オロフレ峠は藪だった

昨日今日は赤井川から一時帰宅してました。昨日はずっと家でゴロゴロしてましたが、流石に2日間も閉じこもってたら発狂するんで、今日はオロフレ峠にドライブしてきました。


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といっても普通にドライブしても面白くないのでオロフレ峠の旧道を歩いてみます。オロフレ峠はに壮瞥~峠が、に登別~峠が竣工し開通しました。しかし翌年の水害で不通に追い込まれ、第2次世界大戦の戦乱でしばらく放置が続きます。になってようやく復旧しましたが山道が険しく、改善のために現在のオロフレトンネルを通る新道が開通しました。旧道の峠は展望が優れ、展望所までのアクセス路として旧道が使われています。登別側の旧道は舗装がはがされ自然に帰らんとしています。


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まずは旧道の峠に来て一枚パシャリ。左が現在、右が旧道時代の登別側の写真です。写真では鼠色のラインが緑になっただけですが、それはすなわち藪化を意味しているわけで。


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旧道は展望所の駐車場を過ぎるとプッツリと切れてガードレールで遮られています。ここから現道に合流するまでが廃道です。


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廃道に入ると地面は芝生のような草地。藪じゃなくてよかった。左はガードレールが袖レールもなくブツ切れしてるなと思ったら、


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続きのガードレールは転落なう。


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道の方は藪なう。走りやすかったのはほんの数十mに過ぎず、後はほとんど藪でした。


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掘割が出てきました。日当たりが悪いのかここだけ藪が薄くなってます。


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この先の藪の状況を知りたくて、掘割の岸壁に上って見てみましたが僕の人生のようにこの先真っ暗です。見通しのきく範囲では1mmも路面が見えません。


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少し行くとまた掘割がありました。おそらく展望所からも見える掘割でしょう。ここもなぜか藪がありません。


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掘割の脇は見晴らしがよかったので、現道の覆道とオロフレトンネルの坑口付近が見渡せました。それにしても向かいの山が怖い。どこの北アルプスだよ。


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かなりの急カーブです。旧道の最小半径が15mだったらしいですが、ここのことでしょうね。ここで道は反転して展望所の下に向かいます。


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展望所の赤い崩れが見えてきました。今となってはこのアングルで崖を見る人は稀でしょう。展望所からこちらは丸見えで、下手な人に見つかったら熊とか遭難者に間違われそう。なので恐る恐る出てみましたが、幸い観光客はいない様子。


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崖下まで来るとなんと堰堤のようなものがありました。展望所からも見える位置にあるんですが、全く気付きませんでした。


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堰堤があるということは川が流れているということで旧道は小さなコンクリートガーダーが架けられています。土砂がたまりすぎて腹をつきそうです。


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さて現道が近づいてきました。廃道もあとわずかです。


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さあ現道に合流したいけど、どうやって覆道の中に入ったらいいものか。


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ってドア!?ドアですよドア!覆道にドアが付いてますよ!なんと気がきく覆道でしょう。ありがたやありがたや。


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ふぅ。現道に合流しました。オロフレトンネルの坑口の目の前です。旧道もここで現道と合流して、登別へと下って行きます。
ということで旧道探検は以上。写真にはほとんど撮ってないけど廃道区間は藪ばっかり。廃止から二十数年でこんなっちゃうんですね。

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コメント

  • 石川重弘
    2021-08-20T12:51+09:00(JST)

    約50年前、カニ族が流行り私も似たような旅行をしました。
    洞爺湖側から登別方面へヒッチハイクでオロフロ峠を越えました。
    乗せていただいた車の方は、バスの運転手が仕事だと言われたのを覚えています。
    それから40年後、センチメンタルジャーニーのつもりで北海道をオートバイで旅行しました。
    通行止めになったオロフレ峠の展望台から旧道を眼下に見て、かすかにあれが昔の道かと判別できました。
    そして自分が浦島太郎になったような、老いたことを実感しました。
    貴重な写真を拝見できて良かったです。
    有難うございました。

  • ちっちゃん
    2021-12-06T21:59+09:00(JST)

    はじめまして
    YouTubeを見ていて子供の頃を思い出し検索しました。
    1974年友達と2人でカルルススキー場でスキーのレッスンを受けに行き、帰りのバスに乗り遅れて思案の末登別温泉まで歩こうという今思えば暴挙(笑)に出ました。お天気は快晴でした。
    子供だったんですね〜で、少し歩いたところで知らないおじさんがどこまで歩くの?と声をかけられ登別温泉と答えたら、それは無理だよと言われ親切に乗せてくれました。今なら考えられない事ですが子供だった事とこっちは2人というのもあり乗せてもらって無事帰宅しました。今思えば、なんと無謀な…とは思いますが、あのおじさんは今どうしているのかな?優しい方でした…こっちが子供だったのでおじさんとしか記憶がないです。
    昭和ののどかな時代の話です…見れば見るほどやはりムリだったと思います(スキー担いでました)
    今無事に過ごしている事に感謝です(笑)

  • 匿名
    2022-02-22T17:14+09:00(JST)

    オロフレ峠の現在地を見せてくれてありがとうございます。昭和33年時代と異なり驚いています!仲間にはこの写真を持ってあちらの國に仲間達に見せに行ってきますね?。siroyagiより