川汲峠旧旧道・旧道

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おそらく亀田半島最難関な峠。函館市の川汲峠の旧旧道を歩いてきました。おまけ的に旧道も最後に寄っています。


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旧南茅部町側の麓。川汲峠の川汲とはここの地名。川汲温泉街、といっても2軒しかありませんが、この温泉街が川汲峠の入口となります。


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旧旧旧道は温泉街で川を渡って尾根を行く「間道」と川汲川をしばらく遡る「本道」の2本があるそうです。旧旧道はここで現道と別れ、「本道」のほうに近い川沿いルートをとります。


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旧旧旧道の本道はまだ川汲山道と呼ばれていた時代の道で川筋を歩いたそうですが、こちら旧旧道は1925(大正14)年10月1日に竣工して乗合自動車が走ったという自動車の時代の道路です。


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川の周囲は現在公園化して旧旧道と接していました。旧旧旧道の本道は公園の出現で原型を留めていないそうです。旧旧道は接するだけなのでギリギリセーフ。


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公園内はトイレや広場や観音様。少し歩けばキャンプ場や駐車場もあります。


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2011(平成23)年に建ったというこの観音様。台座には屋号がびっしり。苗字で書いてる人はほぼ居ません。この地域は今でも屋号の文化が深く根付いているようです。


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公園からは川汲川を一度離れ、支流の二俣川を回って高度を稼ぎます。二俣川を渡る箇所、川の上には二股橋が架かっています。でも高欄は単管だし足元には覆工板が敷かれています。仮橋のようですね。


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橋台の石垣と橋脚は本来のものが現存していました。コンクリート製のどっしりした木除杭に守られ、橋脚本体に目立った外傷はなく、何者かが桁を取り去ったことによる他殺と見られます。見たところ高欄はここ数年以内の物に見えるので数年前までは木橋が架かっていたのかな?見たかったなぁ。


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橋の先、とうとう廃道の本性を表したな。


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崩落した斜面に保護工事を施したようでここだけ歩きやすい。でも騙されないぞ。この先特に利用価値の見当たらない長い山道が廃道化してないわけが無い。


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法面保護工を過ぎると殊の外酷い荒れよう。蔦に包含されたつかみ所の無い倒木と格闘しながら自転車を行く先に放り投げ、写真の範囲を通過するだけで5分の浪費。


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そんななのにこの廃道ったら「遊歩道」だなんて訳の分からないことを言い始めましたよ。自称遊歩道の中であっても別段きれいに整備されているわけでもなく、相変わらずのありさまを100m足らず保って元来た右の斜面に消えていきました。


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なんだか見たことのないタイプのガードロープの支柱。


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道の上ばっかり歩いていると気付きにくいのですが足元は石積み擁壁なんてところもあったみたいです。


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どこまでも続く笹の街道にやる気が無くなる。


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靴下の代えも無くなる。


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ほんのひと時木々が切れ、旧道が足元をかすめ行きます。左の画面外ではコンクリートに密閉された旧川汲トンネルを見ることも出来ますが、どうせ後で行きますので写真はそのときに。


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旧道に最接近したところからうれしい同行者が現れました。何がうれしいって、生きてる電線なら作業用に道が付いてるって事でしょ?


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そんなことはありませんでした。草刈も倒木の除去も全くなく、手付かずの大自然が僕を歓迎してくれています。


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川汲川が削った谷に沿い東に向かった旧旧道は鋭く曲がって西に向き直ります。カーブで川汲川の源流と2本の名無しの沢を渡るのですが、どれも路面が消滅しガリーを残しています。


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出発地から比高200mを稼ぎ出し、主尾根の懐に入りました。峠までは枝尾根を複雑な線形でかわしていきます。


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地図上で峠が近づき安堵の気持ちが芽生えてきたのに今日一番の危機に直面。路面がごっそり行方不明。最後まで気を抜くなとの仏の思し召しか。


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かすれながらも3時間ぶりに轍復ふっかーつ!


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川汲峠にも無事とうちゃーく!標高428m。浅い掘割の中、威勢よく張り出した笹とハイタッチし旧旧道の大きな区切りを迎えました。


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峠から南はNTT川汲無線中継所のために舗装路化し現在も車道としての役割を果たしています。ここからでは陰になって見えませんが、左方向には旧旧旧道に向かう砂利道が付いてます。せっかくここまで来たんだから途中まで行ってみましょう。


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「台場山砲台跡」の看板に案内され約10分でピークに達しました。ここが台場山といわれる山の頂上。台場の名の通り、1869(明治2)年に旧幕府軍が台場を築いた場所だといいます。


