北海道と本州を仕切る津軽海峡を越える安全確実な交通実現は、北海道の開発でも軍事的な観点からも重要な課題でした。天候に左右されやすい海路を短く抑えようとすると、おのずと海峡が最も狭い汐首岬-大間崎が選ばれる訳ですが、両地点に至る陸路(鉄道)は軍事的な意味が非常に強いものでした。北海道側の戸井線(函館駅-戸井駅間)、青森県側の大間線(大畑駅-奥戸駅間)ともに津軽要塞への物資輸送が目的に入っていて、軍事的緊張が高まったから建設が始まっています。
そんなこんなで建設が始まった大間線。時同じくして大畑線の建設も始まりこちらはに大畑駅までが開通。大畑駅から先の大間線も工事が進んでいましたが、大畑線より距離は長く地形も険しい。ご存知の通りに太平洋戦争が勃発してもなお建設真っ最中。やがて物資も人でも不足し、正式に中止命令が出されます。未着工区間13.620kmを残し、風間浦村ニタ川付近での中止でした。
引退する津軽海峡フェリーの船に乗っときたいと思って大間に来ました。車で来ると船代高いからチャリで来た訳ですが、滞在中チャリで回れるところにあまり興味をそそるものが無いので必然的に大間線を見ることになります。大間線の着工区間には橋長100mを越える橋が2橋あってそれだけ見れれば満足です。で、まずは風間浦村下風呂の風間浦陸橋(下風呂橋)。
風間浦橋自体あまり高さが無く手前に家々が立ち並ぶので思ってたほどの存在感はありません。同じ時期に作られた戸井線の汐首陸橋と比べると馬鹿に綺麗なのは保存・活用のためにお色直しをしたため。
13連すべてがコンクリートのアーチ。橋長は109.000m。に着工しにはこの工事区間が竣工。竣工はしたのですが1度も鉄道が通ることは無く何十年も放置。から遊歩道化の工事がありに渡り初めが行われました。着工から実に63年を経て初めての供用開始。良くぞ耐え忍んでくれた!
橋上に建っているのは駅舎風の足湯。下風呂には実際に駅が予定されていましたが、その位置はもっと東です。
肝心の年季の入ったコンクリートの地肌はすっかり若者のスベスベお肌。風雨に耐えた勲章のシミも、打設時に出来る縞の筋も一点の曇り無く塗られました。
下風呂を後にしもうひとつの大規模アーチ橋を目指します。途中、甲崎には震洋の格納壕が残っていました。これも未完成に終わり、配備の無いまま終戦を迎えています。
大間線アーチ橋ツートップの片割れ。二枚橋に到着。車で走れば一瞬道から見えるだけなので、こういう時ってやっぱり自転車便利ですよね。
長さは風間浦陸橋より少し短い101.500m。やはりすべてコンクリートの7連アーチ。建設着手、工事区間竣工。家と比べると結構な大きさだと分かります。
整形厚化粧よりもこんなすっぴんの方がタイプです。結婚してください。
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参考文献
- 進藤義郎、葛西章、韮澤憲吉、原口征人、近尚之「津軽海峡沿岸に残る鉄道土木遺産群について―大間、戸井のコンクリートアーチ橋梁を中心として―」、『土木史研究公演集』第26号(2006年)、pp.11-16
- 「鉄道アーチ橋『メモリアルロード』整備事業渡り初め式」、『広報かざまうら』平成17年5月号、p2
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