厚雲峠旧道(八雲側)

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渡島半島には半島を横断する道路がいくつもあり、そのうち主なものを地図に示しました。標高はそれほど高くないものもありますが狭い半島内に分水嶺が縦断するもんだから、一つ一つが日本海岸と太平洋岸を結ぶ道路として重要な役割をもち、それぞれがアイヌの通った頃からの歴史がある峠たちです。


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そのうち今日は厚沢部町と八雲町にまたがる道道67号厚雲峠に注目してみました。ここはアイヌたちも江差へ抜ける道という意味で「エサシルペシュペ」と呼んで通っていた道です。本格的な開削は1913(大正2)年に始まりましたが様々な事情がありようやく全通したのは1962(昭和37)年のこと。この時トンネルはサミットに厚雲トンネル1本がありました。1996(平成8)年峠は山蕗トンネルという名前の新トンネルに切り替えられ厚雲トンネルは役目を終えました。トンネルwiki に写真を収録するためこの厚雲トンネルを訪ねるんですが、ネット上に最近訪問した記録が全くありません。大丈夫かなあ……


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現道山蕗トンネルの八雲町側の坑口に来ました。坑口前で旧道は左に分岐。トンネル補修工事の詰所が置かれていたので雪のない時期ならそこそこ広さのある平場となり旧道が別れる雰囲気が味わえたかもしれません。


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まだ4月に入ってすぐの山。旧道に入ると残雪が腰上位まで深さで続いています。非積雪地域にお住まいの方のために書いておきますが、晩冬の積雪は表面が融けて氷ってを繰り返してジャリジャリと固くなってるので埋まらずに雪上を歩き続けられます。さらに付け足すと藪がまだ雪に埋もれてるので藪こぎも回避できて一石二鳥。


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全ては雪の下に隠れてますが明らかに道の跡と分かる平場をたどっていきます。途中にはちらほら標識も芽吹いていました。


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左右の斜面が迫っているところではプチなだれが発生しています。


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枝沢を横切る箇所は暗渠になってますが、詰まって役目を果たさなくなった結果水が路面を削り取ったようです。雪がなくなってもこれでは車道としては機能しないですね。


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上二股川本流を渡る橋、現存しててよかった。道道とは思えない幅員ですね。


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橋の先で再びの雪崩帯。蛇行する川に路盤が削り取られガードロープが宙ぶらりんになってます。


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2度目の橋付近で向きをぐるっと変えてここから勾配がきつくなっていきます。北向きの斜面にとりついたので雪もまだ深く残ります。


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この先山要素が増量し雪やら灌木やらが多くなりました。固雪のいま時期じゃないと踏破は難儀するだろうなあ。


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最後の左カーブを曲がると見えてきました。厚雲トンネルです。


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トンネルについて詳しくは北海道 トンネルwikiを見てね。


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覆工はコンクリート巻きですが、両坑口付近はそれぞれ数十mの間ライナープレート入っています。亀裂でもあって補強したんでしょうか?内空は総幅員が6m、有効高が4m。高さがちょっと低めですが1962(昭和37)年の山奥にある道道トンネルにしては立派すぎる規模だと思います。前後の取り付け道路はほぼ林道状態だったと聞いてますけどね。


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厚沢部側の坑口から外に出ました。どちらも坑口も意匠は同一で、シャッターがつけられているのも一緒。さらには下が50cm位開けられているのも同じだったのでこうして無事トンネルを通り抜けることができました。


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坑口前には道路情報の掲示板とヘキサの標識。番号は458号。現在厚雲峠は67号ですが、最晩年に変更があったもので、長らく458号がこの路線の番号でした。


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これで実績「厚雲トンネルを写真に収める」を解除したのでまだ来た道を戻って現道まで帰りました。それにしても特別な理由が見当たらないのに何でここ何年もネット上に訪問した人が現れてないんですかね?わからん。


この記事の情報

主要地点の地図

参考文献

  • 八雲町史編さん委員会(編集)、『八雲町史上巻』、八雲町、2013年
  • 八雲町史編さん委員会(編集)、『八雲町史下巻』、八雲町、2013年

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