さて2日目行ってみよー。今日の残りは8個。室蘭本線の旧線に残された廃トンで数稼いで残りは適当に思い当るところを行ってみます。
室蘭本線の旧線はいくつかありますが、いちばんトンネルがまとまっている箇所を歩いていきます。初めは洞爺駅の函館方面にある黒岩トンネル。写真に3つの穴が見えますが、最も海側に開いたトンネルが廃トンネルの黒岩トンネル。中央と右は今も列車が走るトンネルです。
黒岩トンネルの洞爺側の坑口はシェッドが着いてます。銘板は欠けてしまっていますが、おそらく着工が1956(昭和31)年10月11日、竣功が1957(昭和32)年2月7日。この区間の開業は1928(昭和3)年9月10日なのでシェッドは後年追加或は改築されたということになります。
豊浜側の坑口にもシェッドがついていました。ここで釣りしたら涼しくて良さそう。釣れるか分からんけど。
なんか1枚目の写真と似てるけど次の赤岩トンネルです。トンネル名まで似てるよ。
赤岩トンネルのポータルは石積み。一部崩れかかってます。上下線とも直線で豊裏側の坑口が見えます。
退避坑は旧トンネルの2本の隙間にあり、両トンネルは退避坑で繋がっていました。
赤岩トンネルの豊裏側は下り線だけシェルターが付いてます。シェルターによってはじかれた落石や落雪は無防備な上り線になだれ込んだりしないんですかね?
赤岩トンネルを抜けてからしばし藪漕ぎしてると現役上り線に合流。上に見えるのは下り線。旧線は上り線と200mほど重なって再び海側に離れます。
現役線と別れた後は再び藪となりますが、突然明瞭な道になりました。踏み跡ではなく轍が伸びているので車で入って来れるのでしょう。海に降りれるように幾つかロープがたらされているので釣り人が通う道だと思います。
茶志内トンネルです。赤岩トンネルと同じ石積みポータル。中は右カーブしてます。
壁の模様気持ちわりー。夏の盛り暑い時期に2週間ご飯を放置したことがあるんですが、その時のご飯の色に似てる。
茶志内トンネルの豊浦側の坑口。薄れたペイントには「茶志内」(トンネル名)「入口 37」(キロ程)等が読み取れます。
茶志内トンネルを出ると盛土と掘割があったみたいで、最新の二万五千分一地形図にもその記号がありますが、現地には痕跡がありませんでした。
旧第二茶志内トンネルの洞爺側坑口には低く盛土がされ、奥には水がたまってました。もちろん入っていく勇気はありません。左を上り、右を下りの現役トンネルに挟まれているので、奥はどちらかのトンネルの側壁にさえぎられて閉塞していることでしょう。
ここまで洞爺駅 – 豊浦駅間の旧線のトンネルを5つハシゴして昨日からの合計は17個。
次も室蘭本線の旧線で、豊浦駅と大岸駅間の弁辺隧道。現在の同区間は大岸・弁辺の2本のトンネルで通っていますが、1968(昭和43)年までは海辺を大きく迂回するように軌道を敷き、途中には豊泉駅を置いていました。その豊泉駅と豊浦駅の間に弁辺隧道があります。今回は豊泉側の坑口からアプローチ。
軌道跡の一部は車道に転用されていますが、かつての官舎を過ぎるとトンネルまでは草が生い茂っていました。ただ比較的草が少ないことと、くっきりした掘割のおかげで特に苦労もなく坑口がみえてきました。
残念ながら金網によって閉鎖されてました。金網にレンズをねじ込んで中の写真を撮ると、見える範囲に埋め戻しや崩落は見当たりませんでした。トンネルがカーブしているため豊裏側坑口の光は見えませんでしたが、いつかは完歩してみたい……。2011-02-07追記 完歩してきました。こちらから。
これで18個。残り2つ!
最後から2番目に選んだのは函館本線の旧線の真狩トンネル。1904(明治37)年に開通してから1958(昭和33)年に付け替えが行われるまで使われたトンネルです。地形図見たら周辺に全く道がないのでたどり着くのに時間とられると思いきや、遊歩道が整備されていてらくらく到達。但しトンネルは遊歩道には含まれていないので外から見るだけ。
入口に立てられた柵は低くて簡単に乗り越えられますが、中は水がたまっているから入れません。側壁は石積み、アーチは煉瓦にコンクリ(?)の吹き付けがされています。側壁とアーチで異なる作りになっているのは初めて見た気がしますが普通なんでしょうか?それに鉄道トンネルとしては驚異的に天井が低いっすね。
次のトンネル行くまでちょっとおやつタイム。トンネルめぐりのおやつはやっぱりこれしかないですね。
長かった20個のトンネルめぐりも最後の1個になりました。ラストを飾るのは積丹町の茶津隧道。積丹の町役場が置かれた船澗地区と茶津地区を結ぶトンネルです。現在は隣に茶津トンネルが掘られて茶津隧道は廃止されています。
茶津隧道の茶津側坑口。車と比べると断面の小ささが分かるかと思います。
トンネル内は完全に倉庫にされてました。荷物の大半が船で、1艘ぐらい無くなってもわからないと思います。
船澗側は茶津トンネルのすぐ脇に顔を出しています。それにしても小さい。
茶津隧道に銘板はありませんが、隧道名と着手・竣功年月日はポータルに掘られていました。昭和4年の竣功ですが、当時の北海道のトンネルとしてはかなり長い方だったみたいです。
ふぅ~。これで20個のトンネル行き終えました。後輩、二十歳の誕生日おめでとう!っていうか疲れたー、パタッ(←あ、死んだ)
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