、山に囲まれた石炭王国夕張から栗山に至る最短の鉄道路線が開通しました。それが夕張鉄道夕張鉄道線(後に北海道炭礦汽船夕張鉄道線)。明治時代から採炭が盛んだったであったのにもかかわらず、夕張とおとなり栗山の間を鉄道で行き来するには南に大きく迂回し追分・紅葉山を経由するしかありませんでした。地図で図ると直線距離で約15.5kmの距離の移動のために60kmの遠回りを要していたところ、夕張鉄道線の開通で距離は34.4km短縮させました。
モータリゼーション、炭鉱の閉山、過疎、助成金の廃止といった時代の流れによりに惜しまれながら廃止となります。
夕張鉄道線は夕張の市街地最後の平和駅を離れたら山地を越えて石炭王国を出国していました。山地は路線中最大にして唯一の山越えで、第一から第三までのトンネルと見事なスイッチバックを有する錦沢駅あります。今日はこの山越えのあたりにMTBでアタックしてきました。
スタートはここ。山越え前最後の平和駅を過ぎて200mくらいの半端な位置。足元を見ると路面はアスファルト舗装済。鉄道廃止後はサイクリングロードに転身し、住民の健康増進へ一役買っていました。今日は若菜駅跡から出発して来たんですが、山菜採りやら朝のジョギングやら犬の散歩やら元気なおじさんおばさん達でごった返してたのでこの様に半端なところから始めることになってしまっています。それにしても若者が見事に一人も見当たらなかった。
ペダルを漕ぎだして1分か2分位で峰と峰とに挟まれた狭い空間に吸い込まれ始めたかと思えば地面は草や泥に被われ倒木が行く手を阻みます。実はサイクリングロードは山越えのところだけ廃止されていたのでした。この先波乱の予感。果たしてチャリで走りきれるのか。
はい、走れました。路面は泥草だけどMTBはもともと悪路を走るものだし、倒木は2~3本だけで全くノープロブレム。僕の牛歩で約5分、前方に最初のトンネルが見えてきました。
最初トンネルの名は第三隧道。上に見える橋は左の沢の水を右に渡す水管橋です。坑口に露出したアーチは3重のレンガ積み。その内側にコンクリートの巻きたてがありますが、鉄道廃止後にされたものでしょうか。でないと車両限界超ギリギリか満たしてなさそうな狭さです。
サイクリングロードとしての名称は第1トンネルみたいですね。鉄道時代は第三なのになんて紛らわしいことをしてくれたのでしょう。下に案内されている通りサイクリングロード時代は照明があったみたいです。
見ての通り高さ2mほどの板で塞がれています。これだけなら自転車を踏み台に入れないことも無いですが、よく見るとその内側にもトンネルの全断面を塞いでそうな壁が見えてます。これは無理か……
いや開いてる!内側の壁は壁でなくシャッターで、しかもオープンしてるみたいです。
というわけで自転車を踏んづけ壁の中にIN。商店街のシャッター通りも見習ってほしいぶっちぎりの24時間営業です。
さらにシャッターの中。コンクリートの巻き立ては坑口付近だけで中はコンクリブロックの側壁と煤けたレンガのアーチが見えてます。路面は外から流れ込んだ水と砂利で河原状態。
さっきの写真は30秒露光で明るく見えますが実際はこれくらいの暗さです。シャッターが開いていると言っても半開きだし外の壁もあるし照明の無いトンネルは暗いっすね。アーチのレンガなんてぶっちゃけ肉眼では見えません。
一度トンネル外に脱出します。入る時には自転車が踏み台になってくれましたが、出る時は単管パイプや壁の配管を手がかり足がかりにヨッコラセッと。出たらトンネルの反対側にワープします。だってさ、暗所恐怖症じゃん。
「第1トンネルの内部の様子詳しくお願い」、というお声を頂きました。サイクリングロードの第1トンネル(夕鉄第三隧道)のことだと勝手に決め付けて、御所望の内部画像大放出します。
まずは坑口の閉鎖のすぐ裏。井桁形に組んだ単管に安全鋼板を番線止め。外側からははずせません。左手側壁の配管は天井の明かりに電気を届ける電線管です。単管・電線管・安全鋼板そして地面に転がってる土嚢、手がかり足がかりだらけで、僕みたいなモヤシでも脱出に難なし。
入坑前に見たコンクリートの覆工は、坑口付近数mだけ。段差を作って煉瓦(コンクリ吹き付け)が顔を出し、これもすぐに終わります。
トンネル内の大部分は側壁がコンクリートブロック、アーチが煉瓦。壁にはずっと電線管が這わせてあります。
(リサイズ前画像:4302*2860)
上にも張ってる画像を猛烈に補正して明るくしてみました。天井には金網が張られ古ぼけた蛍光灯がポツポツ設置されています。夕張の財政状況からしてもう二度と明かりが灯ることは無いだろうなあ。金網は何の効果があるんですかね。煉瓦の剥離という万が一の事故を防止するためでしょうか。
シュタッ。ってこっち側開けられてるし!いやさっきも変だと思ったんですよ。絶対平常状態で閉まってるはずのシャッターが意味なく開いてるっていうことが。これは誰かが通り抜けの為に外したんでしょう。僕は板を外しシャッターを開けたヤツに一言言いたい!
