新夕張駅-十三里信号場間旧線・同区間旧道

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再来年のに廃止が予定されている石勝線夕張支線。その起点となる新夕張駅に来ました。に北炭夕張線の一駅として紅葉山駅という名で開業してから125年もの月日が流れ、再来年の廃線が決まりついに夕張支線の起点としての役割を終え石勝線の途中駅のひとつになろうとしています。でも今日はそれとは関係ない話。この駅がまだ紅葉山駅だった頃の旧線のお話。


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紅葉山駅とはかつての新夕張駅の名前。1981(昭和56)年10月1日に石勝線が開通すると共に駅は現在地に移転し名前も現在の新夕張駅に変わりました。で、写真がかつての紅葉山駅の跡。駅らしい痕跡は駅前に駅名標が残されているのみです。


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紅葉山駅跡から旧線は道路となり、南西に伸びた後丁字路にぶつかり荒地となります。この丁字路付近に踏切がありここから国道が併走していました。石勝線の現在線は右の方で第1紅葉山トンネルに入っています。


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あ~あ。見えちゃったよ。今日のハイライトがもう見えちゃったよ。


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荒地に入るとすぐに廃トンネルがあります。国道旧道の紅葉山トンネル。笠石が石である以外すべてレンガ造りでアーチは馬蹄型の重厚な5重巻き。上部にクラックが入っているのが惜しいポイント。ちなみに国道に指定される前は北海道道116号夕張長沼線でした。この路線は1970(昭和45)年4月1日に国道へ昇格され、116号は別の路線に割り当てられ夕張長沼線の名前も別の道が名乗っています。更にその以前は石勝線の前身の北炭夕張線のトンネルでした。自動車が走る前は列車が走っていたんですね。詳しい歴史は最後に紹介いたします。


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坑口は木の板で塞がれた上から更に白い板で補強しています。元の木に穴が開いたので補強したのでしょう。今も穴が所々にあり、そこから中を覗いてみると向こう側の光が見えるじゃないですか。中はこれといって大きな崩落は無いようです。なら入ってみたいけどそれが出来るほど大きな穴は無いんですなあ。


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このトンネルが大昔は鉄道トンネルだったことは上述の通りですが、鉄道はいきなり現在線に移ったのではなく一旦川側に敷きなおされてから現在線にへと歴史はつながります。詳しい歴史は最後に紹介いたします。(2回目)


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ご存知かと思いますが、現在の石勝線は単線です。しかしこれはどう見ても複線が引ける幅。わざわざトンネルからこちらに鉄道を移して複線の幅を確保した理由とは?詳しい歴史は最後に紹介いたします。(3回目)


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紅葉山トンネルは長さ101m。あっという間に反対側の坑口に着きます。こちらもやはりレンガ。アーチは4重。


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トンネルを出ると右に旧国道、左に旧石勝線が並行します。


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旧道・旧線には鹿道が付いており、藪も少なく自転車で楽々走れます。


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24kmの甲号距離標が落っこちていました。追分を起点として24kmの地点です。写真の奥には電話の端子箱も残っています。


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右手に現在線が見えてきたらもうすぐ旧線も終わりの合図。現在線の石勝線は第1紅葉山トンネルを穿って新夕張駅まで地中を進みます。詳しい歴史は最後に。(4回目)


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旧線はこのまま直進し現在線と合流し終わりとなります。旧道の跡は現在線の下を潜って反対側へと抜けます。この橋の名前は「市道沼の沢線架道橋」といいますので、この道は旧道落ちした後は市道に移管されたのだと思います。


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架道橋を潜れば廃道区間は終わり舗装が始まります。ここまで廃道区間はたった1.3kmほど。大きな起伏・障害物など全く無く廃道歩きビギナーにはもってこいの道だと思いました。


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このまま道を進むと道東道の下を潜って十三里信号場に達します。十三里とみさととはこの辺の地名なのですが、元は十三哩じゅうさんまいるという名でした。ここの鉄道が建設された時追分を基点として13マイルの地点だったのでそういう地名になったそうです。日本の地名に「マイル」が付くって凄いですね。


