってなんで岬の付け根を素直に短絡せず遠回りになってるの?どっちも間違ってるんじゃない?


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次に地形図だけ見てみると、1960(昭和35)年5万分では3本。1968(昭和43)年2.5万分では2本。本数が減っただけなら結合工事で片付けられるけど、開口部が瞬間移動したのはなんでか?


最後に以前コメントで頂いた情報では余市側から「竜仙洞(L=65m)」→「湯内(365m)」→「蛸穴(108m)」→「見晴(28m)」というトンネル名と順番だったそうですが、『積丹国道良好度調査』では「半」という謎のトンネルが加わっています。半トンネルは『北海道 道路トンネルデータベース』では「隧道ではなく片洞門?」と書いていて、クエスチョンを取り去る事ができるのでしょうか。


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トンネルの中には入れないので早速脇を進むと10秒でコンクリートの壁に出会いました。地図で図るとここまで距離70mくらい。竜仙洞トンネルの延長と大体一致。この壁は開口部だったっぽいですね。


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次に現れた開口部はこんな所でした。蛸穴ノ岬の先端付近に開口部らしきものは見当たらず、2.5万分1地形図の表記は誤りでした。さらに今更ですが、湯内トンネルはほとんど直線だったって事は建設時の写真見て知ってたので線形は『小樽道路事務所10年のあゆみ』記載の地図が正しいことになります。そして写真を見てください。片洞門の半トンネルってこれか?いや違う。片洞門っていうより完全に洞窟だよこれ。僕がNOと言い切るのはそんな主観的な理由だけじゃないです。半トンネルはに巻立てを施工したので素掘りのこの地が半トンネルであるはずがないんです。2014-08-30追記 今でこそ海の見える洞窟ですがここにはかつてコンクリートの巻き立てがあったそうです。詳しくはコメント参照。


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洞窟の右に見えていた坑口が湯内トンネル。蹴れば破れそうな木の板に見えますがこれ多分コンパネ。蹴ったら裏に秘められたコンクリートに足の骨が砕けちゃう。


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湯内トンネルから次の蛸穴トンネルまで20mぐらいの洞窟探検。この道が国道の第一線から身を引いたのはで、明らかにそれより新しいアスファルト舗装が1車線分だけ敷かれているのは、豊浜トンネル岩盤崩落事故の迂回路になった時のものでしょう。


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外から見ると改めて男の子のハートを鷲づかみにする洞窟です。僕の人生でこんなトンネルに出会うことはもう二度とないでしょう。


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洞窟から蛸穴トンネルを挟んで向こうにはコンクリートの壁すなわち開口部だったであろう場所が見えます。


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蛸穴トンネルの外の崖を巻いていると、水面上1~2mの岸壁に規則正しく列を成した穿跡を見つけました。きっと木材を挿し板を渡し簡易な道にしていたのでしょう。蜀の桟道を想像していただけるとわかりやすいと思います。なぜこのようなものが必要だったのでしょう。開口部それぞれから掘削をするための工事用通路だったのでしょうか。はたまた鰊漁が盛んな場所ですから漁に関する通路や施設でしょうか。謎が一つ増え、僕のワクワクがアディショナルタイムに突入ですわ。


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蛸穴トンネルの古平側には坑口はなくコンクリートの壁、そう開口部跡です。100m強の間コンクリートは岩にめり込んでいるように見えます。コンクリートがなければ片洞門です。これはもしかして半トンネルか?いや違う。半トンネルは268mの施工となっているので長さが矛盾します。


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開口部跡のコンクリートから切れ間なく見晴トンネルを抜けてきます。小さな岩の背を一つくぐるだけの短さです。ここまでが後に一まとめにされ1本の豊浜トンネルとされた端っこ。だから見晴トンネルの坑口であり豊浜トンネルの坑口でもあります。しかし、半トンネルは見つからず。


