能津登トンネル
まずは寿都町東の端っこ、蘭越町との境界にある尻別岬の能津登トンネルから。雷電国道、国道229号・276号の重複区間にあり、現能津登トンネルは1994(平成6)年に完成しました。旧トンネルはこれと同じ位置に1968(昭和43)年に掘られています。更に旧旧トンネルまでさかのぼるとその位置は岬の先端近くまで動きます。
沿線には家々がありたぶん町道に指定されてるんでしょう。全線舗装されているのであっという間に目的のものが見えてきました。
大正時代の地形図に既に記載があったので「ウオッ!」と思っていたんですが、調べてみるとこの初代能津登トンネル、竣工は1910(明治43)年。なんと誉れ高き明治生まれとのこと。
逆側坑口。延長は49m。内部は素掘り一部コンクリート巻きだったといいます。
現道に合流。旧道の長さは蘭越側も寿都側もほとんど変わらない長さでしたが、体感的には3倍ぐらいこっちが長いように感じました。藪の力恐るべし。
種前トンネル
目的の袋澗を見終わり帰り際にもうひとつのトンネル、種前トンネルを見に来ました。現種前トンネルは1987(昭和62)年竣工。岬って程じゃないけどちょっと海に張り出した岩塊を貫いています。
旧道上は舗装は残っているけど草がはびこり、あと何年道の形を保ってられるかなあというところ。
これが旧種前トンネル。銘板も『北海道の道路トンネル』も『橋梁現況調書』も1963(昭和38)年竣工と示しています。坑口の意匠もこの頃の国道229号によくあるものと同一です。ところがどっこい、1947(昭和22)年に撮影された空中写真にはもう既にトンネルが写ってるんですよね。謎です。ちゃんと下調べしてれば分かってたかもしれないけど今日は袋澗目当てだったからね。分かり次第追記しときます。2017-01-01 追記 コメントより情報頂きました。1963(昭和38)年より前は「有戸トンネル」という名前だったようです。有戸トンネルの竣工年は不明。
こちら側の坑口は岩盤が不安定だったのか鉄骨の補強が入ってます。
トンネルは密閉されておらず中は完全に倉庫代わりとなっています。
延長40mのトンネルを抜けて反対側へ。こちらの坑口も意匠は全く同じです。
もうひとつ
トンネルマニアの皆さんなら「寿都って言ったら道道9号の寿都市街地の南にもトンネル2つあったよね?」とお思いでしょう。残念ながらその2つはオープンカット済み。北のトンネルは1948(昭和23)年の空中写真に姿は見えながら、1965(昭和40)年の空中写真ではなくなっています。南の建岩トンネルはここ数年のうちにオープンカットされたようです。ちなみにこれを執筆している時点ではまだ地理院地図に載っています。2017-01-01 追記 コメントより情報提供がありました。建岩トンネルは古くは建岩1号トンネルといい、北のトンネル(地図では名称不明トンネル)は建岩2号トンネルという名前でした。
この記事の情報
主要地点の地図
参考文献
- 「北海道の道路トンネル」(第1集)編集委員会(編)、『北海道の道路トンネル 第1集』、「北海道の道路トンネル」(第1集)領布委員会、1988年
- 北海道開発局、『橋現況調書』、北海道開発局、1964年
変更履歴
- 追記2箇所
2017-01-01T02:40+09:00(JST)
人間の屑もとい匿名希望です。恥を忍んでコメントさせていただきます。
「能津登トンネルについて」
1994(平成6)年に改修工事が完成するまでの間、この旧道を臨時で通行させた時期がありました。
大変申し訳なく、当時の状況は詳しく覚えていませんが、覚えている限りを申し上げます。
・コンパネで塞いでいる旧旧トンネルは、臨時通行の際には開放しておりました。
・旧旧トンネル内部は、ご記載の通り、素掘り一部コンクリート巻きのままでした。
・今は藪と化している寿都側の旧道も、臨時通行の際は全て舗装されていました。
(ただし、改修工事完成後は、再び舗装をはがし旧旧トンネルもコンパネで塞いでいます)
「旧種前トンネルについて」
1963(昭和38)年竣工にも関わらず、1947(昭和22)年撮影の空中写真で既にトンネル存在の謎
『橋梁現況調書(1959年3月末現在・開発局)』より、以下のことが考えられます。
・有戸トンネル(L=40m、素掘、竣工年不明)という形での記述があります。
(おそらく、これが1963年の改修工事完成により、旧種前トンネルになったものと思われます)
「”もうひとつ”について」
オープンカットされている2つのトンネルについて
『橋梁現況調書(1959年3月末現在・開発局)』より、考察させていただきます。
・建岩トンネル=建岩1号トンネル(L=28m、素掘、竣工年不明)
・名称不明トンネル=建岩2号トンネル(L=15m、素掘、竣工年不明)
