いつものようにスクール行ったんですが、天気が悪すぎて、到着前にクローズとなりました。せっかく新人さん一人ひきつれてきたんですけど残念ですね。
それで向かったのが豊浜トンネル。豊浜トンネルといえば20人の命を飲み込んだトンネル。僕の小学校時代の大事件で、印象が強かったものといえば「阪神淡路大震災」、「地下鉄サリン事件」そしてこの「豊浜トンネル岩盤崩落事故」の3つです。そんな場所をこの目で見たい。あの日テレビの向こうにあった歴史は今どうなってるんだろう。
豊浜トンネルの周辺はこんな感じ。右端の慰霊碑から真ん中ら辺の崩落地点まで行きます。セタカムイ岩からチャラツナイ岬までの間は断崖絶壁と海に囲まれているので、普通には行けません。いくつかあるトンネルもすべて閉じられています。
で、どうやって行ったのかがこの図。オレンジの線に沿って行きました。慰霊碑のある駐車場から海岸に降り、旧セタカムイ隧道を通ります。旧セタカムイ隧道は古平側の坑口だけ閉じられていますが、ボロボロで隙間があいてるので簡単に入抗可能です。抜けたら岩場を通ってロープを上りセタカムイ隧道のシェルターに入ります。シェルターを抜けたらセタカムイトンネルのシェッドに登ります。ロープは掛かってますが、使わなくても十分登れます。掛けられてるロープは細いので、使うと逆に危ないです。シェッドを抜けると崩落地点まではきれいな舗装路面が残ってました。
慰霊碑前の写真。下は旧旧国道229号の路面です。旧旧国道229号はこのまま前方のセタカムイ隧道を抜けて豊浜トンネルに向かってましたが、入口は盛り土で塞がれています。なので旧セタカムイ隧道に向かいます。写真の旗の近くに小さく写ってるんですが……見えるカナ?慰霊碑に線香を供えてから出発。旧セタカムイ隧道に通ずるかつての国道には柵が張られてるんで、海岸に降りて巻きました。
これが旧セタカムイ隧道の入口。ご覧のように土砂で浸食されてるので、近くまで来ないと全体を確認できません。鉄板によって閉鎖されてますが、左下の板が外れてるので入坑できます。
2012-09-24追記
釣りをしようと徘徊してたら旧セタカムイ隧道がピッチリ閉鎖されているのを見つけてしまいました。もうこのルートは使えません。
向こう側の光が見えるので、とりあえず貫通はしてますが、崩れてるようです。
入ってきたところを内側から。右の一番大きい隙間から入ってきました。板は隙間だらけで、土砂が内部にも堆積してます。写真はありませんが、坑内には船が3~4艘放置されてました。
旧セタカムイ隧道を抜けると海岸の岩場を進んでセタカムイ隧道のシェルターまで来ます。この先浜が途切れているので、シェルターに入って路面を歩く必要があります。シェルターの一番手前の窓に、誰かが掛けたロープがあるので使わせてもらいましょう。
シェルターの中は鉄骨で補強され、トンネルの入り口はコンクリートで閉塞しています。に岩盤崩落があり、トンネル内部を鉄骨で補強してセタカムイトンネルの完成まで供用されたそうです。シェルターの鉄骨はその時のものでしょうね。
シェルターの入り口。高さ制限3.8mだったようです。銘板は竣功になってますが、セタカムイ隧道は竣功のハズ……。
セタカムイ隧道を抜けたら次はセタカムイトンネルのシェッドに登ります。写真のオレンジ線のように、擁壁の上を行き止まりまで進んで、草が茂っているところから何とか登れます。
セタカムイトンネルもコンクリートで塞がれてました。路面のバンクがすごいですね。普段走ってる道路もこんなに傾いてるんでしょうか。
シェッドの出口には金網の柵がありますが、簡単に越えられました。
豊浜トンネルの崩落地点まではあと少し。
さすが8年半前まで現役の国道だっただけあって、路面はきれい。落石止めが破壊されてますが、なぜか小石しか転がってません。高さ100m以上ある周囲の岩崖は全面ネットで覆われて壮観です。
着きました。豊浜トンネル。傍らには観音様が祭られており、そのすぐ後ろが崩落現場です。岩塊は取り除かれ、芝生で緑化されてます。
駐車場の慰霊碑で線香を全部焚いてしまったんですけど、本当に焚くべきはここでしたね。またいつか来る機会があればこちらで線香を焚きたいですね。坑口の前と観音の前で手を合わせ犠牲者を慰霊。同行者はクリスチャンなので、胸の前で十字を切ってました。
最後についでですがチャラセナイ隧道も。
岬の名前は「チャラツナイ」ですが、トンネルの名前は「チャラセナイ」。銘板にある竣功年・延長は隧道データベースと食い違っちゃってる不思議系トンネル。豊浜トンネルが崩落した際は迂回路としても使われました。