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もっと息の掛かるほどまで近づき銘板の文字も路面の状態もコンクリートの触りさえも確かめたいのではありますが、一様に余すことなく逆反りした擁壁は、波浪も人も寄せ付けないものだから、海抜0mから上3分だけの坑口を見ます。反対側の坑口とおそろいの意匠のように見え、また扁額も「豊浜隧道」と読めます。


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豊浜トンネル前はチャラセナイの浜。


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チャラセとは水がピチャピチャと流れる様を表し、ナイはご存知の通り沢の意。道の上からは岩の急斜面を流れるチャラセナイがみられるそうですが下からは見えませんでした。チャラセナイの河口は写真の暗渠。チャラセナイは流路をそのまま余市と古平の町界としています。海岸道路が開通した時はこの辺に記念碑を建て両町に積丹を加えた町長が開通を祝いました。


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チャラセナイを過ぎチャラツナイ岬に至るとチャラセナイトンネルです。チャラとチャラの違いは擬音語の誤差みたいなもの。全道見渡しても「セ」でも「ツ」でもどっちも諸所に地名が残っています。


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この千尋に聳えた岩に、初めて道を夢見た人の想像力に感服します。


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チャラセナイトンネルの古平側までやって来ました。ここからしばらくはに一度だけ訪れている区間です。その時の写真と現在を比べてみると緑の面積が大幅に増えました。さすが海外では危険な外来種とみなされているイタドリさんです。


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国道が次々長大トンネルに付け替えられて景色が見られぬと嘆く声をときより耳にしますが、その人達これ見て同じ事言えますか?


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チャラセナイトンネルから岬の付け根に向かう道路もすっかり緑に覆われてしまいました。


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1984(昭和59)年道の豊浜トンネル古平側坑口。これはウィキペディアに記事ができる有名ぶり。ここの事故に関して皆さんご存知だと思うし今更僕が言うようなこともないでしょう。


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この先セタカムイ岩のある岬を3世代のセタカムイトンネルが貫いています。赤茶けた覆道をまとった道、コンクリートのシェルター付き道、ここからは全く姿が見えない道。


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道セタカムイトンネルに付属したセタカムイ覆道に入りました。トンネルはの開通ですが、この覆道はに作られたので、道の時代からの遺産ということになります。


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道セタカムイトンネル余市側坑口。このセタカムイトンネルは古平側の坑口が道の豊浜トンネルに臓器提供されこちらは塞がれてしまいました。


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坑口脇を抜ければ道に入れますがこんな厳しい大自然の中で僕は生きてけません。なのでパス。


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道セタカムイトンネル建設時は海上に仮道を設けて交通を確保したたと聞きます。海の中に点々と続くフーチングはその名残でしょうね。


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これはに来た時の道セタカムイトンネル。ぱっと見た感じ大きな崩落もないようですし写真の時と今とじゃ大して変ってないでしょう。


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道の赤いセタカムイ覆道はの建設だったから、道の頃にもあったということを上に書きました。道が現役だった航空写真を見てみるとこの坑口から100m強の覆道が出来上がっています。その痕跡はの写真にもしっかり写っていました。


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道の海側にあった道セタカムイトンネル。この写真はの撮影で、今頃は塞がれているでしょう。


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道セタカムイトンネルの古平側。ただでさえこのトンネルの存在を知る人は少ないでしょうけど、そんな忘れ去られた遺跡にも手を抜かない開発局。この抜かりの無さがにもあったなら……。


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道・道のセタカムイトンネルは両方ともこんな感じに予備知識なしでトンネルの存在をを見抜くのは至難なレベルまで自然にと化してます。


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道セタカムイトンネルかつ道豊浜トンネルの古平側坑口。豊浜トンネルは岩盤崩落事故を受け、豊浜トンネルと道セタカムイトンネルをバイパスして完成しました。開通は。右には余市町からはるばるやってきた山道の出口。


