2013年5月19から25日の1週間、小樽市の立正佼成会小樽教会の旧遠藤又兵衛邸内部が公開されるということで行ってきました。立正佼成会の青年の日(5月第3日曜日)にあわせて毎年行っているそうですので、見逃した方は来年来てみて下さいな。
旧遠藤又兵衛邸は1909(明治39)年、遠藤又兵衛の住宅として建てられました。遠藤又兵衛という人物は天保14(1843頃)年羽後国に生まれ、安政4(1857頃)年、15歳にして松前の商店に仕えたり行商を行いました。1879年(明治12)年小樽に居を構えて海産商を初めたのが大当たりして巨万の富を築いた実業家であります。工費数千万円を投じて住吉神社に石段や玉垣を寄進したり、慈善団体に多額の寄付をしたりと、公共精神の厚い方だったようです。1923(大正12)年9月19日没。
1909(明治39)年に又兵衛が自らの邸宅を作り改め出来たのがこの建物。設計者長倉増蔵、施工者不明。越後から大工を呼び3年がかりで作り上げたものといいます。部屋が19、トイレだって3つも付いているコの字形の和洋折衷建築で「コ」の内側には中庭を設けていました。 大正期、商売がかげりを見せ氏の手を離れると、後に衆議院議員となる山本厚三、北海道炭鉱汽船の寮を経て1964(昭和39)年4月に立正佼成会小樽教会の所有となりました。
立正佼成会小樽教会となってから19年後の1983(昭和58)年、維持費と信者増加による狭小化のため一部を取り壊しました。当初はすべて取り壊して立て直しの予定だったそうですが地元からの熱い要望がったため、通りに面しており建物の重要な部分を含む正面を残すことになりました。
正面の塀、黒い簓子下見と白い漆喰。建物右側面の塀は煉瓦積み。イギリス積みかと見えたけど端を見るとオランダ積みでした。天端付近には波状装飾。その上に瓦屋根を乗っけるのは日本人の感性ですね。側面を建物に合わせた高さで煉瓦積みにしたのはうだつ的な意味があるのでしょう。
鷹と亀が目を光らす正面門をくぐり敷地に入ります。私邸時代ほとんど開門は行われずくぐり戸を利用していたそうです。
玄関右には白い張り出し。この建物が和洋折衷といわれるポイントがこれ。ベイウィンドウといわれるこの張り出しは、大正期には金持ちがこぞって和風建築に取り入れたものです。以前見た濃昼の鰊御殿木村家住宅もまさにこれでしたね。
門の中には古い鬼瓦が雑然と置かれています。以前は3年に1度ウン百万もかけて瓦の葺き替えをしていたといいます。そんな維持費かかるんだったら取り壊したくなるよね。
玄関入って左の部屋はリフォームされており明治建築の趣はこれっぽっちも残されていません。
逆に玄関右の部屋はこの建物を最も特徴付ける部屋だけあってきれいに残されています。北側には暖炉。南側にはベイウィンドウ。和風建築に映えるエキゾチックな白い部屋は応接室として使われていたということです
ベイウィンドウの3つの窓は上げ下げ窓。今でもスムーズに動かすことが出来ました。
天井に視線を移すと分厚い蛇腹の廻縁が見えます。普通の家にこんなのあったら視界が賑やか過ぎるのですが、遠藤又兵衛邸は天井が高いのでこれ位やって丁度よく感じられます。
どれぐらい天井が高いかというとこんなに高いんです。扉が縦に2つ並べられそうです。数字にすると4mぐらいでしょうか。
傾斜地に建てられ既に100年以上。いくら良いお屋敷とはいえ多少の歪みが出てきてるようです。
廊下から北にはかつて中庭がありました。現在は立正佼成会小樽協会の駐車スペースと建物があります。
スーパー蛇足タイム
遠藤又兵衛の出身地は今日もらったリーフレットの中ではでは秋田県。建物内の張り紙には山形県。いくつか資料を見たりネットでググって見てもやはり一定しません。僕が見た中で最も詳細に記した資料によると出身地は「羽後国酒田在の鹽越村」。羽後国というのは現在の秋田県、酒田は山形県酒田市周辺、鹽越村は秋田県にかほ市象潟町1~5丁目塩越となるので一目には矛盾していると見えます。しかし羽後国は現在の秋田県に概ね一致しますが、当時は酒田市の北部を含んでいて、明治2~3年に存在した酒田県(第1次)は塩越村付近を県域に含んでいました。「酒田在の」を「酒田県の」と解すならば「羽後国酒田在の鹽越村」は矛盾無く理解できます。つまるところ、僕は遠藤又兵衛の出身地は、物理的位置は今の秋田県、地方公共団体は今の山形県ということだと思うのです。