以上で豊浜トンネル訪問終了。
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前:
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https://morigen.net/blog/image/2009/05/22/2009052201.png
後:
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https://morigen.net/blog/image/2011/02/02/2011020202.png
前:
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後:
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https://morigen.net/blog/image/2011/02/02/2011020205.png
使ってないけど2011020201.png、2011020203.png、2011020204.pngという別バージョンの画像もアップしてみました。
2011-02-11T22:08+09:00(JST)
管理人様、こんばんは。お久しぶりです。
今回は、セタカムイ隧道等の経緯をお知らせいたします。
(チャラセナイ隧道)
1950年1月・掘削開始。ほぼ同時期に崩落があり1名が死去。
1950年8月・完成。当時は素掘と思われます。
1952年3月・十勝沖地震により内部が崩落。年内までに内部全体を寒中コンクリート養生施工。
1953年春・供用開始。L=128m
1957年頃・災害対策工事を開始(坑口設置と思われます)。
1958年夏・災害対策工事が完成。L=148mとなる。
1984年12月・旧豊浜トンネル完成により廃止。
(旧セタカムイ隧道)
1948年8月・古平~余市間の海岸道路建設着手に伴い着工。
1950年3月頃・古平側坑口付近で崩落があり1名が死去。
1951年10月・貫通式典を古平側坑口で開催。
1952年3月・十勝沖地震により内部が崩落。年内までに内部全体を寒中コンクリート養生施工。
1953年春・供用開始。L=110m程度
1954年頃・余市側坑口を延伸。L=212m
1955年10月・余市側坑口付近で崩落。(11日午後10時半)
1955年11月・新セタカムイ隧道掘削決定。旧隧道は廃止。
(セタカムイ隧道)
1955年12月・掘削開始
1956年8月・竣工に伴い供用開始(6日)。L=325m
1967年11月・余市側坑口を延伸。L=385m
1985年12月・余市側坑口付近で岩盤崩落あり。内部の鉄骨は、明らかにその時のものと思われます。
1993年12月・セタカムイトンネル完成につき廃止。
(セタカムイトンネル)
1988年9月・セタカムイトンネル着工。
1992年~93年・余市側坑口建設につき、周辺の海側に仮道を設け、交通規制を行う。
1993年12月・竣工に伴い供用開始。L=585m
1996年2月・豊浜トンネル崩落事故(10日)。20名が死去。
1997年秋・新ルート決定に伴い、一部を廃止決定。
2000年12月・片側交互通行で、現豊浜トンネルルート供用開始。
2001年6月・現豊浜トンネル完成につき、(一部)廃止。
(参考文献)
・積丹国道調査資料(道立図書館蔵書)
・北海道新聞後志版1951年1月~1958年12月(道立図書館蔵書・マイクロフィルム)
ちなみに、道新後志版は小樽図書館に原版も保管されていると思われます。
また長くなってしまいました。申し訳ありません。
まだまだ寒い時期が続きますが、管理人様も体調管理には十分注意され、お元気にお過ごしください。
それでは失礼いたします。
2011-02-11T22:48+09:00(JST)
今晩は。以前http://iyokanmorigen.blog122.fc2.com/blog-entry-296.htmlにコメント下さった方でしょうか?違ってたらごめんなさい。
昨日豊浜の事故から丁度15年目ということで、この記事を読み返していたところでした。
前回のコメントにもまして各トンネルについて詳細にお調べいただきありがとうございます。
今後新たに記事を書く際に参考にさせて頂きます。
まさかこのブログのために図書館まで赴いて下さったのでしょうか?