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豊浜トンネル坑口前にあった石碑。「積丹国道」と揮毫された石碑はもともとチャラセナイにあったもので、余市町-古平町間の海岸道路開通を記念して作られたものでした。から10年間かけて住民の願いを成就し海岸道路を完成した、それは余市町と古平町を結んだという狭い意味だけでなく積丹半島の産業観光開発の切り札として大いに喜ばれ、殉職した9つの御魂を慰め感謝しました。その碑は今誰にも知られず草にまぎれています。


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古平町最東端の有人地区沖町。昔は沖村といい地区を流れる川の名は今も沖村川と称しています。それから古平町の大字が「○○町」に統一されて沖町となり、大字なのに町制施行したみたいな変遷をしました。沖町で地上に現れた国道は沖歌トンネルに続きます。


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に開通した沖歌トンネルの長い旧道。トンネルの延長は2,051m。旧道も同程度の長さを持っています。明治に開削され、大正にかけて数度激浪で破壊され復旧はになりました。今日これまで通ってきたトンネルの多くは海にそそる岬をやり過ごすものでした。でも沖歌トンネル旧道にはこれといって岬はなくトンネルは現存していません。


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その代わりに全線に渡って覆道がてんこ盛りにされています。沖覆道から始まる一連の覆道は足し合わせると1,250mにもおよびます。


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地図にある立岩というのはこれですね。ローソク岩だの恵比寿岩だの、ここらの荒波は棒倒し上級者です。


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立岩の目の前には立岩を名乗る覆道が張っています。2箇所ある覆道の2つとも立岩覆道。


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立岩覆道の間にはさまれた地帯は谷によって落石も落雪もないので覆道もいらなかったということでしょう。


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立岩覆道の続き。覆道中の左カーブの辺りには海岸道路初期の頃にだけトンネルがありました。


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そのトンネルのあたりから余市方向を撮った古写真でよく見ます。『古平町史第一巻』p703にこれと似た構図の写真が載っていてそのキャプションが「明治40年竣工沖村道路第3隧道」。ゆえにこのトンネルは竣工で第3トンネルという名前だそうです。この時古平から沖町の間に3つのトンネルがあったそうで、古平から見て3本目の位置にあるトンネルです。「この時~あった」というのは開削工事の時にはすでに3つのトンネルが出来ていたという意味で、開削工事ではそれを改修しただけ。元のトンネルはいつ誰が作ったのかわからなくなっています。


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トンネルがあったはずの場所です。オープンカットされたのか、壁に埋め込まれてしまったのか。


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オープンカットされたら存在するはずもないが、もし横に覆道を作ったならまだトンネルは残っているはず。そう思って横に出てみたのですが良くわかんない。高さ数mの波返しに乗っかった現在の道路と波の打ちつける明治の海岸道路じゃ高さが違いすぎて地面下に埋まっているのかもしれません。


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ありふれた道路標示も廃道には彩り加える良いアクセントになるのはなぜなのか。


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さて次の歌棄覆道は現況調書では


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古平側の隣は施行。コンクリートと鋼で明らかに見分けがつけられます。さらに明かり区間を挟んで鋼・コンクリ・鋼とチグハグな歌棄覆道は続きます。


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古平町はいつからツンドラ気候になったんですか。


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歌棄覆道を抜ける少し手前。ここら辺にも昔トンネルがあったみたいですが全然痕跡なし。さっきのトンネルが第3トンネルだったことを考えるとこのトンネルは第2トンネルということになりましょうか。海に出っ張った「鼻垂石」という岩を貫いていたみたいですが、現地の状況を見るとその岩自体が除去されてる感じなのでトンネルはオープンカットされてしまったのでしょう。


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覆道を抜けるとしばらくぶりに道以外の人工物が見えてきました。まもなく歌棄町です。


