大仙市民のみなさん、「古四王神社」って聞いたことありますぅ?秋田市の古王神社は知ってる方もいるかもしれませんが、大仙市にもご自慢の古四王神社があるんですよ。国指定重要文化財に指定されているとても珍しい~様式の神社なんですがどこら辺が珍しいのか、・の二日間開かれた見学会で聞いてきました。
期間中の夜はライトアップしているということで日暮れギリギリを狙って赴いてみました。
受付で名前を書くと「○○(苗字)さんってことは仙北町の方ですか?」と聞かれました。まさしく仙北町の生まれですw受付の人はきっとプロ大仙市民に違いない!
受付が済んだら案内板を使って神社の概要を説明。案内板の一言々々にガイドさんが口頭で説明を付け加え、たった10分で誰でも古四王神社博士になれます。
古四王神社は元亀元年(1570年)に冨樫左衛門太郎勝家が戸沢兵部の奉行として建立したものだそうです。冨樫といえば大曲近辺ではよく聞く苗字で、旧大曲市域では電話帳に載っている冨樫(富樫)さんは174件。80件に1件が冨樫(富樫)ということになります。ちなみに元横手高校校長の富樫さんは冨樫左衛門太郎勝家のご子孫なんだそうです。
そんでその建物はになり特別保護建造物(現在の重要文化財に相当)に指定、には国宝保存法による国宝(現在の重要文化財に相当)に指定されました。になり現行の文化財保護法による重要文化財に指定されました。
の指定に先駆け、に東京帝国大学の伊東忠太教授が調査した際「手法磊落放縦端倪すべからず実に奇中の奇珍中の珍なり」と評したそうですが、それだばわがんねべ、ということでに京都大学の天沼俊一教授が再調査したところ「この建物は建築様式に全くこだわらず、和、唐、天を超越した天下一品の建物である」と、伊東教授をめっちゃ肯定したそうな。説明聞いてた時「和と唐はわかるけど天ってな~に?」と思ってたんですが、天は天竺のことだそうです。みんな知ってました?
とまあ教授たちをうならせた古四王神社ですが、その製作者についてはジモッティの間に「飛騨の抱匠の作だ」ということしか伝わっていませんでした。それが事実とわかったのがの修繕の時でした。このときの修繕は神社をすべてばらして調査し新たに組みなおすという大規模なものだったそうですが、その時に墨で「古川村 大工 甚兵衛」と書かれた棟札が出てきたんだそうです。古川村は岐阜県吉城郡古川町(現在は合併により飛騨市になりました)のことで、本当に飛騨の匠による作であったことが証明され、匠の名は甚兵衛ということも判明しました。蛇足ですが解体修理の際は鋸は使わず組木をはずしていったんですが、どうしても一箇所だけ外せずやむおえず切ってしまったそうです。現代のプロすらお手上げにするとは、甚兵衛さんマジぱねぇっす!亡くなった甚兵衛の墓は、高畑簡易郵便局の近くの墓地内の石っころの様な墓石がそれだと言われているそうです。
せっかく出身地と名前が判明したということで、古川町と連絡を取り「甚兵衛っていう人について教えて!」と問い合わせたところ、こんな古川町にはこんな言い伝えが残っていたそうです。
小鷹利村(現在の飛騨市)にある五社神社という神社に、ある匠が火難除けの鯉の彫り物をしたところ、鯉の彫り物が洪水を起こしてサァ大変!城主は彫った匠を探しましたが、どうやら越後へ行ってしまったらしい。そこで越後へ使いをやると、匠はすでに出羽へ旅立ちそこで亡くなっていました。
しかもこの言い伝えにある時代と古四王神社の建築年代が同時期だそうで。聞けば聞くほど甚兵衛=鯉を彫った匠としか思えませんな。
ふぅ~。ここまでのお話は案内板と冊子を見ながらでしたが、ここからやっと玉垣の内側に入って本殿を見ていきます。
本殿は一間社という小さなものですが、玉垣の中はいささか狭く写真一枚ではとても入りきりませんでした。
本殿の入口。普段は扉が閉じてますが今日は特別に開けてます。入口の上には篆文で「古四王神社」と書かれた亀の甲。あの甲羅は秋田市の古四王神社から寄贈していただいたものだそうです。中の方には御幣と鏡とその奥には本殿のミニチュアがありその中にご神体が祭られています。ミニチュアの本殿は本殿と同時期のものだそうですが本殿の入口よりもサイズが大きいため出し入れは不可能だそうです。ご神体は木彫りの仏像だそうですが、滅多に御開帳されることがないのか説明をしてくれた地元のおじさんも見たことはないそうです。
写真では本殿の扉は空けっぱなしになっていますが、この扉は直角に曲がったレールを持つ珍しい引戸なんです。実際に動かすところは見れませんでしたが、頂いた冊子の写真から想像するに、扉の動きは↑こんな↑感じみたいです。
扉の外、手すりの柱の上にはこれまた珍しい装飾。「擬宝珠」と言って普通はこんなものなんですが、古四王神社のものは写真のように一刀彫りが施されているんです。写真では伝わりませんが、実物は木目が活かされてていとうつくし。
軒下の四隅に張り出した部材にはなぜか小さな穴が開けられています。実はこの穴、建築当初からあるものではありません。「雪で屋根潰れるんでねが?」と考えた人が、穴を開けつっかえ棒を刺したというのです。しかし、実際に雪が積もると潰れるどころか反り返るように変形し、つっかえ棒が外れてしまったそうです。さすが甚兵衛さん、積雪も想定内だったんスね。飛騨も雪少ない所じゃないでしょうからね。
軒下といえば複雑な組木に目が行きますが、前に書いた鋸で切っちゃった一箇所が軒下の組木だそうです。
縁の下をのぞいてみると、何やら礎石に円形の彫りがあります。調査で柱をどかした時、礎石には梵字が彫られており、実は供養碑を再利用したものだということが分かりました。供養碑をあんなことにするなんて呪われそう……と思いきや、神社を支える縁の下の力持ちになるんだからOKなんだそうです。
これで見学は終了。どうッスか?古四王神社すごいでしょ?見学会は多分来年以降もやると思うのでぜひ行ってみてください。
暗いこともあり手ぶれ写真ばっかりでどうもすみませんでしたm(_ _)m
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