積丹1周旧道旅8

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積丹1周8日目にして最終日。泊村を縦貫し何もない共和町を通過、岩内町を目指していきます。


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全体的に満遍なく旧道が配置されているようで、実はそんなにわざわざ入るところがありません。今日のルートでただ1箇所、かつて山道があった兜岬の旧道。ここだけでページの半分を占めています。山道を行かねばならないということは急峻懸崖激浪海岸に晒される道路の状態が案じられます。泊村では1913(大正2)年から1915(同4)年にかけて兜岬・茂岩-興志内間・泊-堀株間が相次いで開削され轍が広がりました。その後は細々した付け替えがあちこちありますが特殊なものといえば泊原発建設に伴う付け替え。これで旧道は地形もろとも消し飛びました。共和町から岩内町にかけては堀株川の捷水路建設に際して付け替えられほぼ今の線形になったらしい。


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茂岩を出発。弁天島のように三角の小山をアイヌ語でモイワといい茂岩の語源だそうです。そのランドマークに見送られ一路南に進路をとります。


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茂岩を出ると次のトンネルは興志内トンネル。ではなくその手前、1928(昭和3)年の袋澗調査ではこの辺にトンネルがあることになっています。地図ではなく土木構造物の図面という性質上大縮尺で示されているので間違いないでしょう。道が開通したのは大正時代だからその時に掘られたんだと思います。図面に定規をあてがって図るとトンネルの長さは0.9m前後しかなく地形図先生が見向きもしなかったのもわかります。


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茂岩-興志内間の岬。現道興志内トンネルは1968年から使われているトンネルで、積丹の海岸では最古級です。旧道には茂岩1号・2号トンネルがあります。坑口は興志内トンネルのすぐ隣にあって現在はコンクリートの壁の中。茂岩1号トンネルは1914(大正3)年12月竣工。


2015-04-19 追記

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入ってなかった茂岩1号トンネルの中。崩落して塞がったのではなく人工的に塞いだのがわかります。


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1号トンネルは素掘りだけで無く、北側坑口近くの半端な一部だけコンクリート巻きです。


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灯りを持たずに入って来て気付かなかったのですが結構あちこち崩れてたんですね。


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旧道のトンネルの反対側。家、軽トラ、小屋、そして日常に溶け込む廃トンネル。国道229号の沿線では素掘り廃トンネルが欠くことのできないアイテムのように思えます。見えているのは茂岩2号トンネル。奥にはくずれた1号トンネルがあるそうです。茂岩2号トンネルは1913(大正2)年8月竣工。


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興志内そして盃を過ぎるまでは何もなく平和なサイクリング。


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盃-照岸間の兜岬が今日最大の旧道スポットです。1913(大正2)年、地方費で兜岬の道路が開削開始。武井忠吉らは2万6千余円で大小10余りのトンネル工事を1913(大正2)年に着工し1915(同4)年に竣工しました。記録によると第1号から9号及び補第1号・補第4号の合計11の工事が記録されています。でもこれから見てくと判るのですが、現実には9個のトンネルで構成されて長さも全く違いました。9個というのは現況調書の記述と一致し各トンネルのスペックも実際に即しているのでこのブログでは現況調書での呼び名「兜X号トンネル」を採用。現兜トンネルは2006(平成18)年3月3日開通。


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盃トンネル、開通時は兜1号トンネル。見よこの土かぶりの薄さを。兜1号時代は素掘りで現在よりも小さな断面だったそうですが広い道路が求められる時代になってこれ以上いくとオーバーハングになっちゃうというギリギリのラインまで拡幅。なおも広い幅員が必要とされ右の海を埋め立て道を作った。といったところでしょうか。盃(兜1号)トンネルの後に控えるトンネルも名前は盃トンネル。ただし手前の盃が現役だった頃は兜岬トンネルだったっぽい。同じく開通時は兜2号トンネル。


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盃(兜岬・兜2号)トンネルの先は兜トンネル。このトンネルは兜X号トンネルの進化系ではありません。旧旧道の道筋は別にあるということです。


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兜トンネルの脇に旧旧道はあります。


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外から見てもわからないぐらい道の姿を失い、兜3号トンネルはその妖しい口を閉ざしているようです。


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兜3号トンネルの中。反対側から入ってきました。坑口は残念ながら出入りに供せる能力はありませんでした。


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幅員4m、有効高3.2m、素掘り未舗装の幹線道路と思えぬスペック。しかし江戸の人が歩いて旅した積丹半島に自動車を光臨させたのは紛れもなくこれらです。鰊で金持ちになった積丹が抱えた交通の便という名の唯一つの弱点を消し去った功績を知れば湿った暗がりも眩く見えてきます。


