硬雪が味わえるシーズンの最後。チャンスを逃すまいとちょっとだけお外をそぞろ歩き。タイトルどおり三井鉱山砂川鉱業所の豊沼奈江川上流部にあった鉱山跡地に来てみました。三井鉱山が上砂川に炭鉱を開いたのは。山一つ隔てたこっちには開坑。
現地には小屋が2棟。
廃橋が2本。
坑口(閉)が2個。
竪穴に落ちかけました。僕みたいなバカタレはいらっしゃらないと思いますが、皆様採鉱地の散歩はくれぐれもお気を付け下さいませ。
鉱山から奈井江の町まで運炭していた三井鉱山奈井江専用鉄道の橋は2本が完全な姿で残されていました。左は第2奈江川橋、右は第1奈江川橋。第1奈江川橋は側径間がコンクリートアーチで中央径間が魚腹型補剛つき鋼ガーダーという特異な姿をしています。この種の橋は士幌線にも建設されましたが現在ではガーダーが撤去されてしまいました。同じ士幌線中にある第3音更川橋(全径間アーチ)はコンクリアーチと鋼ガーダーを比較した結果建設費の安かったコンクリアーチになったそうですが、第1奈江川橋の場合は鋼ガーダーの方が安かったんですかね。
に奈井江炭鉱が出来てから豊沼奈江川周辺が開発されてからにかけて上砂川までの道が建設されました。
その道は現在旧道となっているのですが……
ブツリブツリと断裂してるので歩くには適しません。入る前に気付けばよかった。
なので峠の頂上上砂川トンネル前にワープ。
旧道の頂上は(旧)上砂川トンネルが通ってました。現在目にするありとあらゆる資料では竣工とされていますが、前述の通りまでに道が出来ているのでそれ以前の竣工のはずです。発行の2.5万分地形図先生もそうおっしゃってました。
反対側の坑口。この道はに町道として路線認定され、に道道121号奈井江上砂川線へと昇格。町道として掘られたという歴史が何かしらの混乱を招いたのかな?
昔はこうして上砂川町内の炭鉱町同士を接続していました。炭鉱の無くなった今は10分に1台くらいの交通量しかなく、過ぎ去った繁栄は想像出来ません。
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主要地点の地図
参考文献
- NPO法人ひがし大雪アーチ橋友の会、『アーチ橋工事写真 – ひがし大雪アーチ橋友の会』(http://www3.ocn.ne.jp/~arch/archkouji.htm)
- 上砂川町史編纂委員会(編)、『新上砂川町史』、上砂川町、1988年
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