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沖歌トンネルを出た国道と旧道は歌棄で一つに重なります。


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それもつかの間、古平トンネル手前で別れます。旧道から現道に切り替わったのはのことで、トンネルはその後に拡幅工事を受けています。旧道入り口の橋は旧道となった今も生活道路としての利用があるみたいで竣工の銘板が付いています。


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旧道行ける所まで詰めると水産会社の中に入っちゃうのでトレスは一時中断。外から見えるのはトンネルの一部……なのかな?あれが歌棄トンネルの余市側坑口なんだと思います。これは明治からあるトンネルで例によって当時は第1トンネルという名前だったと思います。


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歌棄トンネル古平側。小さな素掘に木材の支保工が入っているのが見えます。いや支保工は新しいね。


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歌棄トンネルを過ぎれば見える範囲にトンネルはなく古平川河口の平野に出たことを知ります。


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古平川を渡る古平橋。現在の古平橋はやや上流に掛かっていて見た目はすっかり新しいのですが、竣工はと意外に古い。その旧道ともなるとめちゃくちゃ古そう。残念ながらいつから架かっていたのかは僕の知るところでないですが地形図では大正期から昭和中期にかけてこの場所に橋が現れています。永久橋でないことを鑑みるとたぶん2世代か3世代ぐらいの古平橋がここにあったんだと思います。


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旧道は古平の市街地を通らずその端で現道と合流します。


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現道に入って古平の町役場にやってきました。切りの良いここで今日は打ち止め。北海道最初の鉄筋コンクリート造の役場庁舎での建築なんですって。今年で86歳ですよ!僕のおばあちゃんより年上なのに現役で働いてるんすよ!なんて伝わりにくい驚き方でしょう!


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主要地点の地図

参考文献

  • 『1:25,000地形図』
  • 『1:50,000地形図』
  • 『橋梁現況調書』・『橋梁、トンネル、立体横断施設、覆道等現況調書』各年版
  • 『北海道新聞』後志版、小樽・後志版
  • Iyokan Morigen、『先日の調べ事の内容 – 日記的な何か』(http://morigen.net/blog/?p=2131)
  • 小樽開発建設部 広報官、『一般国道229号梅川トンネルが新ルートに切り替わります ~10月15日(月)10:00開通~』(http://www.ot.hkd.mlit.go.jp/d3/hodo/ot121004-01.pdf)
  • 後志鰊街道普及実行委員会(編集)、『積丹半島袋澗現況調査』、後志鰊街道普及実行委員会、2006年
  • 古平町史編さん委員会(編集)、『古平小史』、古平町役場、1968年
  • 古平町史編さん委員会(編集)、『古平町史第一巻』、古平町、1973年
  • 北海道開発局、『一般国道229号 積丹防災』(http://www.ot.hkd.mlit.go.jp/doro/blank/ir/shakotan-b.pdf)
  • 北海道開発局小樽開発建設部(監修)、『後志の国道』、財団法人北海道開発協会、1989年
  • 北海道開発局局長官房開発計画課(編)、『積丹国道調査資料』、北海道開発局局長官房開発計画課、1963年
  • 北海道近代建築研究会(編集)、『道南・道央の建築探訪』、北海道新聞社、2004年
  • 「北海道の道路トンネル」(第1集)編集委員会(編)、『北海道の道路トンネル 第1集』、「北海道の道路トンネル」(第1集)領布委員会、1988年
  • 北海道文化財研究所(編集)、『積丹半島の「袋㵎」 北海道文化財研究所調査報告第2集』、北海道文化財研究所、1987年

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この記事に対するコメント

  • 1匿名希望2014-03-01T18:14+09:00(JST)

