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胆振線(軽川トンネル~倶知安駅)

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軽川トンネル西側坑口前。雪解け水でビチョビチョの足元には緑に黄色のラインが入った電話箱が転がっています。


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トンネルを抜けると左下に畑を見下ろして築堤の上を走ります。この築堤、軽川トンネルと合わせて難工事だったそうです。そう、タコを使って作ったんだそうです。その悲惨さを物語るエピソードとして近くを流れる尻別川に遺体が流れてきたり、そばの畑から人骨が出てきたという話が残っています。


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ガル川を渡る軽川橋はコンクリアーチ橋でした。たぶん胆振線唯一のアーチ橋。建設時の資料でもアーチ橋であり、当時のまま架け替えられていないようです。この区間の建設は1917~1919(大正6~8)年に作られており、同じアーチ橋で知られる士幌線や根北線よりもずっと古い。北海道の鉄道でコンクリート橋が始めて作られてから7~9年後に作られた橋です。


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林を抜けると北岡駅に着きます。短いホームのひなびた棒線駅で、周りには人家が僅かしかありません。写真中央の小屋は駅の待合所をそのまま倉庫として使ったものです。


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北岡駅からは農地転換されずにほとんどが一筋の林となって残っています。


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外から見るとこんなにいい景色。列車が走ったら絵になったろうなあ。


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傍らにレールと枕木を用いたお手製っぽい橋が架かっています。胆振線の再利用でしょうか。


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ヌップリ寒別川を渡る寒別川橋は桁が撤去され橋台だけ残ります。川は後に付け替えられ北にずれた位置を流れています。


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寒別川橋以降は農地化が進み痕跡は見つけられません。次の駅、寒別駅にたどり着いてようやく見られたのは石積みホームの跡。


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寒別駅を出てすぐ小さなガーダーが架かったままになっていました。剥がれかけた塗装記録表には「小■別橋」とあります。寒別にあるから「小寒別橋」かな?一方橋歴板には発注者鉄道省、活荷重E-33と古めかしい語が書かれています。作られたのは1928(昭和3)年とあり、開通よりも後なので架け替えたものとなります。喜茂別駅まで延伸した時ついでに発注したものでしょうか。


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この先も地の果てまで農地化され痕跡はありません。


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あっという間に次の参郷駅。ホーム・待合所もすっかり跡形も無くなっています。直後で交差する道路の舗装の違いは踏み切りの跡。


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国道276号と交わる点は跨線橋となっていたはずの所、平坦に戻されました。


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跨線橋跡過ぎから久々に線路の跡を歩けるようになります。左には駅が近いことを示す停車場接近標。もう次の駅です。


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六郷駅は鉄道をテーマにした公園となっています。中にはSLの動輪、車掌車、客車等が保存されていますが、今は雪解け直後のためまだ冬囲いがはずされておりません。時期を改めまた来たいと思います。


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羊蹄山を絡めた写真を撮りたい症候群。沿線に建つ軒が途切れずに続くようになり、倶知安の市街地も近くなりました。線路の跡は砂利道としてまっすぐ延び続けています。


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線路跡の砂利道と町道の交差点付近には踏切があったようです。なんていうか知らない路肩のちょっとした雪捨て場っぽくなってる下に踏切注意柵が埋まっています。


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倶知安市街に入ってから線路跡の右左に、国鉄の「工」マークが入った境界標がポツポツ残っています。抜きたいのに抜けない、勝手に抜いたら犯罪。触らぬ神に祟り無しと見てみぬフリをしてくれた地権者の方々おかげでここが鉄道用地だとはっきりわかります。


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沿線の運送会社の保有車両が素敵過ぎてクラッときました。左から日産TW、いすゞTW後期型、前期型。何の作意も無く現役ボンネットトラックが3台も並ぶ光景、見る人が見たら卒倒していいかもしれません。3台ともナンバーの分類番号は3桁だから割と最近取り直したようです。それ以前は構内専用だったか、中古で買ってきたか遍歴は分かりませんが、今でも動くならずっと働き続けてきたのでしょう。


