胆振線(おまけ)

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本編では寄らなかった沿線の胆振線スポットをまとめてご紹介。

昭和新山鉄道遺構公園

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まずは伊達市から壮瞥町までの間、昭和新山の火山活動で土地が隆起し、線路が付け替えられた区間があります。この中にあった橋の跡が公園として整備されています。


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1940(昭和15)年にこの区間が開通したわずか3年後に火山活動は始まりました。胆振線が壮瞥川を渡っていたこの橋は周囲の農地や集落ともども持ち上げられ今は昭和新山の森の中。2年近く続いた火山活動によって胆振線は7回も付け替えを余儀なくされ長流川岸の位置に落ち着きました。


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公園の中ではありませんが壮瞥駅跡の近くには付け替えを伝える看板が立てられています。


2016-04-30追記

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同じく壮瞥町内にある壮瞥横綱北の湖記念館・壮瞥町郷土史料館にも胆振線の展示があります。公式ホームページにも展示物の情報が無く今まで胆振線の展示に気づきませんでした。


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胆振線関係の展示はこれだけです。まあ北の湖の展示がメインの博物館だからね。


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駐車場には壮瞥・久保内・蟠渓駅の駅名標が復元されています。


雪月花廊

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次は喜茂別町中里にある雪月花廊。胆振線からは少し距離があります。2003(平成15)年に閉校した双葉小学校をまるまる利用した宿泊所兼軽食店兼史料館。見学無料。


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見つけてしまいました。パラダイスです。優秀な探偵さん調査宜しくお願いいたします。とはいうものの史料館要素は整理や展示にまだ手が回りきっていないという感じで、その他はナイトスクープで取り上げられる様なオーラとは違い本当に地元民に愛されてる系のパラダイスです。


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教室も廊下も壁も天井も所狭しと並べられた品々の一角に鉄道関連のグッズがまとめられています。多くが胆振線喜茂別町内のもののようです。


旧喜茂別駅

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これは本編でやろうかどうか迷った所。本編で喜茂別駅跡と書いていたのは2代目の喜茂別駅で、1928(昭和3)年の開通時はこちらに駅が置かれていました。1941(昭和16)年に喜茂別-徳舜瞥間が開通するのを機に後に2代目となる西喜茂別駅が設置され、初代は貨物駅化。1944(昭和19)年初代が廃止されると同時に2代目を襲名することとなります。


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駅前の道路がちょっと放射状っぽいところにかつての駅前の雰囲気を感じ取れます。


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初代喜茂別駅から東へは上喜茂別鉱山の専用線が延びていました。しかし喜茂別駅を始め専用線も全く跡形もなくなってしまっているのが本編ではやらなかったわけ。


倶知安風土館

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倶知安町の六郷駅跡近くにある倶知安風土館。入館料大人200円、火曜定休。


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展示室ごとにテーマを分けかつての倶知安の生活を見るコーナーに鉄道の部屋があります。


六郷鉄道記念公園

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風土館のすぐ近く、六郷駅跡の鉄道記念公園。本編で来た時は冬囲いに包まれていた展示物が見れます。


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再現ホームには客車と車掌車、前後には踏切警報機・信号機があります。また一つ上の写真にあるように9600形の動輪もあります。


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再現されたホーム上の駅名標はローマ字表記は故意かミスか「ROKUGŌ」ではなく「ROKUGOU」。ところが「KANBETSU」が「KAMBETSU」でないところは本物に忠実なんですね。1960(昭和35)年に新設された参郷の代わりに寒別を書いたのは開通時の状態を書いたのでしょう。


倶知安町文化福祉センター

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倶知安町内もう一つ。文化福祉センターという公民館的な町の複合施設。


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ここに胆振線で活躍していた9600形が保存されています。前照灯の位置が特殊ですね。カーブが多かったり霧の出やすい等の地域を走るSLに施された特別な仕様で、左右に1つずつ前照灯を持っていた車両です。ここに置かれた当初は灯器は2つ揃っていてフロントには「2つ目羊蹄」のヘッドマークが付いていたらしいのですが、いつの間にやら片目になりヘッドマークも取り去られていました。


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主要地点の地図

変更履歴

  • 2015-08-04 脱字修正
  • 2016-04-30 本文中に追記

コメント

  • 宍戸 聡
    2015-10-02T16:40+09:00(JST)

    最近、大滝が地元の友人と話したときに「前は列車も走っていたし新大滝駅もあったんだよ」「え~」ってことになり
    ました。
    学生時代は羽幌線の遠別に住んでいてSLを撮りに行くのも室蘭止まりででした。
    仕事の関係で室蘭に住み始めたころに廃線になったようでした。
    胆振線が気になり色々調べているうちにまたおじゃますることになりました。
    他ではわからないことも詳しくあり一番参考になりました。ありがとうございました。

  • Morigen(管理人)
    2015-10-05T22:35+09:00(JST)

    稚拙なブログですがご覧頂きありがとうございます。
    1986年廃線になってからもう30年近くが経ち、新大滝はもう駅とは分からない状態になってしまいました。
    かつては引込線やら転車台やらがあって栄えた駅だったはずなのですが、諸行無常というのは恐ろしいものです。
    羽幌線も同じ頃に地図から消えましたがそちらも大分風化してるんでしょうねえ。

  • 淡路島のきょんきょん
    2016-12-13T06:28+09:00(JST)

    私は 今65才です。小学校中学校 高校2年まで脇方に住んでいました。とても懐かしくて涙が出て来ました。当時は雪が三メートル位降って しかもるんぺんストーブ 石炭に火がつくまで大変な時代でしたが 私は子供だったので スキーに明け暮れて楽しかった思い出ばかりです父親の転勤で福岡に 今は結婚して淡路島に住んでいます。雪が降らない冬が寂しいです。今でも倶知安高校のクラス会に参加しています。脇方の思い出が一番です。ありがとうございました