
小樽 – 江差間の日本海沿岸を走る国道229号は、かつて日本一トンネルが多かったこともあるだけあって、道中何度も険しい海岸地形を越える路線です。海岸に迫った目もくらむ切り立った断崖は古くから交通の妨げとなり、通行者は鬱蒼とした山道に迂回したり、体を海に没して何とか磯を歩いたり、時には陸上交通を全くあきらめ船を選ぶ有様でした。明治から大正期には道庁や国、地元の有力な漁家たちの力で少しずつ海岸の道路建設が始められると各地には人馬が行き交い、自動車が姿を現わし現在の国道の原型ができ始めます。

本日の舞台、後志の南西端に位置する島牧村の大平地区と永豊地区の間を切り裂いていた断崖地帯には、

これら15本のトンネルは後に改修結合、さらには別線への付け替えによって現在では廃道となりました。僕自身、廃道化した後に何度かこの区間を歩いたのですが、改修後も残存した永豊N号トンネルの跡が複数個所目視確認できていました。しかしその正確な位置・諸元は正確に記録しておらず、どの残骸が永豊何号に当たるかは把握しておりませんでした。今回は再び現地を訪ね、現物の位置と内空寸法を明らかにして、『橋梁現況調書』の記述と比較し、どれとどれが対応しているのか明らかにしていきます。
現地に赴く前にまず『橋梁現況調書』の記述で諸元を確認しておきます。参照したのは
| 建設部 | 隧道名 | 位置 | 延長 (m) |
巾員 (m) |
有効高 中央高 (m) |
断面 及覆工 |
路面 及地質 |
竣工 金額 |
竣功 年月日 |
摘要 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 小樽 | 永豊1号 | 島牧村 字大平 |
56.50 | 3.00 ~ 4.50 |
3.50 4.75 |
1心円 素掘 コンクリート巻立 |
砂利道 集塊岩 |
– | 大平隧道 | |
| 小樽 | 永豊2号 | 島牧村 字大平 |
21.00 | 4.50 | 3.50 4.10 |
1心円 素掘 |
砂利道 集塊岩 |
– | (空欄) | |
| 小樽 | 永豊3号 | 島牧村 字大平 |
5.50 | 4.50 | 3.60 4.10 |
1心円 素掘 |
砂利道 集塊岩 |
– | (空欄) | |
| 小樽 | 永豊4号 | 島牧村 字大平 |
28.00 | 4.50 | 4.00 4.20 |
1心円 素掘 |
砂利道 集塊岩 |
– | (空欄) | |
| 小樽 | 永豊5号 | 島牧村 字大平 |
14.00 | 4.50 | 3.50 4.30 |
1心円 素掘 |
砂利道 集塊岩 |
– | (空欄) | |
| 小樽 | 永豊6号 | 島牧村 字大平 |
19.00 | 4.50 | 3.40 4.30 |
1心円 素掘 |
砂利道 集塊岩 |
– | (空欄) | |
| 小樽 | 永豊7号 | 島牧村 字大平 |
31.00 | 4.50 | 4.00 4.10 |
1心円 素掘 |
砂利道 集塊岩 |
– | (空欄) | |
| 小樽 | 永豊8号 | 島牧村 字永豊 |
38.50 | 4.50 | 3.60 4.20 |
1心円 素掘 |
砂利道 集塊岩 |
– | (空欄) | |
| 小樽 | 永豊9号 | 島牧村 字永豊 |
5.50 | 4.30 | 3.50 3.90 |
1心円 素掘 |
砂利道 集塊岩 |
– | (空欄) | |
| 小樽 | 永豊10号 | 島牧村 字永豊 |
18.00 | 4.50 | 3.60 4.10 |
1心円 素掘 |
砂利道 集塊岩 |
– | (空欄) | |
| 小樽 | 永豊11号 | 島牧村 字永豊 |
20.00 | 4.50 | 2.30 3.50 |
1心円 素掘 |
砂利道 集塊岩 |
– | (空欄) | |
| 小樽 | 永豊12号 | 島牧村 字永豊 |
14.00 | 4.50 | 3.20 4.00 |
1心円 素掘 |
砂利道 集塊岩 |
– | (空欄) | |
| 小樽 | 永豊13号 | 島牧村 字永豊 |
9.00 | 4.50 | 3.80 4.20 |
1心円 素掘 |
砂利道 集塊岩 |
– | (空欄) | |
| 小樽 | 永豊14号 | 島牧村 字永豊 |
13.00 | 4.50 | 3.70 4.56 |
1心円 素掘 |
砂利道 集塊岩 |
– | (空欄) | |
| 小樽 | 永豊15号 | 島牧村 字永豊 |
3.00 | 4.50 | 3.50 4.50 |
1心円 素掘 |
砂利道 集塊岩 |
– | (空欄) |