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兜3号と兜4号の間は手が届かんばかりの距離に隣接していますが道は崖錐に埋まっています。足の下は数m下まで一気に落ち込み、頭の上は天を支える大断崖。


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兜4号トンネルにたどり着きその内部。


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兜4号トンネルから先、兜5号トンネルの姿。短時間のうちに次々現れる小さなトンネル。今日のために古い地図にいくつか目を通してきましたが、どれ一つとしてこれらのトンネルを正しく描き出せていませんでした。地形図の図式では細かい地形を表現できない岩崖にまみれ、物足りない縮尺のなかではもちろん表しきれなかったのです。このブログに張った地図でもわけワカメ。引き換えにたくさん素掘りトンネル見れてお得です。


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兜5号トンネル。


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兜5号トンネルの次に6号トンネル。


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兜6号の先は大規模な落石で完全に道が消え去っていました。1個や2個の数じゃなく大きさも特大の落石。ちょうどこの辺りから露頭に見る岩石が明らかに変わってそのことが急な落石の多さに一役買っているのでしょうか。


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下にまわって巻きます。左の方は黄ばんでる岩、右のほうは白地に黒い水玉の岩。落石は大体水玉のせい。集塊岩とかいうやつでしょうか。見るからにポロポロしてそうな岩です。


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兜7号トンネルも落石で坑口が塞がらんばかりの特盛落石丼。彦摩呂なら「岩の宝石箱やー」ですが僕にとってはパンドラの箱や。


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兜7号トンネルの中。大正期の兜X号トンネルの中では最も長い139.5m。内部は一部崩落していますが人の通行に支承をきたすほどではありません。


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ここと向こうは一続きの兜7号トンネル。兜1号で見せ付けられたように兜7号も土かぶりが薄くてついにレオパレスの壁を越えてしまいました。古い写真(撮影時期不明)では完全にコンクリートの巻きたてに包まれて、現況調書からも同じ証言を得ています。トンネルだらけの兜岬にあって少しでも掘る量を減らしたいという執念みたいなものを感じますね。


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昔はこんな薄っぺらコンクリート巻きがあったわけです。落石も何もなさそうでも崩れてる巻き立てに一体何の意味があったのか。


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兜7号をすべて通り抜けた後、脇に道らしきものがあるのに気が付きました。もしや更に古い道があったのか?


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兜7号の端っこから明かりまで人が歩ける程度の道があったみたいです。車は入れません。完全に人道。建設時の作業道?展望台か何か?


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兜7号の南東は深く切り込んだ谷になっています。珍しくコンクリートを敷いてもらった道は左カーブで谷の中へ消えていきます。


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カーブの先は兜8号トンネル。そろそろ急性隧道中毒を催しそうです。


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兜8号トンネルの中。出口の明かりが見えるもどうも様子がおかしい。


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兜8号トンネルの出口は兜トンネルで行き止まり。行く手を邪魔する壁は兜トンネルの巻立コンクリートです。兜トンネル開通時は、兜・兜2号という2つのトンネルで、後につなげたらしい。そのつなげた部分がこのコンクリートというわけ。兜9号の取付道路は兜に乗っ取られ独占されたため一旦下に下りるしかありません。


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兜2号の方にも隣が穴あき。あれが兜9号トンネルです。兜8号と同じで取付道路はコンクリートに埋まってるだろうから穴は本来トンネルの坑口ではないのだと思います。


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下から仰ぐ廃トンネルの数々。知らない人が見たら道だってこともわからないかも。現に釣り人に「ここって昔何かあったんですか?」って聞かれたし。


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兜9号トンネルに入りました。右のほうが本来の坑口だと思われます。これ、左に穴必要だったんでしょうか。


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兜9号内部。届かない向こうからの光。流れない空気。反響して戻ってくる音。カビのにおい。どこをとってみても100点満点に閉塞を示唆してます。


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はいはい、開口部99%オフね。


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石鹸のCMで「99%除菌!」と詠うと逆に1%の方が気になる僕です。


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兜9号は盛土で除菌されたみたいです。


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旧兜トンネルの左、うまくこと隠されています。


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山では鹿道、浜では磯道の蝦夷地必携ナチュラルロードから、1894(明治27)年泊-兜間の道路が開かれました。これがたぶん橙色の道。今は地形の改変と草の浸食で人一人歩く余白も残されていません。2015-11-09追記 後日見てみたら人一人歩く余白が現兜トンネル坑口近くまでありました。ごめんなさい。


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そこでタイトルに反して現道にしか入らない要らんサプライズ。


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糸泊からの旧道は廃道じゃないのでようやく入っていきます。


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すごく住宅街です。道の幅から国道の座を退いたのはそれなりに昔だとわかります。しかし泊村の中心部であるこの地には人が集まり今でも国道よりこちらの沿線に家々が多く立ち並んでいます。このような場所で僕が取り立てて見せびらかしたいものはありません。


