今日は折角いい天気なのに午前中から用事、の予定が家を出てから午後からに繰り下げに。よっしゃー、午前はピクニックだー!
旧道の世界で礼文華と言えば、山道のある所ということでお馴染みかと思いますが、今日は礼文華の町を挟んで逆サイド。礼文華と大岸間の海岸沿いを歩きました。ここは旧道と旧線が同時に楽しめる一粒で二度おいしいスポットで、その中には北海道最古の道路トンネルがあるのです。タイトルに「暫定」と付けたのはこのトンネルの竣工年が実はよくわからないのと、人道トンネルはまとまった資料がないためもっと古いのがあるかもしれないためです。
右奥東室蘭方向にはJR室蘭本線大岸駅。駅を越えると以前行った弁辺トンネル。左手前長万部方向に行くと礼文駅ですのでこっち側に歩いていきます。線路に並んでいるのは道道806号で、この道自体国道37号の旧道です。しかし今日言ってる旧道というのはこの道道の更に旧道。国道にとっては旧旧道となる道のことです。
大岸から礼文華方向は茶津崎を繰り抜いた2本の現役トンネル。左は道道カムイチャシトンネル。右は室蘭本線新達古武トンネル。「達古武」は「たんこぶ山」みたいな意味のアイヌ語。これに「新」が付いたんだからどこかに無印達古武トンネルがあるはずなので少し視界を動かしてみると?
あったー、左にそれらしい廃トン!と思ったあなたはまだまだ未熟者よのぉ。まあ僕も未熟者の内に入るんですがね。実は室蘭本線の(旧)達古武トンネルは改修されて現在の道道カムイチャシトンネルに。左の廃トンネルは道道旧道岩見トンネルでした。
道道旧道岩見トンネルは延長39.6m。1970(昭和45)年竣工。幅員はこの時代ととしては狭い4.5m。断面の形や大きさが見れば見るほど単線鉄道トンネルっぽいですが正真正銘道路トンネルです。
坑口は鍵付き金網があり入ることは叶いませんが、網目から見える坑内は素掘りにCo吹付け工、アスファルト舗装路面。あんまり見ないタイプのコですね。
現道を通ってトンネルの反対側に出ました。顔つきは向こうと同じ。鍵のため中に入れません。しっかしこの前まで残雪の季節だったのにすっかり藪の季節になっちゃいましたね。
廃トンネルである岩見トンネルの前からは舗装道路が続いていてどうやらこれは現役のようです。ここは砂浜があり公園があり、今日は釣り人や撮り鉄が思い思いの時間を過ごしています。そんな彼らの駐車場としてこの旧道の脇が利用されていました。
現道道はカムイチャシトンネルから300m先で次のチャストンネルをくぐり、右では室蘭本線も礼文浜トンネルに入ります。地形図では「礼文華浜トンネル」と記されていますが、正しくは礼文浜トンネルです。道道のチャストンネルは室蘭本線の旧線であり、その時代は茶津トンネルと言う名前でした。そして旧道の路面は依然として独立を続ているのでこっちを辿ってみましょう。
上の写真で見えていたところで簡易な柵が築かれさり気なく閉鎖。そんな事しなくても奥にコンクリートの壁が見えているのに……
チャストンネルの旧道のタッコブトンネル。延長34mで岩見と同じ1970(昭和45)年竣工。面壁坑門のおでこの穴には「タッコブ隧道」の扁額が掲げられていたようです。それにしても岩見と違いなぜこちらはコンクリで閉鎖されたのでしょう。
現道のチャストンネルを通って向こう側に抜けると正面に次のトンネルが見えました。でも道はスッと下り&左クランクで身をかわし、トンネル脇を通っているようです。
現道チャストンネルの外、隣にあるはずの旧道タッコブトンネルの坑口が見当たりません。消滅しちゃったのか、僕の目が悪すぎるのか。どう考えても前者ですね。室蘭本線の茶津トンネルだったときは単線ですから、車道化する時にだいぶ拡幅したはず。その際接近していた旧道タッコブトンネルを飲み込んでしまったのでしょう。向こう側がコンクリで塗り固められていたのもうなずけます。