凄いです。その情熱を私に分けて下さい。
2011-02-11T22:56+09:00(JST)
返信を書いている間に別の記事にもコメントを頂きましたね。
やはりhttp://iyokanmorigen.blog122.fc2.com/blog-entry-296.htmlの方出間違いないようで、改めてお久しぶりです。
匿名希望さんもお元気で。
2011-02-12T09:08+09:00(JST)
管理人様、おはようございます。
ご返信いただきまして、ありがとうございます。
以前、私はそちらのhttp://iyokanmorigen.blog122.fc2.com/blog-entry-296.htmlのほうにコメントをさせていただいた者です。
複数にわたりコメントをしてしまい、大変ご迷惑をおかけしました。申し訳ありません。
図書館での調査の件については、どうかお気になさらないでください。
管理人様の旧道への思いを拝読し、私も胸が熱くなりました。
私が得た知識でよろしければ、喜んで提供させていただきたく、今回のコメントに至りました。
積丹国道につきましては、かなり昔のことですので、有力な資料がほとんどない状態でして・・・・・・・
本当は、もっと詳しい資料がほしかったのですが、どうやらそれは難しいようです。
まだまだ、資料があるかどうか探したいと思うのですが・・・・・・・
私が調べた資料を紹介させていただきますと、
・積丹国道調査資料
・後志の国道-国道229号の項目
・北海道新聞後志版1951年1月~1958年12月分
・古平町史第三巻
といった具合になります。
豊浜隧道につきましては、もしかしたら、
・北海道新聞後志版1959年1月~1964年12月分
の中に、何か手掛かりが見いだせるかも分かりません。
ただ、断言はできませんので、ご参考程度にとどめていただけると嬉しいです。
管理人様。どうかいつまでもお元気でいて下さい。
ご返信いただいて、本当に嬉しかったです。ありがとうございました。
2011-02-12T09:25+09:00(JST)
連続投稿、申し訳ありません。
参考資料について補足がありました。
・小樽道路事務所10年のあゆみ
・20年のあゆみ 小樽道路事務所20年誌
10年のほうは、道立図書館に蔵書されております。この資料は、旧豊浜隧道や崩落した豊浜トンネルが建設されていたころの状況が書かれております。
20年のほうは、道立図書館に蔵書がなく、小樽図書館には蔵書されているようです。もしかしたら、開発局図書館(第1合同庁舎16階)にもあるかもしれませんが断言はできません。
20年につきましては、セタカムイトンネル着手について参考にしました。
以上になります。今度こそ本当に失礼いたします。
ご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした。
2011-02-12T23:59+09:00(JST)
こんにちは。こちらこそわざわざ参考資料を紹介して下さりありがとうございます。
> 複数にわたりコメントをしてしまい、大変ご迷惑をおかけしました。申し訳ありません。
全く迷惑は被ってないのでご安心ください。
むしろ私の方が匿名希望さんに手間をかけさせてしまって申し訳ないです。
> もしかしたら、開発局図書館(第1合同庁舎16階)にもあるかもしれませんが断言はできません。
合同庁舎に図書館が入っていたのですか。全く存じ上げませんでした。
面白い資料がありそうですね。今度行ってみます。
今日匿名希望さんに感化され家の近くの図書館で新聞をあさってみました。
が、"ググって"答えを探す世代の私にとって予想以上に疲れる作業でした。
結局ほとんど成果が出せないまま急性活字中毒を発症して帰ってきてしまいました。
顔も知らない他人のためあの難行苦行をこなした匿名希望さんには本当に感謝です。
匿名希望さんも無理はなさらずお元気で。
2018-06-04T22:13+09:00(JST)
管理人様
はじめまして。
古い記事へのコメントお許し下さい。
トンネルの記事を興味深く拝読させていただきました。
近いうちに私も伺おうと探っておりますが、いかんせん遠い場所なので情報不足であります。
流石にもう到達は無理なのかもしれませんね。
その後の経過とかが有りましたらお伺いしたくコメントしました。
適切でなければ削除ねがいます。
もし何か情報有りましたら宜しくお願い致します。
2018-07-24T23:08+09:00(JST)
Satさんはじめまして!