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胆振線を越える国道5号にあった跨線橋も撤去され今は真っ平ら。2015-07-03追記 コメントによるとこの跨線橋は琴平跨線橋という名前で2001(平成13)年度頃に撤去されたそうです。


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枕木の柵がいかにもな地方中心都市の沿線風景を演出しています。


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市街地の北を縁取ってぐるりと大カーブすると線路は南に進路を取り、南北に走る函館本線に合流します。その付近は現在住宅が立ち並びます。


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終点倶知安駅。最も駅舎寄りのホームを発着していた胆振線の廃止後、線路は撤去され、現在そのホームにはレールが敷かれていません。


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かつては貨物も扱い機関区が置かれ、裏にはその名残の転車台や側線が残る倶知安駅も今や特急も止まりません。そんな倶知安駅も北海道新幹線開業の暁には停車駅となり、昔日のターミナル駅の本性を取り戻す予定です。


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主要地点の地図

変更履歴

  • 2015-07-03 本文中に追記
  • 2016-03-14 脱字修正

コメント

  • 匿名希望
    2015-07-02T14:20+09:00(JST)

    先日は、お礼のお言葉をいただきありがとうございました。
    コメントとしては、連投になってしまい、大変申し訳ありませんが、ご容赦いただけると嬉しいです。
    それでは本題に入りますが、胆振線を超える国道5号にあった跨線橋の簡単な内容になります。
    ・跨線橋名→琴平跨線橋
    ・撤去時期→2001(平成13)年度
    あくまでも私の記憶で申し訳ありませんが、琴平跨線橋は2001(平成13)年度に撤去工事を行い、その後に跨線橋跡地を拡幅か何か施したと思います。
    2001年8月頃だったか、現地を通ったとき、跨線橋の撤去に関する道路工事を行っていました。
    詳しい完成時期は分かりませんが、たぶん2001年の晩秋頃だったと思われます。
    あと、参郷駅~六郷駅間の、国道276号と交わる点には、かつて確実に跨線橋がありました。
    ただ、これについては、跨線橋名と撤去時期が思いだせない次第です。何とか思いだしたいのですが・・・・・・・
    とりあえず、今回のコメントは以上になります。
    またしても長文になり、大変申し訳ありませんでした。それでは失礼いたします。

  • Morigen(管理人)
    2015-07-03T06:31+09:00(JST)

    ありがとうございます。早速本文に反映させました。
    拡幅というと国道の4車線化工事ですかね。
    橋のまま4車線化するとなるとかなり手間がかかっていたろうから、なんというかナイスタイミング廃線です。
    国道276号の跨線橋の方ですが思い出させなくてもいいんですよ。
    本当ならそれを調べるのが僕の役目です。
    それにそもそも普通の人は名前も知らないものですから。
    それではまたお会いしましょう。

  • 匿名希望
    2015-07-03T08:07+09:00(JST)

    管理人様、おはようございます。
    早速のご返信、ありがとうございます。
    拡幅は国道の4車線化工事になります。
    国道5号が交通の要所と考えれば、理にかなったことだったのかもしれませんね。
    国道276号の跨線橋ですが、色々な意味で本当に申し訳ありません。
    出過ぎたこととは思いながら、何とか正確な情報があれば提供させていただきたかったものでして・・・・・・・
    参郷駅~六郷駅間の跨線橋と、京極市街地付近の跨線橋の撤去工事が行われているとき、私もそこを通っていたはずなのですが、何とも・・・・・・・
    この2つのうち、前者のほうが最初(平成8~10年頃だったか)に撤去工事を行っていたような・・・・・・・
    出過ぎた行為となってしまい申し訳なかったような、いつも私のコメントを反映させていただいて、この上なく嬉しいような、そんな心境です。
    いつもの長文で恐縮ですが、それではこの辺で失礼いたします。
    次回もお会いできる日を楽しみにしております。