    こんばんは。

    以前、そちらに投稿させていただいた者です。
    その節は色々とご迷惑をおかけして、
    大変申し訳ありませんでした。

    今回、端的にコメントいたします。
    改修前の余市川に架設されていた、
    唯一の橋梁名及び参考資料は以下の通りです。

    <橋梁名> 大川橋
    <参考資料>
      余市町郷土誌(余市町教員会/著・出版)
      1933年発行 道立図書館蔵書

    一応、私が調べた限りでは、
    これが最有力かなあと思いましたが、
    まだ何か良い資料があるかもしれません。

    また、性懲りもなくコメントしてしまい、
    大変ご迷惑をおかけしました。
    それでは失礼いたします。

  • 2Morigen(管理人)2014-03-04T21:31+09:00(JST)

    匿名希望さんこんにちは。
    また助けて頂きましたね。ありがとうございます。

    コメント拝見してから僕も手元の資料をパラパラ流し読みしてみましたがやっぱり匿名希望さんが突き止めた通り大川橋のようでした。(こちらも断定には至りませんでしたが)

    別に迷惑とも思っていないので
    これからも性懲りなくコメントしていただければと
    ひそかに願っております。

  • 3匿名希望2014-03-06T20:51+09:00(JST)

    管理人様、こんばんは。
    まさか、ご返信いただけるとは思いませんでした。まるで夢のようです。嬉しいです!
    それにしても、あの険しい積丹半島の旧道を、
    すべて探索されたとは、もう崇拝の領域です。
    管理人様がご無事で本当に良かったです。
    私なんかのコメントで良ければ、
    ぜひこれからもさせていただければ嬉しいです!
    こんな私なんかにご返信いただいたこと、
    もう嬉しくて嬉しくて・・・・・・・
    これからもずっとお元気でいて下さい!
    ありがとうございました。

  • 4匿名希望2014-08-29T07:17+09:00(JST)

    おはようございます。
    性懲りもせずコメントをする私をお許し下さい。

    扉で塞がれている豊浜トンネルの件について、新たな調査結果が判明いたしました。
    1964(昭和39)年6月28日北海道新聞後志版の記事より、豊浜トンネルに関する内容がありました。
    その内容を要約しますと以下のようになります。

    1960年から豊浜トンネルの拡幅・コンクリート巻き立て工事を行っており、今は、岩盤の掘削工事を急いでいる。最終的には、今年(1964年)8月いっぱいで完成予定。
    これにより、幅員6m、延長675mのトンネルが、完全コンクリート巻きとなる。

    実は、1960年3月28日に豊浜トンネルで崩落があったことを、古平の地元の”せたかむい”という広報紙に記載がありました(新聞記事での記載は今のところ未発見です)。
    その詳しい場所などは分かりませんが、例の湯内トンネルと蛸穴トンネルの間の洞窟の部分と思われます。
    どうやらその崩落(人的被害はなかった模様)がきっかけとなり、例の洞窟部分にもコンクリート巻き立て工事を施し、1964年秋に完全な一本の豊浜トンネルにしたものと思われます。

    ちなみに、昨年管理人様が訪問されたとき、湯内と蛸穴の間には、コンクリート巻き立てが完全にない状態でしたが、この部分にはかつてコンクリート巻き立てがあったはずです。
    それらがいつ撤去され、現在のような状況になったのか、詳しいことは分かりません。
    現役時代のこの豊浜トンネルを知る方のお話では、この部分に(も)窓明かりがあったそうです。

    またしても長文・乱分となってしまいました。大変申し訳ありませんでした。
    どうか管理人様もいつまでもお元気でお過ごし下さい。
    それでは失礼いたします。

  • 5Morigen(管理人)2014-08-30T08:27+09:00(JST)

    毎度どうもこんにちは。変わらず性懲りしないでいただき大変うれしく思います。調査範囲もパワーアップして現地民への聞き取りをもされていたとはそろそろ論文1本書けますね。
    1960(昭和35)年の事落石の方、『せたかむい』で拝見いたしました。