このトンネルは僕らからとっても情報が多いようで少ない謎のトンネルなのでお役に立てるか分かりませんが、何でも気軽にご相談いただければ幸いです。
この記事以降は2013年にも訪問しているので参照していただけると幸いです。
到達は現在至難となっています。できないということはありませんが。
もし訪問されるのであれば僕も行ってみたいのでご連絡いただければと思います。
2018-08-22T13:41+09:00(JST)
管理人様
返信有難うございます。
陸路は早々に諦めて、海路にて到達できました。
6月末に訪問しましたが、海岸に流木も多く陸路では難しいのではないかと想像出来ました。
またそちらに行く機会があれば是非ご連絡させて頂きます。
2018-08-23T01:53+09:00(JST)
おお!行けましたか!おめでとうございます!
やっぱり船じゃないとダメっぽいですね。
また北海道に来る機会がありましたらお供させてください。
2018-10-20T00:00+09:00(JST)
はじめまして
トンネル関連の仕事をしておりまして、最近廃隧道にも興味を持ち
こちらのサイトにたどり着きました
いろんな所に行ってらして、お若いのに知識も豊富で、
いろいろ教えてもらいながら同行できたら楽しいだろうな~とワクワクしながら拝見しております
豊浜トンネル、行くなら私も付いていきたい・・・・(笑)
2018-10-20T23:29+09:00(JST)
どうもはじめましてこんにちは。
知識が豊富だなんて言い過ぎですよ(照)。
僕の知識なんて所詮付け焼き刃なんですから同行なんかされたら化けの皮剥がれちゃいますよ。
むしろにゃんこさんのお仕事に同行していろいろとご教授願いたいです。
廃トンネルに興味がおありということですが、くれぐれもお気を付けて探索くださいませ。
豊浜トンネルに再訪の予定は無いですが気が向いたらこのブログでお知らせしようと思います。
それではまた。
2018-10-22T14:40+09:00(JST)
トンネル関連と言っても私の仕事はデータ処理なので、現場には行かないのですよ(^_^;)
毎日PC画面で覆工面を見つめておりますが、知識は全くありません!
夏に小樽へサイクリングした時、
高島隧道の中と、祝津隧道のコンクリ詰めされた抗口に衝撃を受け
今まで興味無かったけど私・・・歴史的廃墟好きかも・・・・と思った次第です(笑)
実は元々トンネルを通るのは怖くて、抗口を見て楽しむタイプです。
覆工面見てるのは好きなんですけどねw(特にNATM工法)
2018-10-23T11:29+09:00(JST)
それでもトンネルのプロですから僕にとっては神にも等しい地位ですよ。
実は僕も暗所閉所恐怖症なのでできるだけ入坑したくないなあ何て思いながら現地に向かうのですがいざトンネルの前に立ってしまうと奥はどうなってるのかという好奇心や現況をすべて明らかにせねば後で後悔するという一種の義務感に背中を押され入っていたりします。
2019-06-08T14:56+09:00(JST)
トンネル事故を調べていてこちらにたどり着きました。
わかりやすい図もあって,現地での散策の参考になりました。
事故に関しては,調査の資料が一部公開されているだけです。
当時の様子を知るための書籍もほとんどないので,こちらのサイトがとても役立ちました。
また付近の続報などがあればぜひ,更新してください。
2019-06-11T12:48+09:00(JST)
先生さんこんにちは。
参考にしていただきありがとうございます。
既にご覧になったかもしれませんが2013年の積丹1周旧道旅が僕の提供できる最新情報になっております。
僕以外にも行かれている方がいるようですのでネットで検索すればまだもっと最新の情報があるかもしれません。
それでは失礼します。
2020-02-09T17:44+09:00(JST)
明日2月10日で崩落事故から24年ということになります。時間の経過は早いものです。
古平町もずいぶん変わったことでしょう。
年月とともに記憶が風化されつつあります。
最近はネットで話題にする方がいなくなったようですが
再発防止の教訓としてこちらのブログ資料は貴重なものです。
また機会があればぜひ“悲劇のトンネル”跡地に着目してください。
2021-01-14T12:37+09:00(JST)
廃道、旧道の精力的な研究に敬服しております。
先日、豊浜トンネル付近を空撮しました。YouTube動画を作る予定ですが、
その中で、このページに掲載されているトンネル横の観音像画像を動画中で掲載させていただけませんでしょうか。
もちろんこちらのサイトの出典と引用を明記いたします。
どうぞよろしくお願いいたします。
2021-01-14T13:07+09:00(JST)
始めまして。
全然掲載かまいませんよ。
http://morigen.net/blog/image/toyo.zip
(1.69GB、そのうち消します)
著作権は放棄してるので商用利用だろうが無断だろうがどんどん使ってやってください。
Steelさんのデザインの都合もあるでしょうから出典も要らないですし改変自由です。
動画制作頑張ってください!
