市区町村史を開くと必ず交通に関する章がありますよね?平取町百年史(実質平取町史)は凄いですよ。旧道・廃道だけを扱う「古道」という節があるんですよ。ご丁寧に地図やコースタイムまで書いちゃって。「オブローダーにやさしい」をコンセプトに書かれた町史に違いない。今日は古道の節から一つ。日高竜門に来ました。
スタートは平取町と日高町の境界。国道237号竜門橋付近から日高町方向へと向かう旧道へ入ります。平取の町史に載っていた道なのに、境界から日高町に行くんだから平取町域はありません。
旧道に入ると落石雑草がきれいに整理整頓された奥行き50mだけの袋小路。上流のダムからやってくる水管橋が国道と一緒に沙流川を渡り、この橋の袂できれいな道はブツ切れ。
ここからシダ類生い茂げ倒木横切る、古道とやらの真髄が発揮されます。
古道というから○○街道とか××山道のイメージを持つかもしれませんが、この道は1929(昭和4)年着工、1931(昭和6)年完成、1972(昭和47)年旧道化というめっちゃ近代のものです。まあ古い道には違いありません。これ以前の道は竜門橋付近で川を船で渡り、後はずっと左岸の山の中を行くものでした。平取と日高を結ぶ道として古道と呼ぶに相応しいのはそちらですね。
そうそう、僕を止めるにはこれ位じゃないとダメですぜ。って、えー!
僕が到着した時これ見よがしにキツネがこういうルートを通ってこちらに渡ってきました。お前らの足どうなってんの。
人間様は無理せず遠回り。反対側の入り口、岩知志ダム前にやってきました。
岩知志ダム右岸に伸びる砂利の道はダム前までの盲腸道路。先は期待通り新緑に染まっています。
地図に名前は入ってませんが、ヌプリパオマナイという沢を渡ります。現役時は洗い越しだったかどうかは知りませんが、現在の路盤は見事に洗い流されています。
ダム通過後、川と道の標高差は約30m。道は徐々に下り川面に手が届かんばかりまで来ました。当面は川縁を歩くことになります。
下流で赤い鋼材がいくつも流されているのを見ましたが、落とし主はこれだったんですね。
蛇行する暴れ川の外側に位置してしまったがために益々足元が悪うございます。
見えるものもなんだかおかしげに写ります。いやこれは本当におかしいのか。
3径間の桁橋。銘板によると名前はひだかばし、1963(昭和38)年10月竣工。旧道側の橋台が洗掘され1径間がもげそう。
←上流 下流→ |
橋から上流方向にはぞっとする岩壁。屏風岩というそうです。これの下を旧道が通っていて今歩いてきました。下流方向にはさっき僕を足止めした崖崩れが見えます。
ひだかばしは旧道のものではなく枝道で、この枝道は橋の先にも続いています。どこまで行くのでしょうか。
最後は不鮮明でしたが現道にぶつかりました。地形図には周囲に畑の記号がちりばめられているので、旧道時代孤立したここと外界を接続したのがひだかばしだったのでしょうね。
ちょっとだけ旧道の未踏区間がありますが今日はこれでお終い。覆道・橋があるおいしい所だけ頂きました。
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主要地点の地図
参考文献
- 平取町史編集委員会(編集)、『平取町百年史』、平取町、2003年
- 室蘭開発建設部 地域振興対策室、『観光 体験(ひだから紀行3)』(http://www.mr.hkd.mlit.go.jp/kanko/kan_tai/05tai_hidaka-3.html)
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2014-10-24
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2013-07-26T19:50+09:00(JST)
この辺は「山行が」の掲示板で探索依頼が出されてましたね。私は昨年は道道620で今年は野生スズランの方に行ったりして、まだ未踏。自転車メインなのでなかなか行きづらい場所です。
2013-09-24T21:07+09:00(JST)
山行がって北海道にも来ていたんですか。知らなかった。
スズランというと平取ダムに沈むとかいう場所ですよね。
車でも眠くなる道を長距離ポタリングし→スズランだけ見て→野宿。お疲れ様でした。
"旅行"ではなくて"旅"してますねえ。