以上になりますが、これはあくまでも個人的な見解にすぎません。参考程度にお収めください。
新年早々、長文コメント大変失礼いたしました。それでは。
2017-01-01T20:49+09:00(JST)
初代能津登隧道は、現能津登トンネル改築工事の迂回路として使用されるに当たって前後の取付道路も含めて拡幅と舗装が行われました。
1987年頃の廃道時代に通行した事が有りますが、寿都側が素掘りで岩内側がコンクリート巻でした。
2017-01-01T22:27+09:00(JST)
自称「人間の屑」を神と崇める管理人もといMorigenです。
記事公開からわずか2時間40分で僕の知りたいことをすべて明らかにするとはまさに神です。
「参考程度」どころかまさに探していた答えそのものじゃないですか。
旧旧能津登トンネルは新トンネル工事中に有効利用されていたんですね。
明治から平成まで使われていたとなると大分長命だったのですねえ。
種前トンネルと建岩トンネル(1号2号)について、手元に1959年の現況調書がないので北海道トンネルデータベースで確認いたしました。
ばっちり有戸・建岩1号・2号の記載がありました。ビンゴですね。
早速記事に反映しました。
新年早々しかも真夜中にお調べくださりありがとうございました。
今年も早速匿名希望さんに貸しを作ってしまいましたね。
なんとかこの借り返せるように半年頑張ります。
梨野舞納さん明けましておめでとうございます。
今年も早速廃道話が聞けてうれしく思います。
初代能津登トンネルが現トンネル工事時に拡幅舗装が行われたということはそれまでは無舗装で細い道だったんですか。
しかも拡幅してあの断面サイズってことは元々はめちゃくちゃ小さいトンネルだったんでしょうね。
2017-01-02T01:53+09:00(JST)
管理人様、夜分遅く恐れ入ります。ご返信いただきましてありがとうございます。
義理人情に欠ける私を、こんなにも思っていただき、ただ感謝するのみです。
おまけに、私の情報なんかをすぐに取り入れてくださり、もう嬉しくて嬉しくて・・・・・・・
私も早く体を治して、また調査に乗り出したいと思っています!
ここの話題とは異なってしまいますが、私が判明させたいのは1代目豊浜トンネルについてです。
1984年12月の旧道降格以降、いつあの洞窟の中のコンクリート巻き立てを取り壊したのか。
どうしても、このことを判明させたいと常日頃から思っているのです。
(何となく、1987年夏~1988年頃のような気もするのですが、まだ何ともわかりません)
同時に、梨野舞納様の経験値の高さには、尊敬を通り越してもはや崇拝の領域です。
色々なことを勉強させていただき、本当に頭が下がるばかりです。
こちらのブログに出会えて、本当に良かったです。
2017-01-02T19:00+09:00(JST)
迂回路として改築されるまでの初代能津登隧道、その蘭越側坑口の意匠は初代種前隧道と殆ど同じだったと記憶しています。但し幅員は旧種前隧道より細かったような気がします。
私が生まれる以前に私の両親は磯谷に住んでおり、初代能津登隧道を歩いてくぐって港町の商店まで買い物に行ったものだと聞かされました。
初代豊浜隧道についてですが、龍仙洞の部分は現役の国道だった時代から既に開口していましたよ。とは言え私が初代豊浜隧道を初めて通行したのは1984年の春なので、少なくとも1984年以前と云う事になります。
2017-01-02T22:21+09:00(JST)
ああ、ここにブログの歴史がひとつ樹立されました。
ブログを始め初めて閲覧者が訪れるまで3箇月、初めてのコメントが頂けるまで2年、そして読者さん同士が廃道の話で盛り上がってくれる日が来るなんて。
これからもこの良い関係が続いてくれますように。
しかもお二方とも僕から見ると経験値が高すぎてコメントを頂くごとに、僕はまだまだ小さい男だと思わずにはいられません。
匿名希望さんは机上調査能力がものすごいですし、梨野舞納さんは名前からしていかにも後志人って感じで昔の後志を正確に記憶していらっしゃる。
僕にとってはお二人とも神です。
ところで現況調書によると初代能津登トンネル(現役時)は幅員5m、高さ3.3m。
一方旧種前トンネルは巾6m、高4.5m。確かに断面が小さいですね。
梨野舞納さんの記憶の正確性にまた太鼓判が付きましたね。
すると意匠の件も正しいでしょう。
豊浜トンネルの方は僕がもう手も足も出ないレベルの話に達してるので静観させていただきます。
今年も神々のありがたいコメントを楽しみにお待ちしております。それでは。
P.S. 匿名希望さん、例の物ありがとうございます。僕の資料ファイルにしっかり収めさせていただきます。
2017-01-03T00:55+09:00(JST)
こんばんは。お二方からのご返信、大変嬉しく思っております。