初めに結論から書いてしまいますが、永豊1号~14号トンネルの位置はこのようにほぼ同定できました。めでたしめでたし。ということで結論は出たのでここから下は読まなくても大丈夫ですよ。これより下では1本ずつ実測値や現況をチェックしていきます。
永豊1号トンネル

まずは旧道上で最も北に位置する永豊1号トンネル。『橋梁現況調書』での延長は56.50m、幅員3.00~4.50m、中央高は4.75mとなっています。実物は完全に直線の側壁と1心円のアーチの断面、そして中ほどでその断面形状が変化し、かつ狭隘部の覆工は木で組んでいるという特徴モリモリなトンネルです。小樽方木製覆工部の実測延長は33.434m、江差方Co覆工部の延長は13.232m。合計で46.666mとなりますが、小樽方坑口は崩落して測定不能なため実際の延長は数m以上長くなるでしょう。『橋梁現況調書』の延長が正確だとすると、約10mも埋没してることになりますね。



坑内の様子。江差方は現場打ちコンクリートの側壁・コンクリートブロック積みのアーチ。小樽方は現場打ち・ブロック併用の側壁と木のアーチ。耐久度的に木の方が圧倒的に弱いので真ん中が崩落してしまっています。アーチの損壊だけならもっと広い範囲がやられちゃってます。
永豊2号トンネル

永豊2号トンネルは汐見トンネルの脇から分岐します。わずかに残る小樽方坑口から延長を測ると20.669m。『橋梁現況調書』の記録とかなり近くなりました。断面が完全な形で残っている地点で断面の寸法を測ると実測最大幅員4.456m、実測中央高4.105mでした。これも『橋梁現況調書』とほぼ一致。

1枚目:

永豊5号トンネルの坑内。大きな崩落はなく路面も壁面も比較的綺麗です。見上げると怖い亀裂入ってるけど。

汐見トンネル・永豊2号トンネルの江差方坑口。汐見トンネルは最初期に延長40.0mであったものが
永豊3号トンネル・永豊4号トンネル

次、わすりトンネルの旧道に永豊3号トンネルと永豊4号トンネルがあるので2本まとめて。まず永豊3号トンネルは延長・幅員・高さの順に、記録上は5.50m・4.50m・4.10m、実測値は5.961m・4.411m・3.373m。高さだけなんかおかしい。永豊4号トンネルの方は、記録上は28.00m・4.50m・4.20mのところ実測値は25.640m・4.593m・4.121m。延長28mに対し1.5m程度のズレなのでゆるして。

わすりトンネルと永豊3号トンネル。上で永豊3号トンネル実測中央高が記録の中央高よりだいぶ低くなってましたが、改めて写真見てみると路盤が埋まってる感じにも思えますね。

永豊3号トンネルと永豊4号トンネルの間の路面は崖錐に完全に埋まってしまって歩けなくなっていますが、下から見上げてみるとご立派な石垣がそびえています。

永豊4号トンネルの坑内。写真奥が小樽方です。崩落が全く無く、坑口付近に見える土砂は坑外から崩れてきたもの。完全な断面寸法を計測できたので記録にかなり迫ったのもうなずけます。延長がずれたのは測り方が悪かったか坑門が崩れたのか。多分僕の測り方だね。
永豊5号トンネル

永豊5号トンネルは山手側半分が鷹の巣トンネルにめり込んでてちゃんとした断面の寸法は測れませんでした。記録上では幅員4.50m、中央高4.30m。延長はかろうじて測れて、結果は11.859mでした。記録上は14.00mです。小樽方坑口は鷹の巣トンネルとあまりに重なって削られて短くなった可能性があります。

左は鷹の巣トンネル、その右にわずかに空いている穴が永豊5号トンネル。永豊2号トンネルの時みたいに2世代が並んでいます。ただこちらは接近しているどころか完全にめり込んでしまってます。

江差方の坑口はこのようになっています。鷹の巣トンネルの建設に際して削ったのか崩れたのか若干天井が高くなっているように見えます。そして路面が埋まってます。
永豊6号トンネル・永豊7号トンネル

次の永豊6号トンネルと永豊7号トンネルは鷹の巣トンネルに完全に飲み込まれて痕跡がなかったのでサクッと2本まとめて。それぞれの記録上の延長は、永豊6号トンネルが19.00m、永豊7号トンネルが31.00m。それぞれ跡地と思われるトンネル工の延長は18.340mと30.845mですのでかなり近似してます。

