岩が崎の穴の中

この前弁辺隧道行った愉快な仲間たちと鉱山行く予定を昨日急遽立てたんで眠い目をこすりながら行ってきました。ちなみにいつものトンネルの後輩がメール見てないのか来てくれませんでした。
行った鉱山は登別市の幌別鉱山。この鉱山は主に金銀銅を産出した鉱山町と硫黄を産出した弁慶の2つの地区を又にかけていますが、今回は鉱山町の岩が崎坑というところに行きました。当たり前ですが廃坑です。


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現地では無事坑口が3つも口を開けて待っててくれました。健常そうな1番、歪な形の2番、塞がりかけの3番と番号を付けて一つずつ入って行きます。


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こうしてみると2番は結構高いところにあるんですね。


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さて1番の中は如何に?


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……。おまえはそうやって期待を裏切るやつなのか。どう見てもダメぽです。


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続いて1番の上にある2番の坑口はどうでしょうか。


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って、広すぎね?思わず大きい画像を張っちゃう広さ。「広い広い」と謳われる最近のミニバンもびっくりの天井の高さです。坑口の大きさと中の大きさがあってない。奥に進んだら巨大な石玉から逃げたり、トロッコでジェットコースターしたり、謎の地下文明を発見しそうです。これは出るわ。出ちゃうわ。確実にヨッキさんが出るわ。


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中に入るといきなり下って行きますが、たぶん崩れて低くなったっぽいです。壁に目をやると全体的に赤茶けていていかにも金属が採れていた感じです。よく見るときらきら光る結晶状の粒も出ています。まさか金?


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足元には崩れた岩やつっかえ棒だった丸太が散乱して足の踏み場もない状況です。写真に写るT先輩の右側に高さ1m程の小さな横穴が見えますが、これはいきなり縦穴となり真下に消えていました。狭いし深いし入ってはいけません。


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横穴からほんの2~3mの先で何か巨大なものが行く手をふさいでいます。


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プーリーでしょうか。ってことはこれはエレベーター?下にまだ巨大な空間が広がってるんですね。


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エレベーターの上のわずかな隙間を抜けていくと一旦綺麗な場所に出て急に先が細まります。ここまではかろうじて外の光が入りましたが、この先は真っ暗。先は見えないし穴はせまいしコウモリは出でくるし、チキンだから引き返します。


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ここで振り返って坑口方向を見てみると洞内には靄がかかっていることが分かります。相当空気に不純物が混じってるんでしょうね。


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出口まで少しの所で右の足元に明かりを発見。これはまさか。


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1番の坑口だw お前塞がってたんじゃないのかw


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1番と2番が何となく繋がっていたことが判明したところで3番に入ります。


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なんということでしょう。崩落が少ない上に、トロッコのレールが見えるではありませんか。


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ちゃんとトンネルの形を保っててくれてます。


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トロッコの軌間はいったい何mm?メジャー持って来りゃ良かった。っていう考えするとテツオに近づいてってるって自覚します。


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入坑してすぐに左カーブしてますが、入口から丁度見えなくなる位置に陥没ができてました。落ちても死ぬほどじゃないけど出るのに手間取りそうな深さです。陥没してるってことはこの下にも空間があるんですかね。


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陥没を越えて先に進むとあっけなく土砂に埋もれて閉塞していました。残念。


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それにしても3番はトロッコがアツかった。車両もあったら良かったのに。


家に帰ってから「そういえば……」と思って過去のブログを見返してみると、幌別鉱山について記録した『鉱物調査報告 第22號』という書物を打ち込んでました。これによると岩が先坑(鉱物調査報告では岩崎坑)は1898~1899(明治31~32)年頃と1906(明治39)年に試掘探鉱しましたが採掘には至らず、1909(明治42)年に再び試掘し翌43年に採掘を開始しました。ただし採掘は1908(明治41)年に精錬を始めた旭坑というところをメインにしていて、岩の崎坑の採掘量は少しだったようです。岩の崎坑の坑口は3つありましたが、1番は「中坑」、2番は「上坑」に相当するものと思われます。中坑と上坑は10mの高低差があるとなっていますが、現地に行ってみた感じだと多く見積もっても3mしかありませんでした。上坑は調査時坑道上部を掘りつくし下の方に掘り進んでいたとのことなので、かつてはあの高い天井のずっと上の方に坑道があり最終的にあの高度まで掘り下げてきたのでしょう。すると中坑・上坑の高低差の矛盾も解消します。中坑からは途中で13m降りると下四十三尺坑という坑道があったらしいですが、その下りが立坑なら上坑で見たエレベータで降りて行ったことでしょう。下四十三尺坑は14m3/時の湧水があるとのことなので今ではすっかり水没しちゃってるでしょうね。鉱物調査報告にはもう一つ岩の崎川端坑なる坑道が登場していますが、当時すでに廃坑で名前通りこいつだけ川べりに坑口があります。そして最後まで残った3番の坑口は当時はまだ無かったと考えるのが自然かと思います。
鉱物調査報告は幌別鉱山がまだ大好評操業中だった時代の本なので、岩の崎坑の終焉までは分かりませんでした。

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