梨野舞納様
豊浜トンネルのご教授、心から感謝いたします。
そうでしたか。1984年春の段階で、龍仙洞の部分は既に開口していたのですね・・・・・・・
やはり、梨野舞納様は経験・知識が豊富で、本当に頭が下がる思いです。
これで、私の体の調子が戻り、調査に乗り出せたときの重要な参考になります。
私のような者にも、お話をいただきまして、本当にありがとうございます。
これからも、どうかお元気でお過ごしください。
管理人様
お喜びいただいて何よりです。私も自分のことのように嬉しいです。
私にとっても、管理人様や梨野舞納様は神です。
お二方の探索能力の高さには、ただただ崇拝するばかりです。
私のような腰抜けには、とてもとても・・・・・・・
お二方そして皆様へ
ご存じとは思われますが、以下のサイトについて報告させてください。
・フォト北海道(道新写真データベース)
グーグルでフォト北海道と検索すれば、割とすぐに出てくると思います。
一応、念のために、申し訳なくもURLを貼っておきます。
・photodb.hokkaido-np.co.jp
(これらについては、間違いがあってはいけませんので、一応ご確認いただけると幸いです)
もし、うまくフォト北海道のサイトを開けましたら、以下の手順をお試しください。
1.キーワードのところに、積丹国道と入力
2.検索するのボタンをクリック
そうしますと、検索結果が2件表示されます。
それらはいずれも、1958年10月20日掲載のものになります。
そのうちの1件に、古平町チャラセナイ豊浜トンネル・・・の写真があります。
この写真は、後の1代目豊浜トンネルとなるもので、蛸穴トンネル古平側内部から見晴トンネル余市側坑口及び、写真右側の遠方にセタカムイ岩がぼんやりと見える内容です。
検索して表示される写真は、かなり小さなものになります。
有料での実寸大の写真のご購入も可能らしいですが、詳しいことはサイトのほうをご確認いただけると幸いです。
もし、間違いがあったら、大変申し訳ないことですので、一応、参考程度にとどめられてください。
今回のコメントの最後に
私もこうしてお二方、そして他にも探索されコメントをされる方々のお話をお聞きできて、大変嬉しくおもっている所存です。これからも、皆様が末永くお元気でいてくださることを願い、今回のコメントの締めといたします。
長文となり大変申し訳ありませんでした。それでは失礼いたします。
2017-01-03T01:09+09:00(JST)
連投となり、申し訳ありません。1つ申し忘れたことがありました。
先ほどのフォト北海道の件ですが、検索結果で表示された写真のところをマウスでクリックすれば、もう少しだけ大きな写真と説明文の全容が表示されるハズです。
大変失礼いたしました。それでは。
2017-01-03T18:20+09:00(JST)
初代豊浜隧道について、古平町で生まれ育った1971年生まれの友人に訊いてみました。
曰く、「物心ついた頃にはトンネルは2本に分かれていた」、と。
従って巻き立て部が解体され晩年の姿になったのは新しく見積もっても1970年代の前半よりも前と考えて良さそうです。
2017-01-03T23:05+09:00(JST)
梨野舞納様
ご教授いただきまして、ありがとうございます。
地元の方のお話であれば、確実に龍仙洞部分の巻き立ての解体は、1970年代となりそうですね。
いつになるかは分かりませんが、また体の調子が戻って再び調査を進める上で、今回のご教授は相当大きな手掛かりになります。もう嬉しくて嬉しくて・・・・・・・
この場をお借りして、厚く御礼申し上げます。
1973年度生まれ・匿名希望より
2017-01-04T08:36+09:00(JST)
確証は有りませんが、「1971年生まれの友人が物心ついた頃には既に2本に分かれていた」のですから、1970年代前半で在る事も否定は出来ませんが、実際には1960年代以前の事だろうと考えています。
2017-01-04T22:07+09:00(JST)
ありがとうございます。そうなりますと、1960年代の可能性も十分に考えられると思います。
一度(1964年秋)、竜仙洞の部分にコンクリート巻き立てを施工したものの、後に大型車か何かによる損傷などが仇となり、巻き立てを取り壊したという可能性もありそうですね。
そういえば、開発局さんが毎年のように発行している橋梁現況調書(トンネル含)で、1965年版から1984年版までの何冊かが閲覧可能であれば、当時の国道229号余市町豊浜トンネルの備考欄か何かに、それに関する記載があることを期待する自分がいる次第でして・・・・・・・
たとえ確証がなくとも、私は梨野舞納様の仰る通りだと思っております。
やはり、色々なお話をいただけると、調査の日が待ち遠しくなります。今から楽しみです。