ありがとう。
あなたのおかげで廃線マニア・オブローダーの行動範囲が広がりました。
坑口の構造はむこうと大して変わりませんが、アーチのレンガがなぜか4重になっています。この先出てくる坑口もすべて4重だったので結局のところ3重なのは最初の坑口だけでした。
外された板から見る細長く切り取られた外の景色はまるで掛け軸。
反対側の坑口ではジャブジャブ流れこんでた水はすべて坑内で滲み出しているようです。
決壊をやり過ごせば第二隧道が見えてきました。第三から第二間の路面も決壊以外はMTBでは余裕で走れる状態でした。
第二隧道の構造も第三と同じ。素晴らしいことに板が外されているのもシャッターが半開きなところまで第三と同じ。サイクリングロードとしての名前は第2トンネルみたいです。
第二隧道は短めなのでさっさとぬけて来ました。途中天井が大きく崩落していた箇所が一箇所。別に通れなくなるほどのものではありません。こちらの坑口も構造は同じ。板がすべて閉じられていましたが、真ん中の1枚が持ち上げると外れるようにされていたのでホント助かります。
トンネルを出てから少し行くと先の決壊を凌ぐ規模の決壊がありました。左は沼になっていて水涯ぎりぎりを歩いて向こう側へ。
更に行くと制限30km/hと落石防止柵。そういえばここまで山の中をきて落石防止柵はお初ですね。
狭い橋梁で注意を喚起するこの標識が見えたら錦沢のスイッチバックまでは後少し。
右の下方に思わせぶりな平場が見えてきましたよ。これは期待していいんじゃないですか?来たんじゃないっすか?
スイッチバーーーック!フォーーーーー!ってスイッチバックの珍しさは分かるけどそんなにテンション上がるほど好きではないです。
たかだか2,3%の坂なんて徒歩や自転車だと全く気にも留まらない勾配ですが、列車にとっては一大事な激坂。スイッチバックの上と下では20~30mの高低差しかありませんが、この折り返しを2つ重ねて越えていきます。
一つ目から二つ目の折り返しまでの間にタイガースファンみたいな標識が立っていました。信号警標。そう、ここは折り返しと折り返しの間に駅があるのです。スイッチバック自体余りお目にかかれるものではないのにI love Switch Backさんによると錦沢のスイッチバックは途中に駅がある唯一のものだそうです。
ここがかつて錦沢駅が置かれていた場所。駅があった当時は遊園地や寺があり夕張市民の憩いの場となっていましたが、公園は1970年(昭和45)年に閉園、駅も翌年旅客の営業を終了した後1975(昭和50)年に廃線とともに消滅しました。
現在残っている施設は東屋1棟と簡易トイレ、それにサイクリンクロードの地図看板。どれも廃線後に整備されたサイクリングロードのもののようです。
あと忘れちゃいけない錦沢遊園の碑。大きな池も駅の跡もなくなり、ここに遊園地があったことを示す唯一の忘れ形見となっています。
錦沢駅を出て二つ目の折り返し地点に来ました。ここを曲がればスイッチバックは終わり、道道にぶつかるまで半藪サイクリングロードを行きます。
札幌と夕張を結ぶ道道3号の錦冬橋が見えてきました。2008(平成20)年12月1日に付け替えられたばかりのまだ新しい道です。しかしこの道道の建設により線路跡700mが消滅しました。大きい道に出たので一旦チャリを回収しに戻ります(第3隧道の平和側坑口に置いてきた)。
チャリを回収しカロリーメイトを頬張りながら戻りました。消えた700mは道道上を行き、分岐してからはあっという間にトンネルです。
でもトンネルが見えたからといってテンション上ってワー!と不用意に近づいては行けません。スニーカーぐらいなら完全水没するぐらいの泥が坑口付近を防衛しています。自転車も自重でズブズブズブ……下はサイクリングロード時代に舗装されているはずなので底なし沼と言うことはありませんが、歩きにくさは底抜けです。
見えていたトンネルは第一隧道、サイクリングロードとしては第3トンネル。板は今までのようには外されていませんでした。更に中のシャッターまで閉められています。これでは入られないですね。暗所恐怖症なので内心「ホッ」。板乗り越えてシャッター開けろとか言っちゃダメ。