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泊村も漁業の村。当時の繁栄を今に伝える鰊御殿というのは見学してみたいと思いましたが貧乏旅に入場料は捻出できまじ。


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旧道も終わりにさしかかった所で遠くにさっき通った兜岬が見えました。改めてすごいところに道引いたねえ。崖の高さは約150m。150mですよ。150mといったらジャイアント馬場70人分の高さですよ。そんな所に無防備な半裸の国道があるなんて今じゃ信じられないですね。何かあったら16文キックどころじゃすみません。


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現道に合流。


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茅沼ではまた一瞬旧道が分流します。


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渋井地区の旧道に入ります。現道はS字を描いた1対のカーブを短絡しただけで旧道の長さは500mに足りません。その旧道の中にトンネルが2つありました。トンネルは渋井1号と2号。後に片方が開削、もう片方が改修され渋井トンネルになったみたいです。


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渋井1号はL=14.0竣工年不明、渋井2号はL=1.0竣工年不明。どちらもごく小さなトンネルで地形図には1度も現れておらずその位置はわかりませんでした。しかし1928(昭和3)年に袋澗を調査した図面によると延長は合わないけど2つのトンネルらしきものが載っています。その1つががここ。現況調書が起点から終点に向かってトンネルを順番に列挙していると信じれば、ここが渋井1号トンネルと思います。


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次は渋井2号トンネル疑定地。こちらはトンネル的なものが残っています。現道がすぐ上を通ったため暗渠化し本来の姿をとどめてはいません。


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反対側に抜けると坑門工が残る渋井トンネル。


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渋井地区と茶津地区との間には茶津トンネルがあります。1903(明治36)年武井忠兵衛と忠吉が私財をを投じてここにトンネルを掘りました。1915(大正4)年泊堀株間の道路開削のときに修理。現況調書によると竣工は1917(大正6)年12月で名前は茶津1号トンネル。1963(昭和38)年11月と1992(平成4)年12月にも改修があったらしく、現在は4代目ということになります。4世代が全く同じ場所に作られるのも珍しいですね。


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茶津トンネルを抜けると右には原子力発電所の北の入り口。ここから海側は原発の敷地になるので現道から眺め見ると現役のトンネル(左)と使われていない素掘りのトンネル(右)があります。素掘りの方は茶津2号トンネル。現役の方は茶津トンネル。このトンネルが出来た時はさっきの茶津トンネルはまだ茶津1号トンネルの時代。なお一応聞いてみましたが廃道見るため敷地に入るの許可できませんだそうです。


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原発が建ってしまった旧道の代替で建設されたほりかっぷトンネル。


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一昨年の震災で福島第1原発が被災して以降全国の原発の安全基準が見直され、泊原発でも防波堤のかさ上げ工事をやっています。土にまみれた工事車両がひっきりなしに行きかうのでトンネル内は未舗装トンネルのごとく煙って、流行のPM2.5を思いがけず体験しました。


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ほりかっぷトンネルの旧道。1915(大正4)年堀株-泊間の道路が数箇所のトンネルによって開通し、盃まで車を通すことができるようになりました。この時堀株から茅沼の間に10箇所トンネルが穿たれたそうです。茶津1号・2号と地形図に見えるトンネルをあわせると9つのトンネルの位置を知ることが出来ます。原発の中になったトンネルはみな長さ20m以下の小さなもので原発建設よりも前にオープンカットされていました。


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泊原発の南側の入り口。


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原発に一番近い集落、堀株。ここまで来れば積丹1周を終えたも同然。あとは堀株川がならした沖積平野を進むだけ。


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堀株ではここを渡し舟でわたって岩内町まではずーっと渚でした。今では堀株川の流れが変わって河跡湖化。


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泊村から共和町へ。この先は大して旧道というものはありません。


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改修で広くまっすぐな河道を得た堀株川は仏の顔をしていますがかつては毎年のように暴れ狂うヤンキーでした。岩内にこんな広大な平野を作っちゃうかなりのやんちゃもんです。


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最後の町、岩内町に入りました。


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開基を1751(寛延4)年とするだけあってどっぷりと第3次産業に浸っている岩内の街。よく言えば成熟している、悪く言えば表情の無いありふれた町並みです。


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旅の終着点を特に決めていなかったのですが、スタートが余市駅だったから安直に岩内駅跡に決めました。


生まれながらに果てしない道の建設を運命付けられ脱皮してきた積丹半島。沿岸の道路は旧道というジャンルにとって大きなポテンシャルを持っていることが今回確かめられました。パドルを振って7km、土を踏み蹴り53km、銀輪駆ること225km。それは即ちこの地で流された血と汗の射影。何年何世紀経ってもこの功績を忘れないでいてほしいです。また道路の尊さを最も良く知る積丹半島の住民が今後道を賢く使いこなしどんなものを生み出していくのか期待しています。