1枚目:永豊6号トンネル跡、2枚目:永豊7号トンネル跡。どちらも小樽方から江差方向を見ています。素掘りトンネルの痕跡は全くありませんね。
永豊8号トンネル

永豊8号トンネルは5号よろしく鷹の巣トンネルにめり込んじゃってる系です。そういうわけで断面の寸法は測れませんでした。実測延長は35.426m、記録上は38.50mとなりました。ちょっと実測値が短くなっちゃいまっしたがこれにはちゃんと理由があって、小樽方の坑口はほんのわずかしか露呈しておらず、しかもほぼ埋まってるとあって正確性が低いのです。

こちらが江差方の坑口。小樽方ほどではありませんがこちらだって人の背丈以上の崖錐ができて埋没しかけています。こんなだから過去に歩いた時には全く存在に気づいていませんでした。

坑内はこんな感じ。隙間の幅は最大1.80mを記録しましたが、狭っ苦しさはかなりのもの。小樽方に進むにしたがい徐々に狭くなり向こうの坑口はほんのわずかに光が見えるだけです(写真ではほとんどわからない)。
永豊9号トンネル

旧道化でもめり込みでもなく、新パターン「オープンカット」が出ました。永豊9号トンネルは8号と10号のほぼ中間にあり、オープンカットによりその姿は失われていました。しかし海側の側壁が岩塔として削り残され永豊9号トンネルの存在を今に伝えています。内空は測定できませんが岩塔の長さを測ることで永豊9号トンネルの延長を求めると4.358m。記録では5.50m。相当削られてそうだからまあそんなもんかな。
永豊10号トンネル

永豊10号トンネルはまためり込み型。延長は記録の18.00mに対し実測値は14.922m。江差方坑口がガッポリ鷹の巣トンネルに突き刺さってる形のために坑口が短くなっているものと思われます。幅員は記録が4.50mで実測値は4.024m。中央高は4.10mに対し3.541m。なので内空寸法は記録より実測値が一回りこじんまりとしています。

小樽方坑口はこんもりと崖錐に埋まっています。埋め戻しにも見える?左は鷹の巣トンネルの巻き出し部の窓です。

江差方はこのように途中で鷹の巣トンネルにぶっ挿さっているし、残された坑内には坑外から土砂が流れ込んでるし三角法を駆使しなければ中央高を測れませんでした。頑張ったんだぞ!(レーザー距離計が)

江差方坑口はこれだけの開口部しかありません。しかも延長から考えるとこの坑口は削られてできた偽りの坑口。

小樽方坑口は土砂でほぼ埋没、江差方坑口は鷹の巣トンネルの脇腹に突っ込む。鷹の巣トンネルにこんな窓が無かったら永豊8号トンネルみたいにほとんど気づけない存在だったでしょう。
永豊12号トンネル

続いて永豊12号トンネルも飲み込まれて痕跡が残っていません。記録の延長は14.00m、実測値は18.143m。若干カーブしてるから多少の誤差は覚悟してたけどこれは計測ミスったかな?前回来た時はメジャーで測ってたんですが、その時の数値は15.5mでした。まさかのアナログな方が正解だった?
永豊13号トンネル・永豊14号トンネル

永豊13号トンネルと永豊14号トンネルは、一つのトンネル工の外側に連なっています。記録上の延長はそれぞれ9.00m・13.00m。実測延長はそれぞれ7.740m・13.559m。幅員はどちらも記録上4.50mのところ、4.370m・4.418m。中央高は4.20m・4.56mのところ、4.080m・3.841m。永豊14号トンネルの記録上の中央高が4.56mとめちゃくちゃ中途半端になってるのは誤記だろうか?なんにせよ断面は記録より実測値が一回り小さくなりました。

永豊13号トンネルの両坑口写真。分かりにくいですが道路に対して坑口が斜めに口を開けており、延長の計測で誤差が出やすくなっています。幅員・高さはどちらも10cm強のズレだから目を瞑ってもいいかな。

続いて永豊14号トンネルの両坑口写真。小樽方坑口がほぼ埋没しております。

永豊14号トンネルの坑内。ご覧のように小樽方坑口が埋没しかけてますけれども、よく見れば手前の江差方はきれいに残っており、断面はおおよそ正確に測れてるはずです。なのに高さの実測値が小さくなってしまった理由は謎です。世界七不思議のひとつです。
永豊15号トンネル

最後となる永豊15号トンネルは残念ながら位置不明のまま終わりました。記録された延長は永豊N号トンネルの中で最短となる3.00m。永豊14号トンネルを出てから現道にぶつかるまでの間にあったと思うんですけど痕跡全く見つからず。手がかりを得ようと古い航空写真を見たけれども解像度は低いし日陰が多すぎの立地だからこんな小さなトンネルなんて特定できず。じゃあ地形図先生はどうなのかというと、なんと一度も永豊N号トンネルが掲載されたことがない!

しかし地形図からは何の手がかりも無いわけでなく、
この記事の情報
参考文献
- 『橋梁現況調書』各年版、北海道開発局