2021-01-14T13:22+09:00(JST)
すみませんサーバーが重すぎてDLが進まないのでGoogleDriveに同じものを上げなおしました。
https://drive.google.com/file/d/1rkzx1jrX_PmMb-i6h9TY5ccoExQgLYm2/view?usp=sharing
2021-01-14T22:21+09:00(JST)
画像の利用をお許しくださり、誠にありがとうございます!無事、ダウンロードできました。非常に興味深くすべて拝見いたしました。蛸穴ノ岬の海食洞も部分的に空から撮れたので、その関連の動画にも画像を利用させていただきます。動画は前編と後編に分けてアップする予定です。またご連絡いたします。取り急ぎ御礼まで。
2022-05-15T18:44+09:00(JST)
[…] 出典:morigen.net […]
2022-08-13T21:19+09:00(JST)
こんにちは
土木をかじっているものですが
この事故は大変興味深いです
(近年は幸い大雨や地震の自然災害
以外でここまで大きな崩落事故が起こることは
まれである)
陸路でそばに近づくことは
本当に不可能なのでしょうか
・セタカムイ岩の横から上がれるか
・干潮時に岩の側を通れるのか
現地の最近の詳しい情報が
どこかであればいいのですが
2022-08-13T21:58+09:00(JST)
こんにちは。
現地には今も陸路(?)で行くことは可能ですよ。
セタカムイ岩の横を上がって行くの困難のように感じられます。
しかしセタカムイ岩のそばの海底は浅いのでウェーダーとかがあればジャブジャブ歩いて行けるという話を聞いたことがあります。
また僕が2013年に再訪した時にはなんと親子が浮き輪を身に着けセタカムイ岩の向こうを泳いでいました。
ということで濡れはするので完全な陸路とまではいきませんが、今でも船に頼らず坑口までたどり着くことは可能だと思われます。
2022-08-18T20:58+09:00(JST)
返信ありがとうございます
先日行ってきました
セタカムイ岩を海側から陸路で迂回しました
天候が安定して波が穏やかで
海水に濡れても問題ない時期だった
(ライフジャケットがあればなお良い)
岩を壁伝いに行くと凹みがあり
渡ろうとすると水深1mを超える箇所があった
(昔は船を留めていた場所?)
セタカムイ岩を超えると落石地帯があり
ここも危険です
丸石が多く歩きにくい
坑口付近の道路に上がる階段の手前は
流木が散乱していた
道路周辺に藪が生い茂っていた
途中蜂(虻?)が寄ってくるので対策が必要
私はなんとか無事に帰ってこれました
慰霊碑の場所だと何が問題だったのか
わからなかったので現地の地形を
見ることで理解が深まりました
行ったことは後悔していませんが
興味のある方は自己責任ですね
情報をいただきありがとうございました
2022-08-19T19:21+09:00(JST)
おかえりなさいませ。
僕が思っているよりずいぶんと危険な様子ですがご無事で何よりです。
詳細なご報告もありがとうございました。
これから行こうとしてる方々、自己責任で!