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この記事の情報

関連記事

主要地点の地図

参考文献

  • 『1:25,000地形図』
  • 『1:50,000地形図』
  • 『橋梁現況調書』・『橋梁、トンネル、立体横断施設、覆道等現況調書』各年版
  • 『北海道新聞』後志版、小樽・後志版
  • 小樽開発建設部、『一般国道229号 兜トンネルの供用開始について』(http://www.ot.hkd.mlit.go.jp/d3/hodo/060224_kabuto_t/060224_kabuto_t.html)
  • 蜂谷寅雄(編集責任)、『泊村史』、泊村、1967年
  • 北海道開発局小樽開発建設部(監修)、『後志の国道』、財団法人北海道開発協会、1989年
  • 北海道文化財研究所(編集)、『積丹半島の「袋㵎」 北海道文化財研究所調査報告第2集』、北海道文化財研究所、1987年02月28日
  • 山田秀三、『北海道の地名』、北海道新聞社、1984年

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コメント

  • アバター
    道産子の山ちゃん
    2014-02-06T11:36+09:00(JST)

    昭和30年前後の数年、ホリカップから神恵内への旧々道を利用しました。とても懐かしく、またとんでもなく恐ろしい道をボンネットバスが走ったものだと、当時の人々の逞しさも感じています。
    昨年(2013)訪れましたが、子供時代に遊んだ岩浜へは原発出来て近づけず、姿を全く留めていないのも寂しかったですね。
    懐かしい貴重な写真をありがとうございました。

  • アバター
    Ricky
    2014-08-11T16:37+09:00(JST)

    泊集落の北端、糸泊の海岸線に赤線の旧旧道があるわけですが、それと意識せずに行ってきてました。
    本当に開通して使われていた道であれば、隧道があった可能性が。築堤から崖に突っ込む地形になってましたので。

    藪でよく見えないので後日の課題としてました。なお、その途中に明治のものと思われる古い石造り倉庫のような建物があり、ピカピカに復元新築した鰊御殿より雰囲気がありました。

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    Morigen(管理人)
    2014-08-12T20:46+09:00(JST)

    隧道疑定地ここのことですかね?航空写真で見ただけの浅い予想ではハズレに一票ですね。是非チャックして僕の予想裏切って下さい。

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    Morigen(管理人)
    2014-08-15T07:49+09:00(JST)

    ↑の訂正
    ×チャック
    ○チェック

  • 梨野舞納
    梨野舞納
    2015-09-01T21:33+09:00(JST)

    「チャラセナイトンネル」で検索していたら偶然こちらのサイトに辿り着きました。
    ずっと気になっていた兜岬の旧隧道を見られて感動しました。
    1984年から1991年までを美国で過ごし、豊浜トンネル崩落事故の時には余市に住んでいたので、積丹半島の旧道群には特に思い入れがあります。

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    Morigen(管理人)
    2015-09-02T23:25+09:00(JST)

    こんばんは。
    積丹半島は崖の海岸ばかりなので旧道化してしまうと気軽には見に行けないのですよね。
    そんな兜岬の旧道で感動して頂けて僕も見に行った甲斐がありました。

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    道産子の山ちゃん
    2018-05-08T21:55+09:00(JST)

    4年前にも一度コメントさせて頂きました。
    昭和27年7月に父が撮影した兜7号トンネルの写真がありました。
    トンネル横の海側に道らしきものありますが、映像から推しはかると
    トンネル掘削前のものかと思います。(工事用かな?)
    それにしても切り立った崖の形状は60年以上昔と全く同じ!(当然ですか?)
    弁財澗旧々道トンネル入り口での兄達写真もあり、足がすくむ道路も
    あの頃は風光明媚?なサイクリングロードだったようです。
    ボンネットバスが警笛ならしながらガタガタ道のトンネルを抜けたこと
    思い出します。
    中央バスの車掌さんになった何人かの同級生、怖いおもいをしながら
    あの路線にも乗務したんだろうな・・・。
    沢山の思い出に繋がるブログに心から感謝です。
    また、あくなき探求心と冒険に敬意を表します。

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    Morigen(管理人)
    2018-07-24T22:55+09:00(JST)

    お久しぶりです。
    あの道をサイクリングできたんですね。砂利道大好きなサイクリストな僕には本当に羨ましくてたまりません。(なんて言ったら怖い思いをしていた皆様に怒られてしまいそうですね)
    このブログでいろいろ思い出が回想され、楽しんでいただけたのならとても幸福に思います。
    今は活動が停滞していますがまた道産子の山ちゃんさんの思い出を刺激できるよう努力してまいります。