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登って来た側を振り返ると展望が優れ、遠くは函館山や松前半島まで見通すことが出来ます。逆に今歩いてきた旧旧道は森に隠されほとんど分かりません。


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登って来た側とは逆にはまだ徒歩道が伸び、これが旧旧旧道(間道)だと思われます。


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さあ、元の川汲峠に戻って今度は下って行きますよ。こちらはNTTによって管理されている現役の道なので気合を入れて歩くほどでもありません。


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脅威のガードレール4段重ね。さながら人工的に掘割が作られたよう。


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露岩は漏れなくコンクリートで固められ落石をもたらす元が断たれています。


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足元は1箇所だけこんなのがありましたが、ほんとにこの1箇所以外は全く無傷。


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現道に出ました。


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帰り際旧道にも入ります。新川汲トンネルの右の分岐が旧道。


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新川汲トンネルは2008(平成20)年7月28日の開通。すなわちこの道の旧道化からまだ5年ぽっちしか経っておらず、あまり旧道感がありません。あえて言うならいかにも幹線道路風なのに車通りが全く無いことぐらいでしょう。


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川汲トンネル着きました。高さ制限僅か3.5m。有効幅員は5.5mなので片側2.75m。大型が入ったらめっちゃギリギリ。


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「建設副産物保管場所 保管目的 重金属を含む土砂を適正に管理するため」
新川汲トンネルのズリから基準の19倍のヒ素や鉛・フッ素が検出され、この中に置かれてるっぽいです。


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およそ2kmの新川汲トンネルを抜けて旧道の反対側にも入っていきます。


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頼むので正面から大型が来ませんように。現役時だったそんなこと考えながら渡りそうな山中橋。大型同士だったら確実に離合不能でしょう。


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こちらも同じく荒れの無い路面を保ち、塞がれた川汲トンネルが待っています。


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川汲トンネルは1968(昭和43)年11月に竣工。トンネル含め旧道は同年12月に全面開通しました。


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近くの斜面には今まで歩いた旧旧道が横切っているはずですが下から見たのでは道があるとは想像が及びもつきません。


この記事の情報

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主要地点の地図

参考文献

  • 南茅部町史編集室(編集)、『南茅部町史 下巻』、南茅部町、1987年
  • 毛利剛、『旧道シリーズ Vol.06 川汲山道(箱館戦争で、土方歳三隊が箱館府兵を敗走させた場所) 鶴の湯温泉(現川汲温泉)~川汲本道(川汲本道)』(http://dp04131457.lolipop.jp/oldroad/05-kakkumi.pdf)
  • 「北海道の道路トンネル」(第1集)編集委員会(編)、『北海道の道路トンネル 第1集』、「北海道の道路トンネル」(第1集)領布委員会、1988年
  • 『北海道新聞』、2006-10-18朝刊函館・渡島・檜山版31面、「函館土現に重い宿題 現川汲トンネル埋め戻し案承認 15億円?費用ずしり 新たな処分地探しも」

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コメント

  • Ricky
    2013-07-26T19:04+09:00(JST)

    私の時は、入り口ゲートの所の「私有地」看板に気後れして人目を気にして突入できず、川汲側の旧道から道のラインを眺めただけでしたが、記事を見せて頂いて、時間もなかったので突っ込まなくて良かったと思いました。
    あの辺ですと、私の「宿題」は、水無海浜から恵山まで通じていた古道ですねぇ(昔は恵山周回できた)。なかなか行けない。

  • Morigen(管理人)
    2013-09-24T20:50+09:00(JST)

    そうなんですよね、入口のゲートが一番の関門かもしれません。
    でも川汲公園を経由して旧旧道に入ると何のゲートも看板もないというセキュリティホールがあったんですよ。

    >水無海浜から恵山まで通じていた古道
    うお、これはいいことを聞いてしまった!

  • しゅくじ
    2017-05-23T10:06+09:00(JST)

    いいもの見ました!
    私は川汲で生まれ育ち、高校卒業まで毎日旧道を使ってました。
    川汲公園も中3の桜まつり以来行ってなく、あんな碑もたってたんですね。

    ちなみにあの屋号、全部読めますw
    例えば「川汲のカネマルイチの長男」で私のこと。
    同じ苗字が並ぶ地域なので、屋号+名前or家族のポジションで、誰なのか識別するわけです。

    そして旧道トンネル川汲側の入り口には「台場山登山口」というバス停があり、ここでバスの乗り降りをする人は、私の半生では見たことがありませんでした。

  • Morigen(管理人)
    2017-05-26T18:13+09:00(JST)

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    カネマルイチさん見つけたー!

  • 当宮奏
    2020-09-24T11:44+09:00(JST)

    狭い道です写真鶏に行きたいて