厚瀬崎の旧道

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日本海に面し狩場山地に抱かれた漁村の島牧村。かつてニシン漁で空前絶後の賑わいを見せたこの村も今や過疎にあえぎ、自治体の財政力を示す財政力指数は全国最低レベルの低空飛行をしています。そんなこととは無関係に地形は昔も今も相変わらずいくつもの小さな岬が小さな湾をつくりそこに小さな集落を従えています。そうした岬のひとつ、港と栄磯の間の厚瀬あっちゃせ崎の旧道が今日の舞台。今年の下半期は廃道にはあまり食指が動いておらず、マイブームになってる袋澗めぐりの中でこの岬に立ち寄りました。あと港っていうのは漁港のことじゃなくて行政区画の名前ですよ。紛らわしいけど間違えないでね。


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厚瀬崎の港側。写真左、山側のトンネルは竣工の厚瀬トンネル。車道幅員5.5m、高さ4.5mでこの時代の国道229号では標準的な断面サイズであります。2車線の5.5m、即ち1車線で2.75mというのは道路構造令が許す最小限の幅であり、構造令が計画交通量によって幅員を定めていることからすると当時の自動車交通量が相当に少なかったことが見えてきます。もっともこの厚瀬トンネル竣工時は瀬棚町との間の茂津多岬の道路はまだ建設中で、逆サイドの寿都町側から見た島牧村は行き止まりの村であり、国道とは言えども実際に自動車の交通は少なかったはずです。しかし難攻不落といわれた茂津多岬の道路はに開通し、交通量や速度が増す中で幅が不足気味になり新たなトンネルが必要になったのでしょう。、従来の厚瀬トンネルの海側に新厚瀬トンネルが竣工し、上下線をそれぞれ担う形になりました。


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新厚瀬トンネルの脇から細く旧道が延びます。できるだけ起伏を作らず、且つできるだけトンネルも作らずとするなら自然と岬を縁取る線形となるわけです。


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旧道の入り口に立つすっかり色あせた「通行止」の門番がいなければこの先が道路だったとは誰も気付いてくれないかもしれない。そう思うほどに藪がはびこり、轍や踏跡はなく、道の色があせてしまっています。こんなになっているなら通行止の標識はいらないでしょう。むしろせっかく自然に帰っていたのに標識のせいで道だとバレます。


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岬は周囲を崖に囲まれて、その下に旧道は築かれています。岩はポロッポロな集塊岩で、小石から数mの巨岩までさまざまな落石が落ちてきています。露頭に入った巨大な亀裂がどこまで深く入っているんだろうなんて気になり始めたら急に怖くなってきますね。


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崖の下には全く土地がなかったようで足元はずっと埋め立てて石垣が続いています。下の白いコンクリートは丁度今行われている防波堤建設の工事用道路です。石垣の背後には山岨や藪を湛え、手前に真新しい人工物を置くと、石垣は人間世界と自然世界の国境のようです。


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緩やかに左カーブします。現道から様子がよく窺えるのはここまで。この先は如何になっているのでしょうか。果たしてトンネルは現存しているのでしょうか。


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カーブの先には厚瀬1号トンネルが待っていました。今回ストリートビューみたいに移動はできないけど360°見回せる写真が自作できると知って試してみたので、ドラッグでグリグリしてみてください

。1号トンネルは小ぶりながらこの旧道にある3つのトンネルで最長。現況調書を開いてみると竣工年の欄はは3本とも空欄にされています。


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タイトル画像で完全にネタバレでしたが素掘りトンネル。石垣に素掘りトンネルってすごく似合うね。


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この先も盛土の法面は石積みのまま。一部流失した箇所は大型土嚢で修復しています。道として完全に復旧させるものにはとても思えませんが、何ゆえ修復を行ったのでしょうか。行く先に見えるトンネルは2号トンネルです。


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厚瀬2号トンネル。向こう側の坑口付近で少し崩落が起こっています。


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2号トンネルをくぐって振り返って見た海岸の風光。右に挙げた白黒写真は『開道五十年記念北海道』に載っていた同じ場所の写真です。分厚い本でコピーがうまくとれず申し訳ない。この本は発行であるのでこのトンネルは1世紀近く前からあるということになります。よく見てみると当時は現在よりも低い位置に狭い幅で作られ、車や荷車の通れない歩行者用のように見えます。木道はこちらに向かって上り坂になっていてこちらが高くなっていたようです。