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主要地点の地図
参考文献
- 坂牛祐直(著)、『小樽の人と名勝』、坂牛祐直、1931年
- 小樽再生フォーラム(編)、『小樽たてもの散歩』、小樽再生フォーラム、2009年
- 日本建築学会(編)、『総覧 日本の建築 第1巻 北海道・東北』(小樽図書館所蔵館内短縮資料)、新建築社 、1986年
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会(編)、『角川日本地名大辞典5 秋田県』、角川書店 、1980年
- 『北海タイムス』(小樽図書館所蔵館内短縮資料)、1968(昭和43)年7月24日-8月11日、「小樽の建築9 ヒノキの土台 60年全く狂いなし 立正佼成会小樽支部」
- 『読売新聞』(小樽図書館所蔵館内短縮資料)、1985-06-12、「おたる遺構再見18 遠藤又兵衛邸 本道一の豪商のあかし」
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2014-12-06
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2017-06-21T01:47+09:00(JST)
詳しく書いてくださりありがとうございまいした。義理の母(69歳)が、父の遺した「お前の実の母は、遠藤又兵衛という名で小樽の海産物商の豪商であった」と言われ、ずっと確かめたくて、役所にて戸籍を辿っておりましたところ、遠藤又兵衛の来孫にあたる血筋であることが明らかになりました。現在、神奈川県は横須賀に住んでおり、孫(又兵衛氏からみると仍孫)もおります。
遠藤又兵衛の詳しい資料や文献はどこにあるのか、知りたいと義理の母も申しており、もし参考文献などがあれば教えていただけると有り難いです。どうぞ宜しくお願いします。
2017-06-21T12:01+09:00(JST)
本記事は参考文献に書いた通り以下の書籍・新聞を元に書いております。
いずれも市立小樽図書館に所蔵のものです。当日に図書館でチョチョッと調べただけなので探せばまだあるかもしれません。それと今日は仕事が休みなのでこれから北海道で一番大きな図書館の北海道立図書館に行って別の資料が無いか探してみます。もう少し詳しい情報が必要ならこちらから松田さんのメールアドレス(可能ならパソコンで閲覧可能なものを)を教えて頂けませんか?お力になれるかも知れません。それでは返信お待ちしております。
2017-06-21T21:33+09:00(JST)
北海道立図書館に行ってまいりました。道立図書館では
の2点が見つかりました。但し小樽図書館の資料と似たり寄ったりで新たに分かったことはありませんでした。すみません。
2017-06-21T23:04+09:00(JST)
今手元にある資料をアップしました。
こちらからダウンロードしてください。
著作権の関係ですぐ消すのでダウンロードはお早めに。
たぶん今月中に消します。
建築物を見るという目的だったので建物の情報ばかりが多く、肝心の氏の情報が少なくて申し訳ないですが、少しでもお役に立てたでしょうか?
ご存知かと思いますが、これらの資料はおそらく最寄の図書館へお取り寄せできると思いますので気が向いたらご覧になってください。
横須賀にお住まいなのでしたら日本有数の所蔵量を誇る横浜市立図書館か、少し足を伸ばして国立国会図書館で調べてみるのも良いかもしれません。
また最寄の図書館でもレファレンスサービスを利用したり、無くとも図書館員さんにお願いしてみるという手もあります。
それでは松田さんの探求が満足されることを願って失礼します。
2017-06-23T01:15+09:00(JST)
今日も仕事が半休だったのでもう一度道立図書館に行ったらもう1冊後藤又兵衛に関する資料が出てきました。
それからすっかり忘れていた見学会で配布されたパンフレット。
この2点もアップしましたのでこちらからダウンロードしてください。
例によって消しますのでお早めにどうぞ。