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これが十三里信号場。非積雪地帯にお住まいの方だと何のための屋根だと思われるかもしれませんが、ポイントを雪から守るシェルターです。


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この十三里信号場はまでは十三里駅という駅でした。詳しい歴史は最後。(5回目)


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さて本編内で何度も放った「詳しい歴史は最後」のターンです。この区間はに鉄道が開通した歴史ある区間です。石勝線の前身である北海道炭鉱鉄道会社室蘭線夕張支線は夕張の炭鉱開発と港までの運炭を目的として建設されました。当初の計画では後の夕張鉄道線に近いルートが予定されていましたが、工事の難易・経費・炭鉱の開発計画で今のルートに変更になりに着工、に開通しました。この開通した路線は仮工事の箇所が多く、本建設を行うまではまだ紅葉山トンネルは存在しませんでした。また開通当時の紅葉山駅は支線の中間地点である現在の十三里信号場の位置に置かれていました。


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から本建設が始まりには紅葉山トンネルが出来上がりました。また、紅葉山駅はSLの給水に不便で連絡も悪かったため現在の紅葉山に移転されました(時期不明、の地形図では既に移転済み)。


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明治末期から炭鉱の発展が進み、それに伴う輸送量の増加によりからにかけて複線化が行われました。紅葉山-十三里間を含む区間はに複線化が完了しています。この時の地形図を見てみると紅葉山トンネルは描かれていないのでトンネルの区間は腹付けではなく付け替えであったのだろうと思います。しかし現在の石勝線は上で見てきたように単線でした。この線は複線化した後また単線に戻されたという稀有な存在なのです。、夕張と野幌を結ぶ夕張鉄道線が開通すると輸送量が減り、また昭和に入り不況に襲われたのも重なりに単線化されました。


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さてひとつ上で紅葉山トンネルは鉄道線としての役割を終えたわけですが、の空中写真を見ると今度は道路として復活しているのが見えます。発行の地形図にもしっかり道路トンネルの記号が描かれるようになりました。紅葉山トンネルに再び命が吹き込まれたのです。、この道は紅葉山から栗山・由仁を経由して長沼まで至る北海道道116号夕張長沼線となっています。トンネルは実際に見た通りレンガ造りの狭いもので、鉄道トンネルのままの状態で道路に転用されたようです。車道としてのスペックは幅員2.7m、有効高3.9m、延長101mでした。


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度、石狩から日高山脈を越え十勝までを結ぶ線が計画され、今日の区間が組み込まれました。その名は石勝線。今日の区間は石勝線の開通にあわせに着工し付け替えが始まりました。またには十三里駅が開業しています。


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石勝線はに開通しました。これに伴い、今日歩いた区間は第1紅葉山トンネルに付け替えられ、紅葉山駅は移転し新夕張駅に改称。線路は現在の線形になりました。、この道路は国道274号に指定されて国に管理が任され、十三里橋・瑞穂橋が架けられると道路は移設されました。線形は現在の通り。但し付け替え後である発行の地形図にもまだ従前の道(トンネルも含む)が描かれているので市道か何かに移管されていたのだと思います。


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旧道はいつの間にやら姿を消し、つい最近の十三里駅が廃止・信号場化されやはり地図から消えました。実は十三里駅がなくなる前に来たかったんだけど色々と都合がつかずついにいけなかったよ。


鉄道と道路があるのでかなり端折りましたがざっとこんな感じ。「『詳しい』なんて書いておいて省略して書くとは何事か!」とは言わないで。


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主要地点の地図

参考文献

  • zwiebel、『北海道 道路トンネルデータベース 国道229号 – 北海道 道路レポート”カントリーロード”』(http://web.archive.org/web/20111016202224/http://hokkaido-douro.net/tunnel/R229/index.html)
  • 日本国有鉄道北海道総局、『北海道鉄道百年史 下巻』、日本国有鉄道北海道総局、1981年
  • 夕張市史編さん委員会(編集)、『改訂増補 夕張市史 下巻』、夕張市役所、1981年

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