よく工事現場で頭を垂れてる看板があるということは維持の工事をするつもりがあった、あるいはしていたのでしょうか。
第一隧道からはしばし森の中。倒木の数、笹の侵略具合が今日歩いたどこよりも勝っていました。人家が見える富野まで下れば山越えは完了。次の新二岐駅まではまだちょっとありますが、今日はこの辺で失礼します。半端に始まり半端に終わる今日の僕でした。
最後に時間が余ったので夕張で気になっていた場所に寄って来ました。
写真の建物は花畑牧場夕張希望の丘。左の写真外には炭鉱の歴史を伝える石炭の歴史村が位置しています。気になっていたのはその後ろの山肌。是非クリックして大きく表示してみてください。山に穴が一つ開いてますね?
更に別角度から見ると手前には橋のようなものも。トンネル背後にはズリ山が見えるのでズリを捨てるための輸送路があったということは想像できますが、ベラボウな急勾配で穴に続いてるので勝手に想像しときながら「嘘だろ?」と自問自答。これは行ってみるほかない!
アブソリュートポジションN43.06402333E141.99171500H413、ポジション確認。アブソリュートタイム1337490603、西暦変換しますと2012年5月20日14時10分03秒。無事タイムアウト成功しました。コードナンバー2943、これより記録を開始します。タイムスクープハンターの口上、言ってみたかった。
早速滑車みたいなものと鉄索発見。もしかしてインクラインなのか?
トンネルまできました。写真じゃ伝わりませんが、ものすごい上り坂です。釜トンネルをも遥かに凌いでいます。
坑口近くにはローラーっぽい金属部品が落ちていました。もしかしてベルトコンベア?
壁のコンクリ鍾乳石が教える鉛直と、勾配と並行したコンクリを見ると急勾配であることが分かります。地図で測ってみると勾配率は約28%。最急勾配率ではなく平均勾配率が28%なので381m(沿面距離)に亘りだいたい28%が続来ます。明らかに普通の車道や鉄道ではないですね。
奥側の坑口は15.67°の角度を以って空を向いているので、坑外の風景はスカイブルーの面積が広くなっています。
トンネルを出たところで急な坂は終わり、その終点にはコンクリートの地面に挟まれた笹が茂っています。コンクリートと笹の間の隙間から地面下を覗くと、どうやら何かの施設が設けられていたらしい空洞を埋め戻した様に見受けられます。
先にはかなり鮮明な踏跡が伸び左右のズリ山の方へ伸びています。まず右の方に何か施設跡が見えたので行ってみます。
トンネルと右のズリ山の間にあった土台だけの建物跡。何の建物かはさっぱりわかりません。
建物跡よりもズリ山寄りには地面に埋まった円筒形コンクリート塊とトレッスル。トンネル出口の埋まった施設跡・先の土台だけの建物跡にこの2つのコンクリート施設とズリ山を合わせた5つは直線上に並んでいます。
中は暗く向こうに明かりは見えません。また、これもド偉い急勾配です。
上の写真で見えていたとおり坑口から数十mのところで断面が一旦変わり、というか天井が高くなっています。この天井が高いところが土台だけの建物のちょうど真下に当たるような気がします。それに天井の高さも建物の地面と同じくらいかなあと思います。だから何の建物なのと問われてもやっぱりわかりません。
奥では再び放物線の断面に戻りますがまさかの水没。暗くてシャッタースピードが遅くなり、露光中にピタっと静止して待ってたんですが、「ピトン……ピトン……」という落滴音がめちゃくちゃ怖い。こっちに来いよと誘ってるみたいで。チキン過ぎる僕の心臓が爆発しそうなのでもう出ます。
二つあるズリ山のもう一つの麓にも何やら施設がありました。土台だけの建物とトレッスルは付随しませんが、3本足のコンクリート柱とトンネルがあります。埋められた施設・トンネル・ズリ山は直線上に並んでいますが、3本足は少しずれて立っています。
と言うことでやっぱりトンネルに入ってみます。断面や坑口の形が違うばかりか、こちらはコンクリートの地面に軌道めいた物も残されています。しかしレールは所謂軌条ではなく山形鋼を伏せたようなもの。そして鉄道らしからぬ急勾配。
