以前室蘭本線登別-虎杖浜駅間の伏古別トンネルに行きました。登別駅というのは上下方向共にトンネルに挟まれており伏古別トンネルとは逆の富浦駅方向には
登別駅から伏古別トンネルとは逆の南西方向、太平洋へ突き出した蘭法華岬にトンネルがあります。ところでランボッケとはかわった響きの地名ですが、1931(昭和6)年まで岬の向こうの富浦をかつてはランポク、あるいはランポッケと呼んでいたそうです。じゃあその意味はというと「坂の下」又は「坂の下のところ」というアイヌ語だそう。トンネルの無い頃、蘭法華岬の急な坂を歩いて上り下りしていた名残なのですね。
旧線は旧国道の下を抜けていきます。地形図ではここには跨線橋が架かっていることになっていますが既に撤去されています。この橋蘭法華跨線橋は1932(昭和7)年完成。中路式鈑桁で斜橋という珍しい橋でした。
笹と木の向こうに蘭法華トンネルがあります。道路からわりと近い場所に坑口がありますが木々にまぎれてその存在に気付くドライバーは少ないかも知れません。
ここから3段写真が立体視みたいに並びます。写真左、海側が上り。右、山側が下り。室蘭本線(当時は北海道炭鉱鉄道室蘭線)が開通したのは1892(明治25)年8月1日。当時の室蘭本線は単線であったから、使われていたのは左のレンガのトンネル方だけでしょう。
単線時代の蘭法華トンネルは1890(明治23)年11月6日に伏古別トンネルと同時に着工し、翌年12月20日に竣功。延長の長い伏古別トンネルは遅れて1892(明治25)年2月18日に竣功しています。石炭の鉱山と積出港を結ぶ重要路線であった当線は複線化も早く、この蘭法華トンネルの区間は1926(大正15)年7月10日に行われています。伏古別トンネルではそれが2週間ほど遅れます。昭和目前にもなって伏古別は上下線ともレンガ覆工だったのに蘭法華では下りがコンクリートになっているのはなぜなのでしょうか。当時の資料は少なく詳細は不明だそうです。
富浦側坑口が近づいたところで振り返って富浦を背に登別方向をを見ました。両方とも断面が変化して、同じくコンクリートに変わっています。ここから先は落石覆いが後から付け足されたのです。銘板によると1963(昭和38)年8月12日に竣功したとあります。
付け足し部分、上り線は窓があり外には道路を挟んで海が見えます。金網が張られるも壊されているところも多く坑内は無数の足跡で埋め尽くされています。網の外には泥や枯葉が50cmほどにも積もっています。
富浦駅方の坑口。手前から旧上り、旧下り、現在線。現蘭法華トンネルは電化に合わせて建設された複線トンネルで、1980(昭和55)年6月23日に開通。今でこそ多くのトンネルを支えるNATMも北海道ではこのトンネルが第一歩だったそうです。
この記事の情報
関連記事
主要地点の地図
参考文献
- 札幌鉄道管理局営業部旅客課長 池田晴男(編輯)、『北海道 駅名の起源』、日本国有鉄道、1962年
- 日本国有鉄道札幌工事局70年史編集委員会(編)、『札幌工事局七十年史』、日本国有鉄道札幌工事局、1977年
- 日本国有鉄道北海道総局、『北海道鉄道百年史 上巻』、日本国有鉄道北海道総局、1976年
- 日本国有鉄道北海道総局、『北海道鉄道百年史 下巻』、日本国有鉄道北海道総局、1981年
変更履歴
- 2016-03-13 地名のミス・脱字修正
2015-09-24T09:56+09:00(JST)
富浦を中心に動画を撮影しています。トンネル近辺での撮影も多く以前から気にはなっていたものの
調べることはありませんでしたが、偶然見つけたこのページで使われていない2つのトンネルがどういうものなのか
はっきりしました。通勤で毎日通る場所なのであらためて2つのトンネルを見ることにします。
ありがとうございました。
2015-09-25T07:44+09:00(JST)
お役に立てて光栄です。
富浦周辺で動画撮影されているとのことですが、
昔に比べたら貨物も夜行も少なくなり本当に寂しくなりましたね。
旧トンネルを見る機会がありましたらその動画でも撮って
廃線の世界に興味を持ってもらえたらなと思います。
それではこれからも撮影頑張ってください。