手前には崖錐ができて道が埋まっていました。木道の当時からも坂ができるほどの堆積物があったのかもしれません。



ここが厚瀬崎の先端付近。すぐ右には大きな立岩がそびえ、深い鞍部状になった地形を抜けて左に鋭くカーブすると岬の西斜面に入り栄礒が見えてきます。ちなみに今更ですが、厚瀬という地名はもともとは港の地名で、1933(昭和8)年に改名して今の港になりました。栄磯もこのときまでは飼鹿(カイジシまたはカイシシ)といっていました。「アッチャセ」というアイヌ語らしい言葉の意味は、残念ながら永田先生も山田先生も著してくれていません。『東西蝦夷山川地理取調図』では「アチヤラセ」と記しているのできっと川が関係していると思うのですが(チャラセとは水が岩肌をピチャピチャ流れる落ちる様子)。『再航蝦夷日誌』でアッチャセに小滝有てと記されているのはこの川のことなのでしょう。周辺にオヒョウニレが多かったのでアㇳチャラセ、縮めてアッチャセとなったのでしょうか。


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ここまで強風の中、日陰の北斜面で鼻水垂れるぐらい寒かったのに岬を回ると無風に直射日光ですっごい暑くなりました。僕がウサギだったら環境の変化によるストレスで死んでるところですよ。日当たりがよくなったから藪が勢いよく伸びてここから先へは進むのが少し大変になりました。


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とりあえず目の前の3号トンネルまではたどり着きました。


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トンネル出てもまだまだ続く藪に嫌気がさして早々に海際まで逃げてきました。道路上からでは分かりにくかったのですが、すごく立派な石垣の上を歩いていたのですね。



トンネルの先、その先、そのまた先までずっと石垣が伸びています。ここの旧道は素掘りトンネルより僕にとっては石垣が美しい道としてすっかり印象付けられました。


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結局藪は現道に合流する直前まで続いたので道路跡を歩くことはありませんでした。しかし同じく石垣もここまで続き、にわか石垣ファンになった僕にはうれしいご褒美です。


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現道に戻ってきました。この旧道はに始まった寿都-島牧間の道路として建設されたものらしいです。にはバスが走っているので、この頃には確実に自動車道として整備されていました。道ができる以前は海上交通に頼っていただろうから、途中で出してきた白黒写真の徒歩道は過渡期のわずかな期間に撮られたのでしょう。車道になった道は海が時化てもトンネルや石垣に守られ、厚瀬トンネル開通のまで陸上交通を保障しました。約40年の長きに渡る荒波との戦いの跡は石垣のあちこちに補修痕として残っています。それから数えはや半世紀。旧道化という人間の事情とは無関係に日本海は昔も今も相変わらず津波や高波をぶつけ石垣の崩壊が目立ち始めています。ニシン漁で空前絶後の賑わいを見せたあの時代の道の姿を残した厚瀬崎の旧道も時とともに消え行く運命のようでした。


この記事の情報

主要地点の地図

参考文献

  • zwiebel、『北海道 道路トンネルデータベース 国道229号 – 北海道 道路レポート"カントリーロード"』(http://web.archive.org/web/20111016202224/http://hokkaido-douro.net/tunnel/R229/index.html)
  • 島牧村教育委員会(編)、『島牧村史』、島牧村、1990年
  • 北海道、『橋梁現況調書 昭和39年3月31日現在』、北海道、1964年
  • 北海道開発局、『橋梁現況調書 昭和41年3月31日現在』、北海道開発局、1966年
  • 北海道道路史調査会(編集)、『北海道道路史 路線史編』、北海道道路史調査会、1990年

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コメント

  • 梨野舞納
    梨野舞納
    2016-01-01T22:36+09:00(JST)

    私も去年だったか一昨年だったかに厚瀬岬を歩きましたが、ここの石垣は本当に美しいですね。
    ところで岬の東側に「本目港」と云うニセコバスの停留所がありますが、ご承知の通り漁港の名前は「厚瀬港」です。
    元々は「字本目」の「港」地区と云う意味で「ほんめみなと」と読んでいたのが、いつの間にかバスの案内放送も「ほんめこう」に変わってしまったらしいです。

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    Morigen(管理人)
    2016-01-02T08:58+09:00(JST)

    おお、バスに乗らない僕には絶対気付けない豆知識です。
    確かに現地に行った時漁港名とバス停名が食い違っていることに気になっていました。
    「港」という地名としてはあまりに安易な名前に変えたばっかりに混乱を招いたのですね。
    「港停」としてしまえば他の漁港と区別がつきにくいし、もはや正式な住所表記としては消滅した「厚瀬停」とするのもセオリーからは外れているということで、本目と港を併記することになったのでしょう。
    よく駅名がその地区の呼び名として定着していることがありますが、もしかしたら今後は港地区や厚瀬漁港を「ほんめこう」なんて通称するようになるかもしれませんね(そりゃ考えすぎか)。
    島牧村の住所は瑞祥地名が多くて地名から土地が想像しにくく、そうではない港に関しても紛らわしい問題を抱えるというなら、地名の改名には慎重にならなければならないなと思いました。