苔でヌルヌルの坑内を下ると何に使うのかわからない滑車と鉄索。ここから下には軌道めいたものはありません。
さらに下はやっぱりダメでした。姿こそ見えませんでしたが、こちらからはカエルの鳴き声が聞こえます。
帰り際にすっかり忘れてられている橋もちゃんと見てきました。来るときはアプローチが分からず変なところから入ってきたので橋から下は見てませんでした。橋は7連コンクリートアーチ。橋といってもほぼ桟道橋。そして勿論のことながら急勾配。
にしてもかなり状態が悪いですね。こんなにボロボロだと木筋とか無筋なのかなあと妄想膨らむ春の午後。
橋から坂を下ってトンネルから続く急坂の最下部は更にトンネルになっていたっぽいですが埋戻し食らってます。隙間から覗いた坑内は埋め戻しというかゴミ捨て場。かつて日本を支えた炭鉱施設の末路に全俺が泣いた。
かつて麓には北炭の選鉱場があり、発生したズリは今日歩いた急勾配の坂を登ってズリ山まで運ばれていました。この一連の路線は全長800mの高松ズリ捨て線の一部でした。選鉱場から出たズリはまずベルトコンベアに載せられその名をベルト隧道と称するそのまんまのトンネルをくぐり、地形の関係で一度地上に出た後再びトンネルに入りこのトンネルの出口が画像左上のゴミだらけ坑口。地上に出たベルトコンベアは今度は左下のアーチ橋を渡りまたトンネルへと入ります。このトンネルはスキップが通っていたからスキップ隧道という名前だそうです。スキップ巻き:二つの坑車を上下して、ずりを自動的に運搬する巻上装置。ずり山頂上のスキップやぐらは、炭鉱の象徴でもあった。(増補改訂 夕張市史 下巻)え?それってインクラインと違うの?いつの間にコンベアからスキップに積み替えられたか謎ですが、トンネルを出た後また積み替えられズリ山を登っていたようです。初めは下がベルト、上はスキップという構成だったらしいですが、の大雨で大きな被害を被ったのを期に下はベルト、上はスキップ、その上はまたベルトに変えられたそうです。ぶっちゃけたところ、残りの施設は何の施設だったのか分かりませんが、コンベヤとスキップの巻揚機やホッパが有ったでしょうし、山すそに寮があったらしいのでこれらが残りの遺構かと思います。
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主要地点の地図
- 夕鉄第三隧道(サイクリングロード第1トンネル)錦沢側坑口
- 夕鉄第二隧道(サイクリングロード第2トンネル)錦沢側坑口
- 夕鉄錦沢駅
- 夕鉄第一隧道(サイクリングロード第3トンネル)新二岐側坑口
- 高松ズリ捨線スキップ隧道
- 高松ズリ捨線拱橋
参考文献
- 今尾恵介(編著)、『新・鉄道廃線跡を歩く』、JTBパブリッシング、2010年
- 日本鉄道旅行地図帳編集部(編)、『日本鉄道旅行歴史地図帳 全線・全駅・全廃線 1号 北海道 』、新潮社、2008年
- 文化庁、『旧北炭夕張炭鉱高松ズリ捨線スキップ隧道 文化遺産オンライン』(http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=118787)
- 文化庁、『旧北炭夕張炭鉱高松ズリ捨線拱橋 文化遺産オンライン』(http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=181926)
- 文化庁、『旧北炭夕張炭鉱高松ズリ捨線ベルト隧道西坑門 文化遺産オンライン』(http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=118594)
- 『北海道新聞』、2003-04-23朝刊地方30面、「ヤマあり 炭鉱遺産散歩 74 北炭夕張炭鉱高松ズリ捨て線 夕張市高松 ベルト運搬力強く」
変更履歴
- 2013-06-07 本文中に追記
- 2016-03-04 冒頭に画像を追加
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