    昭和35年(1960)
    中略
    3/28:午前10時頃、豊浜トンネル付近の古平側で崖崩れがあり、交通が一時途絶したが人身への被害は無かった。


    (匿名希望さんよくこんな小さい記事見つけたなあ。)規模も被害もたいした事無かったみたいですから新聞には載っていないかもですね。僕も1962(昭和37)年までの道新見ていましたがこの記事は見つけられませんでした。あと可能性があるとしたら北海タイムスくらいになっちゃいますかねえ。
    2014082901.gif『積丹国道良好度調査』p105
    洞窟部分の窓、実は心当たりがありました。現地にこんな場所なかったやんけと思ってこの写真を見なかったことしてからはや1年。こことあそことが糸で繋がりついにの謎が解明されました。『積丹国道良好度調査』は1963(昭和38)年の発行なので、匿名希望さんの情報と合わせ洞窟部分の巻き立ては1960~63(昭和35~38)年ということですね。次は撤去という謎が増えてしまいましたが1つ胸のつっかえが取れたので今日の晩はお赤飯炊くことにします。匿名希望様もお体に気を付け調査をなさってください。それでは。

  • 6Johnd4612015-02-16T08:18+09:00(JST)

    Muchos Gracias for your blog post. kddabedaacae

  • 7梨野舞納2015-09-03T19:03+09:00(JST)

    竜仙洞の開口部がかつてはコンクリで巻き立てられていたとは全く知りませんでした。
    現役時代は何度も通っていましたが、龍仙洞を海側から見たのも初めてです。
    あんなに美しい石垣の上を道路が走っていたのですね。

    ちなみに私が美国で暮らしていた頃は古平トンネル旧道は未だ開口していて、通り抜けた事があります。
    御多分に漏れず、古い漁船が中に放置されていました。

  • 8Morigen(管理人)2015-09-04T21:35+09:00(JST)

    こんばんは。
    僕は梨野舞納さんと逆で、紙上の情報と”トンネルは地中”という固定観念からてっきり巻き立てされているものだと思っていました。
    訪問時も海上を通過の予定がびっくり仰天して入洞した次第です。
    指摘されて気付いたのですが、無機質なコンクリ擁壁ばかりの積丹半島の海岸道路で、石垣の護岸が最後まで使われ続けたのは他に見なかったですね。
    よーく見ると石材や積み方が至るところで異なっていて、何度も修復されてきた様子が観察できます。
    最後まで石垣を守ったことは当時の人も石垣に愛着を持っていたかのようですね。

  • 9梨野舞納2015-09-11T23:53+09:00(JST)

    ちなみに湯内隧道と蛸穴隧道との間の開口部が「龍仙洞」の筈なんですが、それだと一番余市寄りの隧道が「龍仙洞隧道」だった事と矛盾するように思われます。
    何れかの時点で洞窟の名称が入れ替わったものなのか、或いは隧道名を命名する際に何からの錯誤があったものなのか、今となっては何とも言えませんが。
    なお1984年に豊浜トンネルが開通した後に旧道は余市町内の区域も含めて古平町に移管されましたが、その路線名は「古平町道龍仙洞線」でした。
    当初から観光路線として5~10月ぐらいだけ供用されていましたが、町道としては結局2~3年しか使われず、崩落事故後の迂回路として復活するまで封鎖されていました。

  • 10Morigen(管理人)2015-09-15T23:18+09:00(JST)

    お返事遅れましてすみません。
    名称は確かに不可思議ですね。湯内地区から蛸穴ノ岬と竜仙洞を通過するのなら素直に湯内→蛸穴→竜仙洞と付けるのが慣例ですよね。
    それに”見晴”という名前がどこから出てきたのかも謎ですし。
    しかし如何せん戦後間もなくから始まった工事ゆえ資料も少なく事情は僕も存じ上げません。
    国道を引退後、町道化したとは聞いていましたが、わずかな期間しか使われなかったんですね。
    走ってみたかったなあ。走れた人幸せ者だなあ。

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