現道チャストンネル内から見えていたトンネルは室蘭本線旧線の岩見トンネルでした。これには後で入ってみますので今は道道の方を行きます。こちらはいきなり14t制限を宣告され不穏な展開を見せます。
はたから見ると「ここに道を引いちゃったの?」っていう地形。堤防に直接道路が乗っかっているような感じで、14t制限というのは堤防の耐荷重的な問題なのでしょう。
重量制限以外にも落石・狭窄・連続カーブ・工事中・クランクと警告系の標識類が怒涛のラッシュ。中央線も生息できない過酷な最凶区間に入ります。
通行者を守るはずのガードレールも逃げ出し地覆だけになってしまいました。勿論路肩なんで物はありません。
北海道ではなかなか見られない内地っぽい道路、あるいは古き良き時代の国道229号って感じですね。運転好きな人には楽しい道かもしれませんが、運転は移動手段と思っている人にはストレスが溜まりそうです。
右に見えてきたのは室蘭本線旧線の岩見トンネルの坑口。突出坑門からコンクリ製シェッドが伸びさらに鋼製シェッドで延長させキメラ状態。
岩見トンネルのシェッド前は踏切で道道と交差していたようです。トンネルがあり、法面が迫り、鋭角で交差する。こんな見通しの悪い踏切があるから自動車学校では窓を開けさせるんですね。
トンネルには帰りに入ることにして先に進みます。そうしようとした僕が歩みを止めて読み入る工事中の看板の数々。運転中のドライバーだったら絶対に読み切れないでしょう。看板が立っているイタドリの原っぱは旧線の跡です。
右で法面か何かの工事で道道上が使われているので旧線跡を利用して回避しています。このあと旧線跡は道路の下になり二度と姿を見せることはありませんでした。
最凶区間を生きて脱しました。さっきまでとは比べ物にならない国道を名乗っても恥ずかしくないレベルの良道です。
振り返って撮影。カーブを曲がると狭窄・連続カーブ・クランク・見通し悪し・工事中という最凶区間です。でもこの写真を見て何か変だと思いませんか?ここまで40km/h制限→最凶区間は法定速度60km/h制限!そんなに出さねーよ!ここでは永遠にスピード違反が発生しないことでしょう。
室蘭本線現在線の礼文浜トンネルが地上に現れました。坑口近くに「トンネルの安全を誓う碑」なるものが建立され、碑文によると1999(平成11)年11月28日にこのトンネル内でコンクリート塊が落下し、復旧工事が1週間かかったということです。う~んそんな事故が有ったような気がします。礼文浜トンネルは日本にNATMが入りたての1972年に着工したので、まだNATMしてなかったんでしょうね。室蘭本線の旧線はこのあたりで現線と一緒になるので、帰ってデザートの旧線岩見トンネルを頂くことにしましょう。
岩見トンネルの礼文側坑口まで戻って来ました。よく見たら鋼製シェッドの骨組みはトンネルに合わせてアーチ状になってるんですね。
古い駅のホームで屋根の骨組みがレールで組まれた物って趣がありますが、このシェッドにも同じものがあります。
鋼製シェッドの後にコンクリ製シェッド、そしてトンネル本体に続きます。
トンネルの中には測量杭的なものが並んでいました。岩見トンネルの周りだけ道道が古いルートのままなのは、付け替えないのではなくこれから付け替える予定で、そのための測量が行われたのでしょう。北海道建設新聞社の記事によると 順調に行けば2013年度に工事が着工し、2018年度には最凶区間が旧道化するみたいです。廃線好きの皆さん急げ!
壁はカビてベタな廃トンネルの形相。あと6年待てばここもカムイチャシやチャストンネルの様な小奇麗なトンネルになるかもしれません。
シェッド含め200m足らずの岩見トンネルですが、ノーライトではさすがに暗いです。
大岸側坑口に近づいて来ました。こちらのシェッド潔くコンクリ一筋。
ここが道路になったら向こうに見えるチャストンネルと納得の線形でつながりますね。いや元々同じ線路上だったんですから当たり前ですよね。イタドリの壁を破って道道に抜けて現場を後にしました。
え?北海道最古の道路トンネル?ちょっと止めて下さい!殴る前に話を聞いて!本文上で岩見とタッコブの竣工年は1970(昭和45)年と書きましたが、これは『北海道の道路トンネル 第1集』での記述。しかしこれは改修した年で、実際の竣工はもっと古いみたいなんです。『北海道道路誌技術編』によると岩見トンネルとタッコブトンネルが共に1870(明治3)年の竣工で、市町村史に著された記述に見える北海道最古の道路トンネルなのだそうです。『豊浦町地域発達史資料』によると本願寺道路の開削のため北海道に渡った現如らの通る道として掘られたといいます。しかし、実際には現如らはここを通っておらず、「竹や笹を横たえる程度」だった本願寺道路よりも遥かに手の込んだトンネルを全く関係の無いこの地にこしらえたとは思えません。これを裏付けるかのように1878(明治11)年にここを通ったイザベラ・バードの旅行記『奥地日本紀行』にはトンネルのことは全く触れられておらず、地形図にトンネルが登場したのは1917(大正6)年測図のものになります。とは言ってもイザベラ・バードが書かなかっただけとも考えられるし明治時代の地形図ってどこまで信用なるんだか。と言うことで岩見・タッコブが1870(明治3)年竣工というのは誤りでないのかと思うところではありますが、完全に否定できる根拠も無いので暫定北海道最古ということにしておきます。
それにしても……
れぶんはまの旧線にいわみがあり、道道のいわみの新道はかむいちゃし。かむいちゃしはかつてのたっこぶで、道道のたっこぶはちゃすの旧道。ちゃすは室蘭本線時代はちゃつ。もうトンネル名が紛らわしすぎ!
この記事の情報
主要地点の地図
参考文献
- 今尾恵介(編著)、『新・鉄道廃線跡を歩く』、JTBパブリッシング、2010年
- 日本国有鉄道北海道総局(編)、『北海道鉄道百年史 下巻』、日本国有鉄道北海道総局、1981年
- 北海道道路史調査会(編)、『北海道道路史2 技術編』、北海道道路史調査会、1990年
- 「北海道の道路トンネル」(第1集)編集委員会(編)、『北海道の道路トンネル 第1集』、「北海道の道路トンネル」(第1集)領布委員会、1988年
- 渡辺茂(編集)、『豊浦町史』、豊浦町、1972年
- 豊浦町(編)、豊浦町教育委員会(編)、『豊浦町地域発達史資料』、豊浦町教育委員会、1967年
- イザベラ・バード(著)、高畑美代子(訳・解説)、『イザベラ・バード「日本の未踏路」』、中央公論事業出版、2008年
変更履歴
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2015-04-17
サーバ引越しに伴いページを移動
旧URL:http://morigen.pro.tok2.com/blog/?p=3183
新URL:https://morigen.net/blog/?p=3183 - 追記
2023-04-10T18:45+09:00(JST)
ここの区間は海岸沿いの良い道と自分は思ってますが、車で運転しても鉄道に乗って見ても魅力的な場所ですね、この場所は間違い無く好きな方ならオマケ付きの最良物件ですよ。
2023-04-11T22:10+09:00(JST)
僕は専ら道路専門ですが、豊浦を下道で通過する時は楽しくて思わず通ってしまいますよね。ドライブは勿論のこと廃道あり廃線あり景勝あり史跡あり林道あり……ブログにしたためた後に「こんな優良物件は秘密にしておけばよかった!」なんて思っちゃいました。まあ僕が書かなくても既に有名どころなんですけどね。